第21話


         ※


「あんたはここを動くな、か……」


 言った方は私の身を案じてくれたのだろう。だが、私にはまったく以て納得がいかない。

 確かにこの船内でじっとしている方が、ヴィルと逢野の剣戟戦の渦中に飛び込むよりずっと安全だ。私のようなひよっこでさえそう考えるのだ。まして、戦闘のプロであるヴィルと同意見となるのだから、説得力は極めて高いといっていい。


「確かに、逢野もさっきの通信で言ってたしなあ……」


 乱入する者がいれば、ヴィルよりも先にそいつを殺害する、という言葉。

 かといって、私はじっとしていることもできず、キャビン同士の扉を開放したまま行ったり来たりを繰り返した。


 唸り声を上げながらヘルメットを外し、ぐしゃぐしゃと自分の短髪をガリガリと掻く。

 再度ヘルメットを被ろうとして、ようやく私は彼女の存在に気づいた。


「あ、ソフィア」

「……忍……」


 何かを言いたげに、しかし俯いたままのソフィアは、着かず離れずの位置で私の前に立っていた。


「ヴィル、勝てる?」

「決まってるでしょ、そのうち意気揚々と帰ってくるわよ」


 これだけは、私が確信をもって言えることだった。

 いや、考えようによっては嫌味なのかもしれないな。私にはとてもできないことだから。

 民間人を死傷させずに復讐を果たすと言ったヴィル。

 父の言っていた『罪を憎んで人を憎まず』という言葉を具現化したような人物だ。


 彼になら命を預けられる。そんな人質に非ざる奇妙な安心感が、私の心を落ち着かせる。

 だが、待てよ。

 傍から見たら、繰り返すようだが私はヴィルの立派な人質なのだ。そんな立場の私が、自らを誘拐した危険人物を頼るなど、それこそ奇妙なこと極まりない。


「ああもう!」


 私は手にしたヘルメットを軽く床に投げつけた。もちろん、その程度の衝撃で損傷するほど、ヘルメットは柔ではない。かつん、と床上でヘルメットが軽く跳ねる。

 私がそれを取りに行こうと足を踏み出した、その時だった。


 ヴーン、ヴーンという警報が、船内に鳴り響いた。なんだ? 何が起こっているんだ?


《敵性勢力と思しき船舶が、こちらに接近しています。直ちにこの場から退避してください。繰り返します――》


 私は全身が固まってしまった。ヴィルもロブもリエンもいないのに会敵する、というのか? 私にできるのは船を航行させることだけで、火器管制システムについてはほぼ無知といっていい。

 レーダーサイトを見るまでもなく、私は自分の死を覚悟した。――というのは見栄を張っただけの嘘っぱち。そんな心構えはできていない。


「えっ、私がどうにか船を……。あ、えええ!?」


 そんな私の半狂乱な心配は、杞憂だった。唐突に警報が止んだのだ。

 ようやっとレーダーをあてにすることにした私は、信じられない光景を目にした。


「海保の船が、遠ざかっていく……?」


 どうしたことか。異様な超音波に晒された鳥のように、海保の攻撃用小型船は百八〇度回頭。見る見るうちに遠ざかり、レーダー圏外へと去っていった。


「今のって、まさか……?」


 振り返ると、ソフィアが胸を張っている。


「ソフィア、あなたが敵の航行を妨害してくれたの?」

「うん!」

「じゃ、じゃあ!」


 私はしゃがみ込み、ソフィアと目線を合わせてこう尋ねた。


「私がヴィルのためにできること、何かないかしら?」


 その幼い外見には似合わない、不吉な笑みを浮かべて、ソフィアは一つの球体を私に差し出した。

 私もできる限り、悪党らしい笑みを返しながら、尋ねた。


「これ、どうやって使うの?」


         ※


 ソフィアに授けられた特殊な手榴弾を手に、私はヴィルの後を追った。もちろん、隠密性を意識しながら。

 周辺には朽ち錆びたコンテナが無秩序に放棄され、進むだけでも一苦労だ。


 だが、私には前進が可能だった。『隠密性』という言葉の意味を遵守した上で。

 特殊な手榴弾と共に、ソフィアから授かったものがある。熱光学迷彩服だ。これで、ヴィルや逢野に気づかれずに接近できる。


 消音性は流石に望めなかったが、台風が近づいているためか風が強い。この海の荒れ具合からすると、二人に探り当てられずに済むだろう。可能性の問題だが。


         ※


 しばらくコンテナの間をすり抜けたり、乗り越えたり、クレーンの倒壊などに注意したりしながら、私は目的地に近づいているのを感じていた。

 この感覚は、間違いなく殺意によるものだ。その場にいる人物が胸に宿してしまった憎悪が強すぎて、それが手に取るように分かる。

 私が何らかの能力者なのか、誰しも同じ心境を抱くのか。それはよく分かっていないのだが。


 私が手にしているのは、先ほどと同様、二十二口径のオートマチック。

 コンテナに背をつけるようにして、その憎悪のオーラの発生源へと近づいていく。

 そしてゆっくりと角の向こうを覗いた時、パラララララララ、と軽い発砲音聞こえてきた。


 ヴィルが、自動小銃をぶっ放していた。銃器を使って勝ちを狙うんじゃなかったのか。卑怯者になっていなければいいが。いや、待てよ……?

 私はまさに、その直後にヴィルの意図を理解した。自分が浅はかだったことも。


 ヴィルは、この戦闘区域の情報を得ていたのだ。

 一見、明後日の方向に放たれた弾丸。それらはヴィルの狙い通り、付近のコンテナの一つに直撃した。ところが。


(弾かれた?)


 私は目を皿のようにして、今の現象を理解しようと試みる。

 そうか。この周辺のコンテナは、かつて重要貨物を扱っていたのだ。だから銃撃しても、びくともしない。


 カンカンカンカン、と金属同士の衝突音がこだまする。だが、そのすべては無意味だ。コンテナの硬度など計って、ヴィルは何をしようとしているのか?


「奇妙だな」


 そう呟いたのは、逢野の方だった。


「どうして私を撃たなかった? せっかく自動小銃を用意したというのに」

「ああ、気にしないでくれ。これで弾切れだ」


 ゆったりと話すヴィル。そんな彼を、やや興味がある様子で見守る逢野。

 ヴィルは自動小銃をその場に投げ捨て、腰元から一本目のナイフを引き抜いた。


「いいねぇ、私は元から火薬の臭いってのが苦手だったんでね。わざわざナイフでの勝負に乗ってくれたこと、感謝する」

「ほう。では物々交換だ。俺もあんたに感謝できるように、一つ頼みごとをしよう」

「それは?」

「あんたの首を持ち帰らせてもらう、ってことでどうだ?」


 ヴィルがそう告げた瞬間、私には分かった。逢野が笑ったのだ。控えめな顔のパーツが、やや歪むようにして喜びを表している。切れ長の瞳、それ以外は。


 夕日がちょうど、二人の間に差してくる。橙色の陽光は、しかしその時の私には血の色にしか見えなかった。ここ二、三日の間に、あまりにも多くの流血を見てきたからだろうか。


 私は熱光学迷彩タオルを腕で固定しながら、もう少し接近を試みた。

 私が一歩踏み出すたびに、逢野がぐっと体勢を低くしていく。ナイフは腰だめに持っている。

 対するヴィルは、ゆっくりと、あたかも摺り足で移動しているかのように重心を保っている。ナイフは右手に逆手持ちだ。


 私が数歩目の静かな足運びを続けていると、信じられないことが起こった。

 逢野が、消えた。残像が微かに見えるくらいで、どこに行ったのかはまったく痕跡を残していない。


「ふん!」


 しゃがみ込んだヴィルの頭上に斬撃。三日月のような、鋭利な弧が夕日に輝く。

 対するヴィルは身体を上げずにナイフを一閃。敵の足を狙ったが、逢野はその場で跳躍。

 ヴィルが斬撃に使った腕を回避し、逢野は空中で一回転してヴィルの背後を取った。


 ヴィルがやられる! そう思ったのも束の間、ヴィルはアスファルト上を前転して敵の斬撃を躱す。立ち上がったヴィルは思いっきりその場で足を軸に回転。遠心力を加味した威力でナイフを投擲し、敵の首を刎ね飛ばす。かと思いきや、これは敵に弾かれた。


 異常な危機探知能力を有する二人が戦うと、こんなに凄まじいものになるのか。

 呆然としている間に、私は熱光学迷彩のタオルを挟んで逢野と目を合わせていた。


(……バレた?)


 と思いきや、そんなことはなかったらしい。ヴィルより先に私が死んでしまったら、彼を捕縛するのが大変になるからな。


「ヴィル・クライン……。流石、一流の殺し屋だな」

「お褒めにあずかり光栄だ、逢野三等陸曹。個人的には、殺し屋よりも復讐鬼とでも言われた方が的を射てる気がするんだが」

「そいつは失敬」


 そう言いながら、逢野はナイフを放り捨てて、新しいナイフを手にした。二刀流だ。


「思い切りがいいな、逢野三曹。俺はもうしばし、こいつを使わせてもらう」


 ナイフの腹の部分で掌を叩くヴィル。

 逢野が駆け出すのと、ヴィルが迎撃体勢を取るのは、まさに同時だった。

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