第20話
※
聞いてしまえば簡単な話だった。
ヴィルが国連軍に紛れて東南アジア某国の警備活動にあたっていた時のこと。毎晩毎晩少しずつ、予備の弾薬が減っていくという事態が発生した。もちろん、その日の戦闘で使用された量を鑑みても、だ。
まだ妻を喪うことなく、心身共に十分頑強だったヴィルは、監視任務に立候補。
何か奇妙な、しかし面白い『出会い』があるという不思議な直感が働いていた。
通常、こうした任務は二人がかりで行われる。その時の相棒は、大きな自動小銃を手にしていた。これを見れば、盗難事件の犯人がビビるだろうという考えだったらしい。
ヴィルに言わせればどうか? そんなもの、任務に不釣り合いな下策だ。しかも、自分たちの基地内で使う(状況に陥るかもしれない)のに、流れ弾で四肢が吹っ飛ぶような重火器を携行する馬鹿があるか?
弾薬を守り、可能であれば犯人の身柄を確保する。それだけではないか。
と、散々愚痴ってやりたいのを溜息で相殺した、その時。
ヴィルの視界で動くものがあった。気づいていないふりをして、ヴィルはさりげなくそれを観察する。役に立たない相方は幸運にも、煙草をどこにやったか探すのに夢中だった。
警戒心が著しく低下しているが……まあ、自分の部下にこんな馬鹿がいないことを、ヴィルは心から感謝した。
あのサルのように動くモノとの邂逅こそが『出会い』の形なのだとしたら。
そう思うよりも速く、ヴィルは手刀を相棒のうなじに見舞っていた。腹部をヴィルに支えられ、音を立てずに相棒は横たわった。お陰で不用心な雑音を一つ抹消できた。
俊敏な動きをするモノは、ようやく事態に気づいた。しかし騒ぎ出すよりも僅かに早く、ヴィルの投擲した石が眉間に命中していた。
なんだ、やっぱり人間だったじゃないか。しかも子供。
ヴィルは子供を抱え上げてから、彼がやって来たのであろう獣道を見遣った。
しかし、かちゃり、という硬質な音が彼の足を止めた。
「カラシニコフか」
呟くヴィル。しゃがみ込んで見れば、そこには確かに、前世紀半ばから使われ続けている自動小銃が転がっていた。
※
「そのサル、というか少年がリエンだった、と?」
「そうだ」
私が端的に話をまとめると、ヴィルはしっかり頷いた。
「まあ、リエンという名前も俺がつけてやったんだが」
「だから名字がなかったのか……。でも、どうして彼をテントまで連れて帰ったんです?」
「敵性勢力に関する事情を知っている可能性があったからな。それに、少なくとも弾薬泥棒としては認められる。奇妙な話だが、彼は我々に罪人として捕縛されたことで、ようやく人権を得たわけだ。そして、然るべき教育機関に送られるはずだった」
神矢はぴくり、と自分の片眉が上がるのが分かった。
「はずだった、とは?」
「何があったのか、今になっては分からないが……。その時、リエンのシャツは血塗れだったんだ。俺の推測に過ぎないが、何らかの銃撃戦に巻き込まれていたのは事実だろう。他の村との抗争か、家族仲の悪化か、いずれにせよ、他人に見せられたもんじゃない」
私の脳裏に、ぶすっとした顔でパソコンに向かう浅黒い肌の少年の姿が甦る。最新技術の塊であるラップトップや立体映像を使いこなせる少年の過去に、そんなおぞましい影が付き纏っていたとは……。
「俺が今回の復讐作戦を立案した時、真っ先に連絡を取ったのがロブとリエンの二人だ。情報統制官として信頼できたのでな。ソフィアの身柄を安全に奪取するにしても、二人の協力は欠かせなかった」
その言葉に納得しかけた私の耳の奥で、もう一人の自分が声を上げていた。
いや待てよ。それは正義なのか、と。
私の脳みそのどこかの部署が、ヴィルの所業を否定しようと檄を飛ばしている。
私もものの考え方が偏向している。私はどこかおかしいんだ。
相手は凶悪な殺人鬼だぞ。そんな奴のために、どうして気を遣っているんだ?
私から見て斜め前方で、口元に手を遣っていたヴィル。彼が唐突に背を向けた。その先にはコーヒーメーカーがある。
チャンスは今しかない。いや、今があると捉えよう。ヴィルを倒し、この船を乗っ取る。私にだって、通常船舶の操船技術はあるのだ。
――殺してやる。そしてこの殺人鬼の復讐劇を終わらせてやる。
私はさっと二十二口径を抜き、ヴィルの右半身、その腰部に狙いを定めた。
これなら腎臓と肝臓を同時に破壊できる。即死させるのが不可能でも、一時間もあればヴィルとて動き回るのは困難になるだろう。
ああ、もっと早くにこうしていればよかった。
私は何を迷っていたのだろう? ヴィルの姿に、父と重なる何かを見出していたのだろうか? 体格的に無理はないかもしれないが、似ているのは外見だけ。中身は父とは全く違う。
その父さんが私と同じ立場だったら……? その答えはあまりに安直で、そして簡潔だった。
「……」
私は両手で銃把を握り、音もなく息を吸い、止めた。
※
結論から言えば、私によるヴィル射殺作戦は大失敗に終わった。
きっと殺気を感じたのだろう、ヴィルは半分ほどコーヒーを注いだカップを投げつけてきたのだ。こちらを振り返ることもなく。
湯気を立てる液体に、私は怯んだ。同時にヴィルはしゃがみ込み、もう一つの物体を投擲してきた。小型のナイフだ。
それは私の手にした拳銃に直撃し、見事に弾いてみせた。しかも、私の背後の壁にすとん、と突き刺さるだけの威力を維持したままで。
最早、私に彼を止めることはできない。
私が呆然と立ち尽くしていると、唐突に大きなノイズが響き渡った。ヴィルは舌打ちして、発信元を探り始める。しかし、探す必要もなかった。すぐさま敵の位置の測定が完了したのだ。
それでもヴィルは喜ぶわけではなく、かといって闘志を漲らせるわけでもない。淡々と、ノイズから切り替わった明瞭な音声に耳を澄ませる程度。それでもヴィルが、注意力を払ったのはここからだ。
《ヴィル・クラインに次ぐ。自分はGF所属の戦闘員、逢野來樹・二等陸曹だ》
女性の声? 随分低いが、確かにこれは男性ではなく、女性の声だ。
《私は第四埠頭で貴公を待ち受けている。そちらの位置は把握しているが、海保が動き出すまでにこの戦闘は終わるはずだ。一騎打ちを所望する。他者の存在は、貴公よりも優先して、先に私がこれを抹消する。この通信終了から、十五分間の猶予を与える。戦うなり逃げるなり、好きにするがいい。通信終わり》
プツッ、といって、通信は切れた。
「わっ、私は何を……?」
「第四埠頭で俺は陸に上がる。神矢、あんたはそこで離脱しろ」
「そんな!」
「これは俺の復讐なんだ。これ以上、他者を巻き込みたくはない。操船できるんだろう? ソフィアに任せてもいいだろうしな」
そう言いながら、ヴィルはホルスターを外した。そこにあったのは、拳銃用よりもより長さのある、頑丈そうなホルスター。
「情報によれば、なかなかやる相手のようだな。ナイフ使いなんだそうだ」
「だ、だったら銃器の方がずっと有利です!」
「どうかな。第四埠頭といえば、数年前に有害物質の流出事件があったところだ。調査に入った特殊部隊も呆れてものが言えない状況だったと聞いている。早い話、コンテナやクレーンや特殊車両の残骸がごろごろしてるんだ。身を隠しながらヒット・アンド・アウェーを繰り返していれば、弾切れの起こる銃器よりも対人ナイフの方が強くなる」
なるほど。ステージは既に相手に選ばれてしまっている、ということか。
「じゃ、じゃああなたはどうするんです?」
「俺の専門は銃器なんだがな」
そう言って、ヴィルは近づいてきた。私のそばに刺さったナイフを引き抜き、ホルスターに戻す――かと思いきや、それをさっさと地面に叩きつけてしまった。
そのまま床板に刃の半分が突き刺さる。
「ひっ! こ、これ、防刃ベストも簡単に斬れるっていう……!」
「まあな。ざっとあと四本はあるが」
そう言いながら、ヴィルはキャビン下部のスペースから一本、ナイフを取り出した。真っ黒な特殊化合物から成る、鋭利な金属の塊。その中で一番長いものだ。
自分が男性であることを意識しての選択だな。私はそう読んだ。
女性であれば、わざわざ重い、すなわち機動性に欠ける重いナイフを使うわけがない。たとえ、多少のリーチを失っても。
「これからナイフ馬鹿の首を狩りとってくる。あんたはここを動くな」
ナイフを右腰に、そして何故か左腕に小経口の自動小銃を握り、ヴィルは工場の岸壁に飛び乗った。
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