第12話【第三章】

【第三章】


「ん……」


 私が目を覚ましたのは、窓から日光が差してきたからだ。肩から下には薄めのブランケットがかけられていたが、自分でかけた記憶がない。

 ああ、そうか。昨夜はヴィルと話し込んでいたのだった。そのまま私が寝てしまったとすれば、ブランケットを掛けてくれたのはヴィル……なのか。


「ヴィル?」


 小声で呟いたものの、返事を寄越す者はない。

 キャビン内部を見回す間にも、窓から差し込む白光は勢いを増していく。

 念のため小型端末で確認すると、午前五時半とのこと。

 日常的には、午前五時ちょうどに起床することを基準にしているので、今日はだいぶ出遅れた感がある。


「ああ、そうか……」


 眠る直前のヴィルとの遣り取りを思い出し、私は少しばかり赤面した。

 話すだけでなく、背中を擦ってやっていたのだった。


 いったい私は何がしたいのか。言い換えれば、何を正義と見做しているのか。

 考えれば考えるほど頭痛が激化しそうなので、私はかぶりを振って雑念を振り落とそうと躍起になった。


 念のため、負傷の具合や四肢の状態を確かめたが、問題なしと判断できた。

 立ち上がり、伸びをする。少しばかり筋肉に余計な張りがあるようだが、ストレッチすれば大丈夫だろう。


 本当は朝食前の冷水を一杯、所望したいところ。いやいや、それはないな。私は飽くまでも、ヴィル一味の人質なのだから。


 スクワットをしていると、もう一つのキャビンに通ずるドアが開き、誰かが入ってきた。


「あれ、リエン。おはよう。朝早いのね」

「……ああ」


 船体のオペレーターは、なかなかの早起きが要求されるものらしい。


 実際はロブも起きていて、電波妨害の発信やら盗聴やら、あまり褒められたものではない作業に従事しているのだそうだ。


 それを聞いた私は、リエンにもう一つ尋ねることにした。


「ソフィアは? まだお布団の中?」

「はぁ?」


 いやいや、突然『はぁ?』と逆質問されても困るのだが。


「会いたきゃそこから船首に出てみな。今日もきっとそこにいるだろうから」

「へえ、そう。分かったわ、ありがとうね、リエン」

「べっ、別に。俺は知ってるから答えただけだ。あんたのためを思ってなんて……」


 最後の方は小声になってしまい、最早言葉としての意味合いを失っていた。

 朝っぱらから何を考えているのやら。


 私は深呼吸を繰り返し、ぱちぱちと自分の両頬を叩いてから、船首へ繋がるドアを開けた。僅かに海水が船首で跳ねて、私の頬を軽く打つ。いい天気だな、と人質に非ざる感慨を抱く。


 顔を上げると、そこにいたのはやはりソフィアだった。軽そうな、しかし超精密であることが窺える、黒い立方体を抱えている。

 大きさは一辺二十センチと見込んだが、こんな謎の機材を前に、何をしているのだろう?


「おはよう、ソフィア」

「あっ、忍。おはよう」


 振り返った拍子に、ソフィアは私をファーストネームで呼んだ。

 実に久々だな、『忍』と呼ばれるなんて。


 海風に揺れるソフィアの銀髪は、周囲の悪意を遠ざけ、航行の安全を祈願する一種の巫女装束のように見えた。

 だがそれだけではない。彼女が船首にいれば、敵は間違いなく先制攻撃を躊躇うはず。子供がいるんだぞ、ということをわざと知らせ、隙をつくことができる。


 しかし、私は考えていた。その『盾』の効果がどれほどのものか。

 いいや、そんなことより、どうしてこんな子供が戦場に駆り出されなければいけないのか。


「ソフィア、ちょっと」

「何?」

「こっちへ来て。キャビンに入るよ」


 私はソフィアの手を取り、上下左右に視線を巡らせた。誰もいない。ドローンの気配もない。軽く息をつき、ソフィアを船内に引っ張り込む。私の日頃の行いがよかったのか(いや偶然か)、リエンの姿はこの場になかった。


「さ、ソフィア。座りなさい」

「どうしたの、忍?」

「いいから!」


 ソファにソフィアを座らせた私は、黒い立方体を受け取ってテーブルの上に置いた。


「ソフィア、あなたはどうして戦っているの? 言っちゃあなんだけど、あんなところに一人でいたら、すぐに撃たれて死んじゃうわよ」

「えっ、でも皆が戦ってるし、あたしだけ働かないのはおかしいよ」

「あなたは武器を持っていないの。拳銃なんて使えないでしょう? でも敵は、完全武装してやって来る。拳銃どころか、自動小銃や爆弾を使える。その意味、分かってる?」

「分からない」


 しめた。これならまだ、ソフィアを言い負かして戦場から遠ざけることができる。


「ソフィア、死んじゃうのは怖いよね?」


 ソフィアはこくこくと頷いた。


「だったらあなたは隠れていなさい。もしヴィルやロブに前へ出ろって言われたら、ちゃんと断って。神矢に叱られた、って言っていいから」


 しばしの間、ソフィアは私の瞳を覗き込んでいた。さっと手を差し伸べて、長くてしなやかな銀髪を撫でる。

 そうしている間に、隣のキャビンで人の気配がした。足音からするに、ヴィルとロブだな。


 いきなり話に巻き込んでしまって、ソフィアには申し訳ない。だが、今の私とソフィアの会話の流れを断ち切るわけにもいくまい。

 ええい、こうなったら荒療治だ。


「ソフィア、心配しないで」

「うん?」


 首を傾げてみせるソフィア。軽く彼女の頬を指でなぞってから、私は作戦に移った。

 隠す必要などないと判断されたのか、予備の拳銃がパソコンの反対側の棚に仕舞われているのを、私は見逃していなかった。それを取り出し、残弾を確認。そしてセーフティを解除。もう片方の腕でソフィアを引き寄せ、その首に腕を回した。


 じっと扉の向こうに意識を集中させつつ、パンパンパン、と天井に向けて三連射。すると案の定、がこん、と凄まじい音を立てて扉が開き、ロブが拳銃を構えて現れた。


「全員そこを動くな!」


 一気に緊張の輪が広がっていく。ロブ自身は極めて落ち着いているが、場慣れしていない私は、ぞっと背筋が冷えるのを感じた。


「おいおい、朝っぱらから何やってんだ? こちとらガキの遊びに付き合ってるほど暇じゃねえぞ」


 ロブの背後から、ぐだぐだしながらヴィルも現れた。片手でオートマチックを握っている。

 きっと威力の高いリボルバーは使わずに、というか一発も発砲せずに事を収めるつもりなのだろう。

 というか、どうして上半身裸なんだ。露出狂なのか、こいつは。


「ソフィアを離せ、神矢一尉!」

「断ります。こんな子供を前線に立たせるなんて、正気の沙汰ではありません。人間ではなく、怪物の所業です。敵を攪乱するためとはいえ、ソフィアを船首に立たせて囮にするのは止めなさい。そしてそれを確約して。今すぐ!」


 私は唾を飛ばしながら喚き立てた。しかし、ヴィルもロブも、じっと冷たい視線を寄越すばかり。やがて、ヴィルはやれやれとかぶりを振ってこう言った。


「ロブ、ここは任せろ」


 次の瞬間、ヴィルの姿が消えた。勘だけを頼りに見上げると、天井の配管に掴まってぐっと身体を丸めている。


「悪いな、神矢」


 慌てて銃とソフィアを手放し、頭上で両腕を交差させる。もし一瞬でもこの動作が遅れていたら、私の頭、とりわけ前頭葉はぐしゃぐしゃになっていたに違いない。

 何せヴィル渾身の、斜め上方からの蹴りが直撃していただろうから。


「ぐうっ!」


 予想以上の圧力。私の両腕は簡単に解かれ、しかし追撃される間もなく、私は意識を失った。


         ※


「……だから、ちゃんと説明するんだ! 神矢一尉が納得できるように!」

「説明も何もないだろう、ソフィアは俺たちが例の研究所から連れ去ってきたんだ。アイツ、余計にキレちまうぜ」

「しかし何も言わないよりは……」


 ふむ。私はまた気を失ってしまったのか。情けない……。

 だが、覚醒は早まっている。それは身体だけでなく、脳みそにも言えること。

 話しているのはヴィルとロブで、二人きりだからか、英語で互いにまくし立てている。


「ふぅん、そういうことね」


 私は敢えて日本語で声を立てた。そのままゆっくりと、しかし堂々と立ち上がる。

 それでも私の身長は、男性二人よりだいぶ低かったが。


「神矢一尉、聞いていたのか? いったいどこから……いや、ん……」

「ほらな? ただの一兵卒じゃないんだ、神矢って奴は。その情報が必要だと思ったら、ちゃんと耳に入れやがる。気絶している間にもな」

「つまり、こういうことでしょう?」


 私はキャビンの余ったスペースを歩き回りながら語り始めた。


「つい先日――二週間ほど前になるかしら? 主にアンドロイド用の部品として使う半導体の研究施設が何者かの襲撃を受けた。犯人はあんたたちだったのね?」


 黙り込むロブ。長い息をつくヴィル。


「聞かせてもらうからね? ソフィアが何者で、どうしてあんたたちが誘拐する気になったのかを」

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