第7話【第二章】
【第二章】
「……よし!」
「どうだリエン、日の出までに着岸できそうかい?」
「あったりめぇよ! ちょうどよく霧も出てるしな。ロブ、あんたもそう思うだろ?」
「だ~か~ら~、目上の人間には敬語を使えと何度も言ってるじゃないか」
と、いう遣り取りが圧縮して耳から脳へと入ってきた。
自分の様子はどうなっているのだろう? 海保を追い払って、シャワーを借りて、下着とパジャマを着て――。
ああ、結局はリエンを口論で打ち負かして、ソファを占拠したのだった。
「ん……」
「おっと、お目覚めかな、お姫様?」
私は欠伸と苦笑を同時に放つという、よく分からない呼吸で肺に酸素を叩き込んだ。
「どうもすみません、随分休ませてもらっちゃって……」
「構わないよ、人質の扱いには随分気を遣っているからね。ミネラルウォーターを取ってこよう」
「あっ、ど、どうも……」
すっかりぐしゃぐしゃになってしまった髪を無理やり手で梳きながら、私は上半身を上げた。すると、自分と目が合った。いや違うな、これは鏡だ。手鏡ではなく、壁に埋め込むような大きなもの。
「むにゃむにゃ……ん?」
すっと眼球を移動させると、今度はリエンと目が合った。妙に頭に血が上っている様子だが。
「あら、ごめんなさい。結局借りちゃったわね、このソファ」
「……」
「でもお陰でゆっくりできたわ。ありがとうね、リエン」
「べ、別に俺が決めたわけじゃねぇし!」
随分尖ったことをおっしゃいますこと。
ツンデレという概念は世界共通で存在するものなのだろうか。
そんなことを思った矢先。
鏡の中で、リエンがぱっと顔を赤らめた。何かトラブルだろうか? それにしては、船全体が静かだな。
リエンの視線を追って、改めて鏡を凝視する。そしてそこに、自分の胸部が映されていることに気がついた。あ、そういうことか。
「ふふ~ん?」
私は嫌味っぽい笑みを浮かべてみせる。
「やっぱり気になるかしら、私の――」
「もういい! 黙ってくれ!」
リエンは回転椅子をくるりと反転させ、私と私(鏡に映った方)の視界から外れた。
ここでロブが戻ってきてくれたのは、実にタイミングがよかった。リエンという少年、からかい甲斐がある。
「って、待てよ」
「ん? どうした、神矢嬢?」
「あ、いえ……」
私は何をやっているんだ? 自分は人質なのだから、この場にある様々な道具を用いて脱出を試みるのがセオリー。
そんなこと、どれほど幼い子供にだって察せられるところだろう。ソフィアのような年頃だったとしても。
しかし、何故か私はヴィルと、そしてその味方である彼らと共にいることに、何らかの落ち着きというか、安心感を覚えている。
仲間たちが負傷させられたにもかかわらず、である。
もしかしたら、ヴィル・クラインによる不殺の精神とやらに感化されたのかもしれない。
「そういえばヴィル、いい匂いがするな! 今日の朝飯は何だ?」
すると、暖簾(いつの間に提げられたんだ?)の向こうからひょいっとヴィルが顔を出した。
「ただのスクランブルエッグとベーコンだ、リエン。さして金も手間もかかってない」
「それであんな美味いもんを作るんだから、やっぱりあんたの腕は確かだな! いっそ国に帰って、料理屋でも始めたらどうだ?」
するとヴィルは、一瞬真顔になってから口元を緩めた。悪くないかもな、と呟く。
奇妙な微笑を浮かべたヴィルだったが、一瞬真顔に戻った。
私はそこに、ヴィルの本質を見た気がした。
殺人鬼。復讐鬼。破壊者。言い様はいろいろあるだろう。とにかく、首筋から嫌な汗が滴るのは自覚できた。
しかし――人間としての直感に過ぎないが――、今のヴィルの無表情が、どうにも気になった。そもそも、皆がどんな理由で戦っているのかが分からない。ヴィルははっきりと狙いを定めているようだが、これもまた、私には明らかにされてはいない。
もしかしたら、あまりにも辛過ぎてヴィル本人もなかなか話せずにいるのかもしれないな。私は黙って考え込んだ。
「……」
「おはようさん、人質閣下」
「……」
「んあ? おい、どうした神矢。会心の出来だぞ、今日の俺のスクランブルエッグは。食わないのか?」
「うわっ!」
「うおっ!」
びくり、と肩を震わせた私に驚きを重ねて、ヴィルは短くバックステップ。
「お、驚かせるなよ……」
「そっ……、それはこっちの台詞です! 私だって、生きてこの船から降りれるとは思ってませんから!」
「そんな物騒なこと言わないでくれ。ああ、ちなみに皆人質の飯に毒を盛るような卑怯者じゃないから、安心してくれていいぞ」
私は、そういう問題ではないと怒鳴りつけてやりたかった。だが、ヴィルが無感情ではないことを認め、怒りが引っ込んでしまった。
それは、娯楽のようなもの。楽しみというか、期待感というか。少なくとも、猛禽類のような鋭さは見られない。
「さあ、皆はダイニングに集まってくれ。リエン、作業の方は?」
「はぁ? 飯食いながら作業なんてできるかよ」
「ふーむ、できれば冷める前に食べてほしいんだがなあ。お、やっぱり美味しいな」
勝手に味見をしてから、憐みを乞うような声音でロブが言った。……いや、待てよ。
「計器類を見てればいいんですよね? じゃあ、私がリエンくんの代わりに画面を見てます」
「おいおい神矢、分かってるのかい? 君は人質の立場なんだよ?」
「大丈夫ですよ、ロブ。勝手に進路変更したり、暴走させたりはしませんから」
「ま、まあ、それは有難いが……」
しばしの沈黙。いつの間に起き出したのか、ソフィアが冷蔵庫から牛乳を引っ張り出して、自分のカップに注いでいる。
「……分かったよ。この船の通信状態や電子部品の操作履歴は、ブラックボックスに残ることになる。神矢、君が常軌を逸した行動に出れば、すぐにステルス迷彩を解除して、海保に包囲してもらうことも可能なんだ。第一、ここで僕が見張ってるわけだしね。それでもいいのか?」
「ええ」
私は敢えて、男性陣がよくやるように肩を竦めてみせた。
「……だそうだ。僕は神矢の意見に従おうと思うが、ヴィルやリエンはどうする?」
「お前に任せるさ、ロブ。俺は朴念仁で有名だからな」
「お、俺も異議なし! ってか、まだ朝飯食ってねぇし……」
「決まりだな」
そう言ってロブは早々に結論を出し、二人分のスクランブルエッグをそばのデスクに置いた。
※
それから数分の食休みを挟み、ロブが声を上げた。
「さて、役割分担だが、僕とリエン、それにソフィアが陽動係だ。一旦ヴィルと神矢を降ろすのに、岸壁に接近する。ここで、今までギザギザに航行してきたのが効果を発揮するわけだ」
確かに私が起き出してから、船が奇妙な揺れと共に進行しているのは感じていた。
あれは一体何だったのかと言うと、金属に反応する機雷を敷設していたのだという。
信管は抜かれているものの、そこに詰め込まれているのは非水溶性の煙幕弾成分。僅かでも海保の船舶を混乱させられれば、自分たちも早々に脱出できるというわけだ。
問題は、ヴィルと私の装備をどうやって持ち運ぶか? ということ。
当然だが、私にヴィルほどの体力はない。それでもなんとかしてやろうと思えたのは――もしかしたら、父が背中を押してくれていることの証明なのだろうか。
「行くぞ、神矢」
「ええ」
ヴィルが敢えて気遣いをしなかったことに、私は何故か安心感を覚えた。
※
私たちは、真夏にしては野暮ったい服装をしていた。半袖に切った裾の長いジャンパー。季節外れの分厚いコンバットブーツ。それにバックパックだ。
ジャンパーはフードが取り去られていて、代わりに薄手のズボンを活かし、拳銃と弾倉を二丁、背後のベルトに挟んである。やや伸びた裾にはコンバットナイフを一丁搭載。
バックパックには、組み立て可能な自動小銃が収納されている。私とヴィル、どちらか片方が組み立て役を担い、もう片方が拳銃で敵を牽制する。
それが、私とヴィルで立てた作戦だ。
「見ての通り、このあたりは立派な繁華街だ。目立たないように動け」
「了解」
目立たないように、というのは何かの陰でコソコソすることではない。ここに自分がいることを、当然だと思いながら道を歩んでいくことだ。要は自信の問題である。
「ところで、目的地はどこなんです、ヴィル?」
「俺は世界中にセーフハウスを設けているが、最寄りの候補はとっくに決まっている」
「日本国内ですか」
「そうだ。これ以上は、今は話せない」
それはそうだろうなあ。私など、昨日会ったばかりの自衛官である。敵対組織の人間なのだ。そんな人物に、セーフハウスの場所を教えるなど愚の骨頂だ。
裏道に入り、古びたマンホールを回すヴィル。
「今は使われてない下水道だ。ここから行ければ――」
と言いかけたところで、ヴィルの言葉は遮られた。耳をつんざくような、強烈な警報があたりに鳴り響いたのだ。
「こちらは警察だ! 両手を上げて外に出ろ!」
「どっ、どうしましょう、ヴィル!」
「あんたは自動小銃を組み立てろ。その間に、俺は片方を潰しておく」
私は思い知らされた。これが実戦を経てきた人物の冷静さであり、世界を敵に回してきた男の鋭利さなのだと。
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