1-3.帰途
***
「で、先生。これってどっちの勝ちですか?」
クラスの魔法使いの一人が、担任の教師に向かって尋ねた。教師はその声に苦笑を浮かべながら、教室の後方に目をやった。そこには、机や椅子が散乱し、床には倒れたままの俺と不良生徒が横たわっていた。
「うーん、両成敗かな」
教師は軽く肩をすくめながら答えた。どこか投げやりなその態度に、俺はまた一つ諦めの感情を覚える。
この学園では、魔術の才能が可視化された「紋章」という魔術師の身体に刻まれたあざと、それを操る技術によってクラス分けがされている。
ここはFクラス。最底辺の最底辺だ。教師もまたこのクラスに対してモラルだとか良識を求めないほどにはこれを日常として受け取っていた。
不良生徒と俺は、教室の冷たい床に這いつくばったまま、鳴り響くチャイムの音を聞いた。いつもと変わらない日常が、またここにあった。
「お前……本当にロストか……?」
不良生徒が、内出血で腫れ上がった顔を拭いながら、俺に問いかける。俺もまた、唇が切れて血が滲んでいた。
「まぁ、一応……」
自嘲気味に答えながら、俺はゆっくりと立ち上がった。喧嘩で魔術師相手に引き分けられたって、なにか得があるわけじゃない。
体が無意味に痛くなり、友達が減るだけだ。
ここは鴨野橋魔法高校一年F組。魔法使いのなりそこないと、底辺の魔法使いたちが集まる教室だ。俺はその中でも、さらに底辺に位置している。魔術の才能がなければ、ここでの発言権は無い。
ただ、この何もない日々が続くだけだ。少なくとも、そう思っていた。
「――で、それからどうなったの?」
放課後、正門前で待ち合わせていた幼馴染の真田(さなだ)みくが、興味深そうに問いかけてくる。彼女のメガネの奥から覗く目つきが、まるで楽しんでいるかのように光っていた。
「どうもこうもないだろ、喧嘩両成敗。仲良く反省文で終わりだよ」
俺は包帯を巻いた手をポケットに突っ込んだまま、少し疲れた声で答えた。自嘲気味に笑いながらも、真田の目の前で弱音を吐くのはなんだかしゃくだった。
「なんだ、また荒れてみるのかと思った」
くすくすと微笑みながら、真田は俺の隣を歩く。三つ編みの髪をなびかせ、どこか余裕のある笑顔を浮かべている。幼い頃から変わらない、その飄々とした態度に、俺はいつも振り回されてきた気がする。
「死にたくなるようなこと言うなよ」
俺はため息混じりに言った。だが、真田の返答はいつも通り軽いものだった。
「百々目は、死ねないでしょ」
彼女の声は冷静で、どこか挑発的だった。俺の目を見つめながら、ふっと薄く笑う。その言葉が、まるで俺の内面に潜む何かを知っているかのようで、不快な感覚が背筋を駆け抜ける。
夕焼けに照らされる真田の横顔は、相変わらず嫌になるほど整った顔立ちだ。まるで作り物のように完璧で、感情の読めないその表情に、俺はどうしても居心地の悪さを感じてしまう。
「……。うるさいな」
俺は目を逸らし、歩みを速めた。何も言い返せず、ただ彼女から逃げるように前を向く。
「あはは」
真田は軽やかな足取りで俺の前に回り込む。彼女のステップは軽く、まるで世界の重苦しさなんて全く感じていないかのようだった。
「ところで、百々目、こんな噂を知ってる?」
にこにこと地味な眼鏡の向こうから真田が語り出す。
「……興味ないけど、聞くよ」
俺が諦めたように答えると、真田は目を細め、噂話を語り始めた。
「この街には、『悪の秘密結社』が存在するらしいよ」
声を落としながら、彼女は慎重に言葉を選んでいた。まるで誰かに聞かれたくないかのように。
もしくは、某都市伝説の番組のナレーターの物まねだ。
「それは、テロリストみたいな派手なものじゃなくて……静かに、秘密裏に動いている。彼らはこの街、いや、この世界を飲み込もうとしているんだって」
真田の言葉は、一見すると冗談のように聞こえるが、その声にはどこか冷たい響きがあった。それに俺は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ背筋が凍るような感覚を覚える。
「で、その秘密結社は、魔獣を利用して魔法使いを襲うらしいの。そして、魔術の力を吸収して自分たちのものにしていくんだってさ」
真田の顔には笑みが浮かんでいるが、その内容は決して笑い事ではない。俺の中に、わずかながらの不安が芽生えた。
「馬鹿馬鹿しい話だ」
俺は鼻で笑ってみせた。だが、内心では、何かが引っかかっていた。
「治安維持隊の人も実際に襲われてるんだって!」
真田はふっと微笑んでそう言った。まるで他人事のように。
素っ気ないふりをした俺に、「真面目に聞いてよ~」と言うその顔こそが真面目ではないようにも見える。
「――まぁ、噂だけど……百々目なら信じてくれるかなって」
その言葉が妙に軽く聞こえるのは、真田があえて軽く振る舞っているからだろうか。
「噂っていうか、怪談とか都市伝説だろ?」
俺は少し冷めた調子で応じた。まだ確証もない。噂の出どころもわからない。
だけど妙なシリアスさの語りに、平静を装う。こんなのにビビる様子を見せるのは、恥ずかしい。
「そうとも言うかもね」
真田は笑顔を崩さずに答えた。
夕焼けが徐々に街を赤く染め上げていく。俺たちの影が長く伸び、沈む太陽に吸い込まれるように消えていく。
どうでもいい日常に、今日もまた一日が暮れていく。
俺は、それが一番いいと思う。
「いや、そうとしか言わない」
俺は苦笑いを浮かべながら、真田を振り切るように歩幅を広げ、からかった。
真田が追いつくようにすぐに歩調を緩めると、今度は真田が追い越して笑う。そうしているうちに自然と追いかけ合いが始まり、それは真田の家の前まで続くのだった。
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