1-2.朝霧百々目


 ***


 話は数日前にさかのぼる。

 まずは自己紹介をしよう。

 俺、朝霧 百々目(あさぎり どどめ)は鴨野橋魔法学園かものはしまほうがくえんに通うFランクの魔術師だ。

 ……いや、正確には「魔術師」と呼ばれているだけの存在。魔法はほとんど使えないし、周りの連中からは「欠け紋ロスト」と馬鹿にされている。肩身の狭い生活だ。


 もちろん、食べることに困るほどじゃない。だが、贅沢なんて夢のまた夢。中の下を滑るような人生だ。何か特別なことがあるわけでもない、ただの日常。だが、悪くはない。何もないけど、そこにはささやかな安定があった。

「無能」と呼ばれることにも、正直慣れっこだ。最初は腹が立ったり、情けないと思ったりしたが、今ではそんな感情も薄れてきた。

 クラスメイトたちは俺を軽んじるし、教師たちも同じだ。Fランクという烙印を押された以上、俺の社会での価値はそんなもんだ。

 平凡だが、妹と共に生きていく日々。それが俺の目指す未来だった。

 これは、そんな俺の日常から語り始めることになる。

 そんな話。


 ***


「オラ、欠け紋ロストはとっとと焼きそばパン買ってこいやぁ!!」


 どげしっ。

 不良の生徒に勢いよく蹴飛ばされた少年が、ひぃひぃ言いながら教室を飛び出していった。背中を丸め、逃げるように走るその姿を、まるで小動物でも見るかのように教室中の笑い声が響く。


「ひゃはは、タクちゃん容赦ねーっ! あははは!」

 タバコを片手にした取り巻きの生徒たちが、くだらない冗談を飛ばしながらゲラゲラと笑い声を上げる。彼らにとっては、これが日常であり、何も特別なことではない。

 高等部に進学して数週間が経ち、クラス内の上下関係はくっきりと「魔術の才能」という一点で区切られた。


「いやいや、欠け紋ロストなんてのは社会のゴミなワケ。つまり俺らボランティアで掃除してやってんのよ! ぎゃははははは!」

 側頭部を刈り上げ、耳にはやたらと目立つピアスをつけた不良が、ゲラゲラ笑いながら太ももを叩いていた。その笑い声は、教室全体に響き渡る。クラス全員が、何も疑問を抱かないかのように、その光景をただ見つめている。


 ――紋章魔術もんしょうまじゅつが使えない人間は「ロスト」と呼ばれ、社会の最底辺に位置しているってわけだ。才能を持つ者と持たざる者。この明確な構図の中で、俺たちロストはどうしようもない存在として扱われている。

 中途半端な力と比例するように、どこにも居場所がない閉塞感はきっとロストならだれもが共感してくれるだろう。


 そんなことを、ぼんやりと考えていた時だった。


「おい、テメェも欠け紋ロストなんだって?」


 不良の一人が、俺に目を向けて声をかけてきた。ガラの悪い笑顔を浮かべ、あからさまに侮蔑を込めた目つきで俺を見ている。


「……だとしたら?」


 俺は軽く応じたが、心の中ではすでに諦めが広がっていた。今さら何を言ったところで、相手の態度が変わるわけじゃない。そんなことはわかっている。結局、この社会ではロストはいつも下に見られる。


「パシリにしてやるよ。欠け紋ロストのくせに生意気な顔しやがってよ」

 薄暗い路地でも廃墟でもなく、ここは普通の教室だ。それも、授業中のはず。だが、そんなのは関係ないらしい。不良たちは、この空間を自分たちのもののように支配している。


「力尽くでやってみろよ」


 俺は冷たく言い放った。どうせ、勉強なんてする気もない。相手が何を言おうが、どのみちこの関係が変わることはないのだから。少しばかりの反抗心だけが、俺の中に残っていた。



 ***

「皆さん、ここで歴史についておさらいしておきましょう」

 教師が黒板へチョークで歴史の概要を書き連ねながら解説する。

「統一歴元年。

 今から2000年以上前の話です。

 その時代、世界は未曾有の大戦争に見舞われていた。人々が語り継ぐところによれば、それは本当にひどい有様だったといいます。


 その戦争の中心にあったのは、「世界樹の実」でした。長く続いた戦争の理由が、この一つの果実だったとは、今思えば皮肉なものです。

 三つの大国がその力を巡って争い、果実の持つ莫大な魔力を手に入れようと血を流し続けていたのです」


 教室の後方では、蹴りを受け止めた俺の足払いで態勢を崩した不良のタクちゃんが盛大に背中を打ち付けた「ゴン」という音が響く。

 魔力によって身体を強化された魔術師にとっては、この程度「ただ痛い」だけで、決定打にはなりえない。

 俺は気を引き締めて構えなおし、跳ね起きるタクちゃんの攻撃に備える。


「ですが、戦争が最高潮に達した頃、世界樹が朽ち、枯れかけました。根源たる魔力の源が失われると、世界そのものが崩壊するかのように、全てが狂い始めました。

 海は荒れ狂い、火山の噴火は激化し、大地では命を賭けた殺し合いが止まらなくなったのです。

 魔力が暴走してしまうと、世界の法則が歪んでしまう。ということが分かりますね。


 そこで、三つの王国の王たちは、ついに戦争を止めることを決意しました。

 彼らはそれぞれ、自らの命を世界樹に捧げることで戦争の終結を誓い、数十年数百年も続いたと言われる滅亡戦争が終わったのです。

 王たちの犠牲によって世界樹は再び力を取り戻し、海と火山はその暴走を鎮めたといいます。

 その瞬間七色の光が世界中を包み込み、世界は静寂を取り戻したということです」


 大振りのキックやパンチは隙もまた大きいことを学んだ不良が、速く鋭いジャブを繰り出し、それが俺の頬に打ち込まれる。

 とっさに後ろに下がるが、口の中には血の味が広がり、不快感が沸き上がる。

 そろそろ終わらせないと、こちらが体力を消費しきって一方的に攻撃されてしまう……!


「こうして、長く続いた戦争はようやく終わり、代わりに「紋章魔術もんしょうまじゅつ」という奇跡が世界に降り注ぎました。人々はこの奇跡に感謝し、平和の時代が訪れたのです」


 その戦争から2025年が経って、世界は戦争の跡も感じさせない発展をしていた。

 今では都市開発が進み、鉄筋コンクリートの建物が空を突き抜け、アスファルトの道路が無数に敷かれている。発動機や電気エネルギーの力を借りて、技術は飛躍的に発展した。だが、それでもなお、「紋章魔術もんしょうまじゅつ」はこの世界で特別な地位を保ち続けている。

 維持部隊や役所の職員に至るまで、公的な業務に従事する魔法使いたちは、その力によって他の人々よりも優遇された生活を送ることができる。


 統一議会は、その頂点に立つ魔法使い集団である。彼らは世界の秩序を管理し、魔術の力を基盤に社会を動かしている。魔法使いが上に立つこの世界では、それが当然とされている。魔術が存在する限り、この秩序は揺るがない。


 だから、また世界樹の実が実れば世界は今度こそ変わる――。

 今度こそ、こんな理不尽が終わると信じる奴らが、陰で蠢き始めていた。


 ***

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