第2話 甘い罠
勲章をもらった時のことを夢で見た。ジェニファー王妃と目が合った。その時彼女は俺に微笑みかけた。小柄だが豊満な胸で男好きしそうな体。金髪に青い瞳の絵に描いたような美女。だけど楚々とした雰囲気のおっとりした印象を受けた。お育ちのいい苦労知らずの女性。そう思った。それに反して国王は神経質そうで俺を睨みつけていた。しぶしぶといった感じで勲章を俺の胸につけたのだった。
「これからも魔王征伐のために勇者によく助力するように」
あえて勇者の名を出すあたりに国王からの無形の圧を感じた。召喚した勇者ではなく、そのおまけが成果を出したのだから国王としては面白くないのだろう。夢の中なのに俺はこれからのことを考えて憂鬱になった。そしてここからは現実では起きなかった話だ。王妃と再び目が合った。その時に唇が動いたのだ。
【稀人の王子。流離譚を高らかに謳い給え】
なんだろう。一体何のことなのだろうか?王妃は何を言っているんだ?これは夢だ。でもこれはきっといつかの出来事で…。
「馬鹿馬鹿しい」
今朝の夢見は悪かった。きっと枕が変わったせいだ。俺は特殊作戦遂行後、所属が勇者一行から陸軍に変わり王城近くの官舎に住むことになった。階級は少佐。給料も出る。今までとは大違いの待遇だ。部下も増えた。俺は陸軍に特殊作戦群を創設する仕事に携わることになったのだ。それは第一王女のエリザンジェラの意向が強く働いたそうだ。
「園遊会は楽しんでいるか?」
王城の中庭の隅でちびちびとお茶を飲んでいた俺にドレス姿のエリザンジェラが話しかけてきた。母親にの美人で金髪碧眼の美少女。だが母親よりも身長は高い。
「ぼちぼちですね殿下」
俺は陸軍の礼服の詰襟を纏って園遊会に参加している。本当は断りたかったが、王族からのお誘いを断れるほど傲慢じゃない。
「やはり気にしているのか?勇者一行を」
エリザンジェラの視線の先には着飾った勇者の浅見と聖女のレナオがいた。二人は貴族のご令嬢や坊ちゃんたちに囲まれてちやほやされていた。
「所属を変えた殿下ならわかってるでしょ。勇者は俺のことを面白く思っていない」
「まあ本来ならばお前は勇者のサポートを行うはずだったのだからな。向こうから見れば手柄を横取りされたような気持ちになるのだろう。はっきり言って幼稚だがね」
「出来ればそこを配慮して俺を招待するのはやめてほしかったんですけどね」
「それでは王国の面子が立たんよ。功績を上げたものを疎んじたのであれば、他の者の士気も下がる。わたしも騎士だからそこら辺の機微はわかるつもりだ」
このエリザンジェラは帝王学をきちんと身に着けたのだろう。為政者としての振る舞いがよくできている。軍も彼女をよく慕っている。
「正直に言えばお前が勇者であったならばと思うよ。お前は他の者たちとは違う。きちんとした帝王学や科学、文学などの教養を受けたのだろう。お前の親御さんは素晴らしい人たちだと思う」
「ドーモアリガトウゴザイマス」
俺に帝王学や教養を仕込んだのは叔母だった。あの人は俺に性的虐待をしつつも教育には金をガンガンかけていた。一体何がしたいのか、今でもさっぱりわからない。
「まあ話を変えよう。お前たちの世界の米国における特殊作戦についてのレポートを読ませてもらった。こちらの世界にはない概念だった。我々は早急に近代化を進めなければいけない。とくに今のような王室直属の軍と諸侯軍の寄せ集めの体制では魔王戦争を勝ち残ることは出来ない。お前ならば今後どうする」
「貨幣経済を押し進めて諸侯の土地からの上がりを潰します。いまの魔法に頼る手工芸のような生産体制ではなく、資本を背景にした工業化が必須です。そのために第一段階として戦争を大義名分として貴族から」
「何をおはなししているのですか?」
俺とエリザンジェラのお話に混ざってくる者がいた。ジェニファー王妃がニコニコとした笑みでいつの間にか俺たちの傍にいた。
「母上。わたしたちは政治について談義しておりました。異世界の知見を利用してこの国をよりよくする方策を考えていたのです」
「異世界の知見ですか?ああ!エリザンジェラがこの間言っていた「きんだいか」ですね。まあ。わたくしにはむずかしくてよくわかりませんでしたけど」
まあ近代化の話をこの世界で理解できる奴はほとんどおるまい。封建制ががっつり人々を支配しているのだ。むしろ俺のレポートを読んですぐにその重要性に気がついたエリザンジェラが異常なだけだ。
「でもこんなわたくしにもわかることはありますわ。ここは園遊会なのですわ。そんな難しいお話ではなく、もっと楽しいお話をする場なのですのよ。お二人ともお年頃の男女とは思えないほどかわいくないお話をしている御自覚はあって?」
なんというかこの人と話しているとふにゃふにゃな気持ちになってくる。場を和ませるのが上手いのは間違いない。だけどのほほんとしている雰囲気が緊張感も奪っていって個人的には面白くはない。
「ねえ令勅さま。わたくしは母としてエリザンジェラが心配なのですわ。この年になっても初恋の一つも知らず、いつもいつも戦争のことばかり考えて。お嫁さんになれなくなってしまったらと思うと。およよ」
可愛らしく表情がコロコロと変わる。
「母上。今は戦時です。わたしは王族として民を守る義務があります」
「それは殿方のお仕事ですわ。あなたは殿方が命を削って武功を競い合う中に王族だからと下駄を履かされてひっかきまわしているのですのよ。自覚はありまして?」
なんか痛いところをついてくるな。
「女には女のなすべきことがありますの。殿方が戦に出ている間は家を守るのがわたくしたちの仕事ですわ」
「それでもわたしは戦います!誇りにかけて!失礼します」
エリザンジェラは機嫌を害しただろう。俺たちの傍から離れていった。
「まったくあの子は。義務だの誇りだのと言うのであれば、女の務めを果たしてから言うべきです。そうはおもいませんこと?」
「俺は男なので女の務めがよくわかりません」
「あらひどい人!煙にまこうとしているのですね!このわたくしは王妃ですのよ!もっと敬いなさいな!」
ジェニファー王妃は俺の肩をポンポンと叩く。痛くもかゆくもない。だがくすぐったさだけは覚える。
「俺はこの国の臣民ではないので」
「でも男でしょう。女が機嫌を損ねたのです。ちゃんとわたくしのご機嫌をとってくださいまし」
ああ言えばこう言う。なんかおもちゃにされてる感ある。だけど雇い主の奥さんだ。ご機嫌はとっとかないといけない。俺は王妃の手を取る。
「あら?」
「踊りましょう」
俺は強引に王妃をダンスの輪に連れていく。そしてカノジョと手を組んで一緒に社交ダンスを踊る。これも叔母に仕込まれた。異世界でもこういうマナーは通じるのがなんかムカつくが。
「おお!なんと麗しい!」「王妃様と英雄殿が踊っておられるぞ!」「えもい」
くるくると王妃と共に踊る。彼女のスカートの裾が舞い上がってふくらはぎが見えた。それだけでもなにか淫靡な雰囲気を感じる。
「なんで…その人なの…?」
視界の端に見えたレナオの顔は悲しみに暮れているように見えた。お前と俺の世界はもう違うんだ。だからそんな顔をしないで欲しい。そしてダンスが終わる。お互いにお辞儀をすると王妃はとても嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「当代随一の英雄殿にダンスに誘われるなんて素敵なひと時でしたわ。期限直してもよろしくてよ」
「それはよかった」
ふと気がついた。俺の左手とジェニファー王女の右手がまだ離れていないことに。なんとなく手を放すタイミングを逃した。
「「……」」
お互いに言葉が出ない。そんなときだった。日差しが雲で閉ざされて、小雨が降ってきた。
「あら。大変」
「のんきだなぁ。行きますよ」
俺は彼女の手を引っ張って城の方へと向かう。中に入ってから手を放そうとした。だけど彼女が逆に俺の手を握っていたのだ。ジェニファー王妃と目が合った。
「気づいてますか?此処は内廷ですのよ。他の人たちは誰もいないのですわ」
その瞳は濡れて輝いて見えた。知っている。この瞳の輝きの意味を。俺の心臓がずきっと痛みを伴う鼓動を発した。そしてジェニファー王妃の右手が俺の頬を撫でる。
「綺麗な子。その美しさは罪ですわ。ああ、あなたは他者の欲望の炎を灯してしまうのですわ」
彼女の右手の指が俺の唇に触れる。
「その輝ける瞳に映るわたくしは今何色なのですか?」
俺は彼女の右手を払おうとした。だけど逆に彼女は俺の左手に右手を絡めてくる。
「あなたは罪を犯しました。ここはわたくしの城。今わたくしの夫はここにいないのですわ」
すぐ目の前にいる彼女の体の温もりを感じる。だけどそれは俺の心を冷たくひび割れさせていく。ジェニファー王妃は背伸びして俺の耳元で囁く。
「ねぇ令勅さま。あなたの男を見せて。でなければわたくしは騎士たちをここに呼びつけますわ」
その意味がわからないほど馬鹿じゃない。俺は今王族しか入れない内廷に入ってしまった。そして王妃と二人きり。その状態で人を呼ばれれば死刑は免れない。被害者ぶった加害者。女特有の甘い罠。俺は目の前の女を睨みつける。だけど女は嗤った。
「可愛いですわね。素敵ですの。ああ、愛も憎悪も同じ。あなたはわたくしをもう無視できない。わたくしはあなたの瞳に囚われた」
もう何を言っても無駄だ。俺は罠にかけられた。そして無警戒にハマってしまった。俺は目を開けたままジェニファー王妃の唇を奪う。
「なんて甘いのでしょう。ねぇもっと。もっとあなたの瞳にわたくしを写してぇ。ねぇ?」
俺はまた彼女の唇を奪う今度は深く舌を絡める。そして舌を絡めあいながら俺は彼女を連れて、近くの部屋に入る。そしてその部屋のベットにジェニファー王妃を押し倒す。あとはもう流されるままだ。叔母の手から逃れられたと思った。だけど今度はまた違う女の手に絡めとられた。俺はジェニファーを睨みながら、体を重ねた。
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