一般男性保育士 ~異世界転生RPG~

ペリカン

序章 人生、何があるかわからない

第1話 プロローグ

2024年8月20日。


夏、真っただ中の暑い日差しのなか、多くの人々が街を行きかっている。


ここは日本の首都東京都。その中でも、江戸の面影を残す文化の街「文の京」、文京区。


文京区は、1947年(昭和22年)3月、東京22区制施行に伴って、旧小石川区と旧本郷区の2区が合併して誕生した。


その小石川区と本郷区は、1878年(明治11年)に施行された区町村制で生まれた街だ。「文京」という名称は、「学問の府」という区の特徴や性格から名付けられたもので、ふつうの自治体名称は、その位置や旧地名・駅名や複数の旧区の名称合成から名付けるのが一般的ななか、文京区の名称は、23区のなかでも極めて独特な区名といえる。


そんな文京区のとある歩道で、足早に歩みを進める若者がいた。若者の名は飯淵 蓮(いいぶち れん)。


スレンダーな体格ではあるが、180㎝近い身長と、爽やかなツーブロックの髪の毛は、暉が男性であることを物語っている。


「(あっちーなー…)」


大通りに差し掛かり、信号に捕まった蓮はあからさまに不快な表情を見せ、額についた汗を短い袖で拭う。


時刻は10時30分を少し回った頃。


最も暑くなるのはまだ先の時刻ではあったが、既に気温は33度を超えていた。


さらに、60%近い湿度が蓮の不快指数を上昇させる。


「(こりゃ、熱中症になるのも仕方ないよなぁー…)」


そんな風に考えていると、蓮と同じように信号に捕まり歩みを止める人々が周りに増えていく。


暑さに耐えかねて、ワイシャツの袖を上げているサラリーマンや、目線を下におろし、あからさまにだるそうにしている学生が目に入る。


「(土曜日なのにご苦労様…)」


そんな思いを心の中で呟きながら、着ている白いTシャツの胸の辺りをつまんで前後させる。それによって生み出される、Tシャツ内の空気の入れ替わりで幾ばくか涼しさを感じる。


この交差点は、千代田区と文京区、台東区の境目となる面白い交差点であった。蓮はこの交差点を渡り、千代田区外神田にある秋葉原へと向かっていた。


文京区の湯島に住んでいる蓮からすると、秋葉原は徒歩圏内なのである。この場所に、一人暮らしをするため引っ越すことを決めた際には、アニメやゲームが大好きな弟から羨ましがられたものだ。


「(あんまりアニメやゲームに興味がない俺からしても、秋葉原は面白い街だよなー)」


暉がこの場所、秋葉原の近くに住んでいるのは、単に職場から程よい距離にあったからだった。


実際、引っ越した後に秋葉原が近いということを知ったのだ。


左右を見渡すと、高くそびえる建物の壁にいくつものアニメキャラクターたちが描かれていた。


所々に、弟が好きなアニメやゲームのキャラクターが描かれた広告が目に入る。視線を前に戻すと、歩道の端で、メイド服をきた女性が客引きをしていた。


「(暑いのによくやるよなー、大変だ)」


そんなメイドさんを横目で流すと、目的の店が近づいてきた。


今日秋葉原に来たのは、とあるゲームの先行体験を受けるためだ。


VRMMORPG(ヴァーチャルリアリティ・マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム)という何やら長い名前の技術を用いて行うゲームだそうだ。


本来なら、その先行体験の抽選に当たった弟が行く予定であったが、どうしても予定が合わず、泣く泣く兄である蓮が譲り受けた次第なのである。


「(RPGなら知ってるし、子供のころ遊んだことがあるからわかるけど…)」


なんでも弟の話だと、目の前に全く違う世界が広がり、まるで自分が仮想世界に存在しているかのように遊べるのだという。


「(俺の知らぬ間に、ゲームもそこまで進化しているとは…画面に映し出してコントローラーを操作して遊ぶ時代もおわりつつあるのかな)」


そんな風に技術の向上に関心をしていると、目的の店の前にちょっとした列ができているのが目に入った。


その最後尾で『VRMMORPG先行体験会』と書かれたプラカードを掲げているスタッフが目に入った。


「すみません、抽選に当選したものなのですが」


そういって、抽選のチケットをスタッフに見せた。スタッフはそのチケットを見ると顔を上げて笑顔を浮かべる。


「はい。ありがとうございます。今順番に体験していただいておりますので、こちらに並んでお待ちください。次のサイクルで入れると思いますので、10分ほどでご案内できるかと思います」


「わかりました。ありがとうございます」


そう言われ、蓮は列に並んだ。


蓮の前に並んでいる人は10人弱だったが、店の周りにはちょっとしたやじ馬ができていた。


店の前にはでかでかと『ついに仮想現実へ!』などといった旗がたくさん並んでいる。


おそらく、アニメやゲームを愛する者にとって、まるで現実のように遊ぶことができる今回の体験会は喉から手が出るほど羨ましく、そして、待ち望んでいたものなのだろう。


「(よく当たったな、弟よ)」


つまりは、倍率も相当高いものだったに違いない。弟が本気で悔しがっている理由が分かった気がした。


「(まあ、モノは試しだ。いい機会だし、仮想現実がどんなものか、楽しみますか)」

蓮はフ~と鼻息を漏らし、順番が来るのを待った。





スタッフに案内されるがままに店の中に入った蓮は、いつもと違う雰囲気に少し緊張していた。


案内されたのは店内の奥。照明は少し暗く、何やら怪しげな雰囲気が漂っていた。そこには、ベッドのような、頭の先から足の先まで預けることのできる奇妙な椅子がズラッと並んでいた。チケットと交換という形で渡された番号札に書かれた同じ番号の椅子の前に立った。


「それでは皆さん、こちらにお身体をお向けください」


背中から柔らかい男性の声が聞こえる。スタッフの人だろう。


蓮含め、横に並んでいるほかの体験者たちもくるっと身体の向きを変える。


「本日はお越しいただき、ありがとうございます。


また、先行体験会へのご当選、おめでとうございます。


皆様に楽しんで頂けますよう、スタッフ一同頑張らせていただきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます」


蓮は首だけをペコっと下げた。


その後、スタッフがゲームの説明をする。


どうやらこのゲームは剣と魔法の世界をモチーフに作られているらしい。


他にもNPCがどうのだとか、魔法やスキルの説明をしていたが、蓮にはもうさっぱりだった。


ただ、どうやらこの体験会に限っては、現実世界のスタッフと聴覚がつながっている状態で仮想現実に入るそうなので、『スタッフコール』のボタンを押せば、いつでも会話ができるのだとか。


わからなかったら聞いてやれ精神で、蓮は説明を聞き流していた。ただ、どうやらログアウト、つまりは仮想世界から現実世界に戻るときは『ログアウトボタン』なるボタンをぽちっと押すことで戻ってこられるらしい。


なるほど、それだけは頭に入れておかなければと、ログアウトボタンの出し方をしっかりと聞き、頭に叩き込んだ。


「それでは、以上で簡単に説明を終わります。何かわからないことがあれば、スタッフコールでお知らせください。体験時間は1時間となっております。仮想世界にログインしましたら、皆さまの視界の右上に残り時間が表記されますので、残り1分になりましたら、順次ログアウトをお願いいたします。では、各人椅子の方へお座りになっていただき、スタッフが渡しますヘッドギアをお付けください」


蓮は言われたとおりにベッドのような椅子に腰かける。


思っていた以上に座り心地?寝心地?がよく、少し驚いた。


スタッフが持ってきたヘッドギアを受け取る。ヘッドギアには色々な配線がごちゃごちゃとついていた。慣れない手つきで持ち上げ、目元が隠れるように被った。


「それでは、目を閉じ楽にしてください。一瞬身体全体を浮遊感が襲いますが、特に支障はないのでご安心ください。その感覚がなくなりましたら、目を開いてください。目の前には仮想の世界と、そこに立つあなたが存在しております。それでは、いってらっしゃいませ」


スタッフはそう言って、目の前にあるレバーを倒す。


その瞬間、蓮の身体はまるで空を飛んでいるかのような、吸い込まれているかような浮遊感が襲った。


これが、永遠の、長きに渡る現実世界との別れになるとは、蓮は微塵も思っていなかった。

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