第31話 弥花の逆襲


――――妖魔帝国へ帰還し、冬の支度に忙しくなってきたある日のことである。


「何だかやなものが来たねぇ……」

いつものメンバーで集まっていれば、おもむろに地角が呟く。はて……やなものとは……?


「何でしょう……寒気が」

え……範葉まで……?


「なるべく城の奥には入れたくないな」

「地角、それは……」

飛の言葉に地角が苦笑する。


城の奥……広大な城の敷地、巨大な城。まだまだ私の知らない場所もあるだろうが、地角の言うその奥には、何か彼の大切なものがあるような気がしてしまう。


「大丈夫だよ。俺がいるし、もしもの時は蒼爺もいる」

地角が範葉の頭に手を乗せれば、範葉がホッとしたように息を吐く。


地角って妙なところで桃叔父さまに似てるわね。ああいう、父子っぽいところは……。あ、のほほんとしてる場合じゃないわ!


「地角、何が来たの!?」


「それはね……おっと、迎えも来たようだ」

私たちが集まる部屋に大急ぎで入ってきたのは蔡宰相だ。


「密入国の上に、城に侵入しようとしたのですが……どうやらスイさまを指名しているようです」

「え……私……?」


「なら、アレじゃないかな。俺がむず痒くなる鳥が連れてきたんだろう」

地角が告げれば、蔡宰相が頷く。うーん……鳥……?


「いかにも。本人たちは『朱雀』と『弥花』と名乗っています」


「ええぇっ、また弥花が……!?それに朱雀って神子!?」


「地角の反応からして、正しいのだろうな」

飛の言葉に地角が困ったように苦笑する。


「まぁとにかく、行きましょうか」

弥花を引き留めてる城のみんなも大変だろうから。


そうして城の武官たちが足止めしている場所に近付けば、いつもの弥花のキンキン声が響いてくる。


「いや――――っ!何で化け物だらけなの!?やだ恐い朱雀!弥花を助けてよぉっ!」

はぁ……妖魔族を化け物だなんて……。妖魔族だってこの世界の人類なのよ?


そうして駆け付けた私の姿を見るなり、弥花がさらに盛り上がる。


「やだ!来たわ!絲怡だわ!また私を苛めるつもりなのよ!ねぇ、朱雀助けてぇっ!」

弥花が抱き付いた朱雀と呼ばれた青年を見る。赤い髪に、背中から真っ赤な翼が生えている。


「彼は……」

朱雀は神の力を与えられた人間のはずだ。なのにどうして有翼の妖魔族のように翼があるのだろう。


「四神の力を授けられた人間は、ああやって人外の特徴を持つんだ」

私の疑問を感じ取ったのか、地角が教えてくれる。うーん……妖魔族を毛嫌いする陽亮国も、四神だけは可と言うことか。

羽の生えた妖魔族を嫌って羽の生えた朱雀を大事にするのはやはりよく分からない。


「あんたは……」

そして朱雀が、地角を驚いたように見つめている。


「何……?その阿婆擦れをこんなところに連れてくる阿呆だと思ったが、俺が誰だか判断する本能も阿呆なのかな」

地角の声に抑揚がない。いつものおどけた調子のドSとはまるで違う。

城の奥にある地角の大切な何かを守るためなのだろう。彼が怒る時は、決まって大切な何かを守ろうとしている時なのだと思う。


「それは……」

朱雀が口を噤む。地角も朱雀のことを感じ取ったように、朱雀もまた、地角がどのような存在なのか、感じ取っているのか。


「あ、アイツよ!私を騙して、私の青龍を殺したの!」

いや、アンタが勝手に地角に夢物語を押し付けただけでしょうに。


あと……それは地角と青龍のジョークらしいのだが、夢見がちな弥花のことだ。それをしっかりと信じているのだろう。


「お願い朱雀!アイツを殺して!!」

そして弥花が勝手な理屈を押し付けた朱雀は……げんなりとしていた。

多分朱雀も弥花に疲れたのだろう。しかし、弥花はまた同じ間違いを犯そうとしていることに気が付いていないのだろうか……?

自身の父親がやらかした、世界の摂理を破壊し、陽亮が大災害に陥った、原因をまた……弥花は起こそうとしている。


まぁ、地角が弥花に負けるわけはないと思うし、多分朱雀にやる気はなさそうだ。それよりも……朱雀は弥花に対して声をあらげる。


「いい加減にしないか!」

「は……?何で朱雀

私に怒るの……?あり得ない……あり得ないあり得ない!朱雀はいつも私に優しくて、私を褒めてくれるのよ!」


「そんな朱雀なんて知らない!お前の妄想を俺に押し付けるなよ!」

朱雀が強い語調で告げる。弥花をこちらに連れてきておいて、朱雀は弥花の味方ではないと言うこと……?ますます意味が分からないのだけど。


「お前のせいで、陽亮は月亮から支援を打ち切られて、国民がみんな路頭に迷おうと……いや、既に迷っている!」

「何よ……!月亮の支援なんていらないわ!あんな悪の魔王が巣くう国は滅ぼすべきよ!」

いや……まぁ確かに魔王はいるけれど。


「そうだわ!むしろ月亮を占領して、陽亮の植民地にすればいいのよ!」

何を言うんだ弥花は。常春の恵まれた大地から月亮の民を追い出し、自分たちだけその恵みを受け取り続けたと言うのに。都合のいい時だけ月亮をものにしようだなんてとんでもない。もちろん魔王……じゃなかった……お父さまがそんなことさせないと思うが。


「バカを言うな!そもそもここに来たのは、もう月亮が謝罪はもう受け取らないと、陽亮からの親書すら受け取ってくれないから……っ!」

まぁ、本気でぶちギレてるものねぇ、お父さまも、月亮の国民たちも。


「それで……お父さまに相手にしてもらえないからと、娘の私の元に……」

月亮は出禁になっても、妖魔帝国は出禁になってないものねぇ。

私を頼りにこちらに来たのだろう。


まぁ、出禁になってないとはいえ、妖魔帝国と陽亮も長年の確執があったのだから、堂々と来るのもどうかと思うけど。


「君が直接絲怡皇后に謝罪をすると言うから……っ」

それで朱雀が空から弥花を連れてきたのか。しかし……弥花が謝罪する気はさらさらなく、弥花の中だけの夢物語のシナリオを強引に続けるらしい。


「何で私が謝らなきゃいけないの!?悪いのはスイよ!」

いや、意味分からないのだけど。


「あぁ、もう、うんざりだ!俺はもう帰る!」

「ちょっと朱雀、私をおいて行かないでよ!」

本当だわ。妖魔帝国にそんなのを持ち込んだ以上はちゃんと持ち帰って欲しいのだが。


「お前のせいで田畑は荒れたまま、みんな食べるものもない」

「何言ってるの?私が四神の主となって、化け物たちを倒せばみんな笑って過ごせるのよ!」

だからそれやったから陽亮は衰退したんでしょうが!


「何が主だ馬鹿馬鹿しい!勝手に主を名乗るな、不愉快だ!」

朱雀が吐き捨てる。


「もうみんな……どうやって生きていけば……」

自分のことしか述べない弥花とは違い、朱雀の表情は沈痛だ。少なくとも彼は、国内の惨状を憂いているのだ。


「なら、田畑を耕しなさいよ!田畑は放っておけば実りを得られるもんじゃないの!土を耕して種を植えて、肥料を加えて水やり!これからは神の力に頼らず自分たちで田畑を耕せ!天候だって、みんな上手く読みながら生活してんのよ!」


「……っ」

朱雀がまっすぐに私を見る。少なくともそれが、今の陽亮に……神の大地から普通の人間の国に戻った陽亮が歩むべき道である。


「そうですね。スイちゃんの言う通りですよ」

そしてそこに響いた落ち着いた声に、朱雀が目を見開く。


「あなたは……どうしてあなたはここに……」


「さて、どうしてでしょうねぇ。少なくともここには、私が守りたい大切な孫たちがおりますので」

蒼爺がそう告げる。朱雀は蒼爺のことも知っているの……?しかし蒼爺は一体何者なのだろう。本当に不思議な方なのよね。どこか仙人じみているような気すらする。


「陽亮には戻らないのですか?」

蒼爺は陽亮にいたの……?しかし、蒼爺は竜……竜の姿を持つ人間だとしたら……蒼爺は……っ。


「今はここが私の国ですから」

思えば彼らが国を選んではならない理由はないのだ。地角や桃叔父さまのように。

選んではいけないと言う神話も聞いたことがないもの。


「あなたの国は、どこでしょうか」

「それは……」

朱雀が俯く。


「陽亮は……神の恵みに溺れすぎた。自らの力で何も成さずに、逃げることはもう許されないのですよ」


「うぅ……」


「それと……その娘は、連れてきたあなたが責任を持って連れ帰りなさい。私の孫たちを脅かすその娘をこの国に置いておくことは許しません」


「私としても、スイに度重なる非礼を働き、私や地角を化け物と呼んだ。そんな女をこの国には入れたくないな。私としても、国外追放を言い渡す」

つまり弥花は、妖魔帝国からも月亮からも追い出された。小国もあれど、二大大国に追い出された女を迎え入れることはないだろう。今の陽亮は既に日没に真っ逆さまである。そもそも長年……神代から恵みを独占してきた国に義理のある国などない。手を差し伸べ、受け入れるなど、あり得ない。


「そのような国害は、せいぜい自国で管理せよ」


「……分かりました」

最後に私たちに深く拱手を捧げた朱雀は、未だギーギー騒ぐ弥花を荷物のように脇に抱え、深紅の翼で空に舞い上がり、やがて見えなくなった。


「とんだ人騒がせだな」

飛がため息をつく。


「でも……朱雀はまだ、希望でしょ」


「そう思っていただけると……嬉しいですよ」

蒼爺が優しく微笑んだ。たとえ彼がもう陽亮を故国だと思っていなくとも、まだ若い朱雀には、蒼爺にとってはある意味孫のような存在として、目をかけてくれたのかもしれない。


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