恐ろしいと噂の妖魔帝がこんなにピュアでオトメだなんて、聞いてない!

瓊紗

第1話 輿入れ


――――ここは、中華風世界だ。


それを悟ったのは、この世界に生まれて物心がついた頃。


そしてこの世界には大きな大国が3つある。

「陽亮国、月亮皇国、妖魔帝国……」

幼い頃は呪文のようにして覚えた3つの国の名。


因みに陽亮国は帝国制ではない。魑魅魍魎の蔓延る混沌の神代に、四神や神剣の力で凶悪な妖獣や悪鬼を屠り、四神と共に人間の土地を拓いた神話を持つ、特別な国である。四神はいわゆる青龍とか白虎とか言うやつよ。あそこはその神の遣いの資格を持つ神子がいて……今は朱雀がいたかしらね……?


いや……でもうちの国……月亮は関係ないわね。何たってそんな恩恵はないもの。むしろないからこその月亮で……私の生まれ育った国。

神話で主役を演じた陽亮とは対照的に、その栄光の陰で日影にあった数多くの小国を纏め上げて、その頂点に立った王族が皇帝を名乗り拓かれた国だ。

月亮に属さない小国も、存在するにはするが、それでも陽亮か月亮どちらかと同盟を結ばねば、迫り来る妖獣や災害から国を守れないのが現状だ。


さらにこの月亮が拓かれたのには、もうひとつ、人間とは異なる種族・妖魔族の国である妖魔帝国が関わっている。


栄光の名の元に豊かで栄える陽亮の陰で、貧しく質素に暮らすしかなかった栄光からあぶれたものたちは、陽亮と妖魔族が暮らす土地の境界にしか住む場所がなかったのである。

しかしそれでも諦めなかった月亮の祖は、貧しい土地でも作物を育てるノウハウを、陽亮よりも遥かに強大な力を持つ妖獣を退ける武勇を磨き、彼らを退けながら田畑を広げ、牧畜を営んできた。


そんな月亮と言う皇国の公主が私、ユエ絲怡スーイー。愛称はスイ、紫の長い髪に紫のツリ目の18歳である。


因みに公主と言うのは、皇帝や王の娘のこと。前世日本でよく聞く言葉で言えば、王女や皇女に似ている。


だが、私は公主である以上、国は継げない。だから皇帝であるお父さまが決めた相手と婚姻し、国の繁栄のために尽くす役目を持つ。


現代日本からすれば、政略結婚など時代遅れと言われるだろうか。しかし、この世界ではまだまだ家同士の婚姻と言うのが一般的だ。


さらに私は公主として、この国の民に育てられたのだから、国のために結婚し、育ててもらった恩を返していくのも道理だと思っていた。


――――この時までは。


「スイ、お前とは婚約を破棄させてもらう」

そう告げてきたのは私の許嫁・鄭逸ヂョンイー。姓は鄭、名が逸。


そんな鄭逸の言葉に、私の補佐であり武官でもある範葉ファンイェが漆黒の瞳を見開き唖然としながら書類を落とした。


さらに本来ならば公主の嫁ぎ先。そもそも皇帝が私との婚約を命じたのなら名誉なことであり、普通は自分から公主に向かって破棄するなど言えないはずなのだ。いくら従兄で、アンタの父親が私の実の叔父……鄭叔父さまでも、下手したら即首を切られてお家ごと断絶よ……?


一族郎党処刑……なんて恐いことだって、罷り通る世界。いや……それができるのが皇帝なのだから。


地の底に埋もれた顔も知らぬ伯父たちはともかく、叔父たちは生き残るために膝を折り、堅実な臣下に徹していると言うのに。

そこからとんだ阿呆が生まれたものだ。


「そして……私は弥花ミーファと婚約する!」

そう高らかに告げれば、さささっと部屋に入ってきた少女が許嫁の腕の中に収まる。


桃色の髪に翡翠の瞳を持つ美しい少女、名をヤン弥花と言う。


――――そう言うことか。どこの世界にも、婚約者がいるのに浮気する男っているのね。

そしてひとの許嫁を強奪する女も……。


範葉と顔を見合わせながら、困惑していれば、弥花が口を開く。


「ごめんなさい、絲怡さまっ。彼とは盛り上がっちゃって、もうこの熱情を止められないのっ!」

弥花がぶりぶりしながらそう告げれば、その様子に許嫁がぐへっと頬を緩ませる。

許嫁も許嫁ながら……弥花も弥花である。

その姓が指す通り、彼女は陽亮の出身である。その立場は陽亮の先代王太子の遺した娘である。

しかし若くして病死した先代王太子を悼み、その先代王太子の弟に当たる現陽亮王が養女に迎えたのが弥花である。

本来ならば彼女こそが直系の公主である。その直系の血筋が彼女を傲慢にしたのだろうか。

しかし、その直系であるはずの彼女が陽亮の跡継ぎでもなく、王太子は現陽亮王の長子である。

本来ならば、従兄妹として王太子と婚姻させることもできただろうに、それもなく。


さらにはそんな重要な立場の公主が月亮に滞在している。その意味を、彼女は理解していないのだろうか……?


「それに……地味な絲怡公主よりも、私の方が彼に相応しいわ!」

地味……とは?自慢ではないが、前世の黒髪黒目に比べたら充分派手な気がするのだが。しかしあからさまなヒロイン顔の弥花に比べれば、確かに地味かもしれないわね。


月亮に留学して3ヶ月で、私の許嫁を寝とるとは、末恐ろしい公主である。

昔から何かと突っ掛かってきたと思えば、ひょっとしたらずっと私の許嫁を狙っていたのかしらね……?


「私はね、女主人公ヒロインなのよ!」

「あ゛……?」

いけない。つい公主にあるまじき言葉が漏れてしまった。


「陽亮は神に選ばれた生命と豊穣の国……!」

正確には今は昔ね。先代王太子が病に臥したのを皮切りに、陽亮は未曾有の大干魃に襲われ、疫病と大飢饉に襲われた。

そして先代王太子が逝去し、全ての疫を地の底へと持っていったように、未曾有の大災害は終結を迎えた。

終結を迎えてもなお、滅びなかったのはさすがは神に選ばれた国と言えようか。

しかし実際に陽亮の民が生きながらえたのは、月亮が食糧と医薬品の支援をしたからだ。

月亮は支援の見返りは求めなかったが、現陽亮王は堅実にその恩を返そうとしており、今回の弥花の留学だって、陽亮を支援した月亮のことをよく学ぶようにだのと言う建前があったはずなのだが。……結果弥花は何も学ぶことはなく、私の許嫁をぶんどったわけだ。


「そして私は陽亮に受け継がれる予言書にある、運命の姫なのよ」

いや……姫って何。公主なら分かるけど。それに予言書ねぇ……そんなものがあったのなら、さきの陽亮の大災害だって予想できたのではと思ってしまう。本当にそんなものがあるのかは分からないが。今度歴史に詳しい友人にでも聞いて見ようかしらね。


「こうして貴方と結ばれるのも、予言書にあった運命」

「あぁ、弥花……!」

私、いつまでこのメロドラマを見せられないといけないのかしら。


「すみませーん、弥花公主の入室許可は与えてないので、追い出してくださいます?」

そう、私が呼び掛ければ、陽亮の公主の扱いをどうしようか悩んでいた武官たちが容赦なく弥花を引っ捕らえ、許嫁から無理矢理引き剥がして連行する。


「きゃあぁっ!?痛い、痛い放してええぇっ!」

「やめるんだ!ぼくが命じてるんだそ!将来皇帝になる……このぼくが……!」

は……?何を言ってるの……?この男。


「皇帝陛下への謀反の疑いがあります。引っ捕らえて、そこの侵入者と共に、月亮皇陛下の前につきだしなさい」

そう命じれば、許嫁は「ぼくが謀反のとはどういうことだ!」と叫び、弥花は「絲怡が虐めるわ!私は陽亮の公主なのよ!?助けて~っ!」と叫びながら追い出されていった。全く……支援される国の公主が支援する国の公主にこんな狼藉を働くとは……こちら風に言えば、丢面子面目潰れだ。


そして暫くして『バカヤロオオオオォッ!』と、大声が響いてきた。

お父さまね。何とか即処刑は免れたようだけど、許嫁が今後どうなるかは……別にどうでもいい。それよりも……。


暫くすれば、私の執務室にお父さまが姿を現した。深い紫の髪に、私と同じ紫の瞳を持っている。月亮皇国の皇帝で、月亮皇・惟竜ウェイロンと呼ばれるお方である。


「スイ、婚約は解消させた。鄭逸は家ごと地位も財産も没収の上、月亮の片田舎に左遷する。陽亮公主は国外追放だ」

むしろ、お父さまからも呆れられているからこその、片田舎への左遷。


「でも……即処刑ではなくてよろしいので?」

陽亮公主の弥花は陽亮王に無断で勝手に殺すわけにはいかないが、皇帝として皇位を望んだものを、野放しで良いのだろうか。いや、ただのバカだから相手にしてないのかも知れないし、鄭逸の父親の鄭央ヂョンヤン叔父さまの降下先はそんなことは望んでいないからだろうか。


少なくとも鄭叔父さまは先代の貴妃の子だ。だがお父さまを差し置いて息子に皇位を継がせようなんて思わないだろう。何せ兄弟で一番強く、そして国を守った英雄がお父さまだ。それを差し置いて皇位を望もうものなら……ほかの叔父たちも怒るのは言うまでもないが……確実にタオ叔父さまがキレて瞬殺されるだろう。

桃叔父さまは実の叔父ではないから、鄭叔父さまと血の繋がりはない。お父さまには従順だが、粗相をすればたとえお父さまの異母弟やその息子であっても……多分容赦しない。

あの婚約破棄の場に、桃叔父さまがいなくて、アイツもおバカだけども剛運と言うか何と言うか。


「スイはその方がいいか……?ならば、やはり一族郎党即処刑を……!ちょうど暇をもて余してるアイツにでも……」

待て待て待て……!全くこの父は……!

私のことになると平気でそう言う恐いことを言うのだから!そして誰にやらせようとしてんのよ!まさか桃叔父さま!?それともまた桃叔父さまを生贄……じゃなかった、影武者にして自らやりに行く気かしら。

どちらにせよ……被害が尋常じゃなくなるからやめて欲しい。

皇帝として、強くてカッコいい存在でいて欲しいとは思うのだが、しかし冷血皇帝のようにはなって欲しくないのよね。


「いいわよ。もう。むしろあんなやつと結婚しなくてよかったわ」

「……スイ」


「けど……そうなれば、私の輿入れ先、まだあるかしら」

こうみえて、もう年頃である。同年代はほぼほぼ婚約者を決めているし……。


「それ……なんだがな」

「……お父さま……?」


「ひとつ……縁談が来ている」

「あら……!どんな縁談かしら!」

お国に貢献できるのなら願っても見ないことだが。せめて次の嫁ぎ先は、まともであって欲しい。


「……妖魔帝国の……妖魔帝・飛雲フェイユンだ」

「……はい?」

妖魔帝国とは、人間族ではない妖魔族が治める国である。

妖魔族とは、人間とは見た目が異なるものが多く、尻尾が生えていたり、角が伸びていたり。前世の妖怪や妖魔と近くはあるが、違うのはこの世界での彼らは、国を興し、文明を築く人類の一員と見なされる。


――――しかし、人間が妖魔族の元に嫁ぐと言うのは稀であり、逆もまたしかり。


だがそれが国同士のやり取りのために必要なのなら。

たとえその妖魔帝が……数々の恐ろしい噂を持っているとしても。えぇと……確か……恐ろしい顔を隠している、冷酷、人間をおもちゃにして遊ぶ、好物は人間の臓物とか……何とか。どこまでが本当かは分からないけどね。

でも、私は公主なのよ。


「承知いたしました、お父さま。スイは妖魔帝国の妖魔帝に、輿入れいたします」

公主として、祖国に貢献せずにどうする。私だって、お父さまの娘よ。


私の決意に、お父さまも頷いてくれる。そうして私は、妖魔帝国の妖魔帝に輿入れすることとなった。




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