夢・嫉妬・優しさ

 窓の外に、散歩させられている犬が見えた。

 目が離せなかった。何だか、心が痛くなる。

 

 ドアが開いて、鈴がカランカランと鳴る音でハッと我に返り前を向き直した。

 彼は読んでいた本から顔を上げ、じっとこちらを見ている。

 

「まだ、思い出しちゃうよね」


 神妙な面持ちで言う。その口角は優しく上がっていた。


「うん」


 私も俯きがちに返した。二人の間に気まずい静寂が流れる。

 それを断ち切るように店員が二人分のコーヒーを運んできた。


「そりゃ、そうだよね。悪い事聞いた」


 彼は熱いままのコーヒーを流し込むと、読書へと戻ってしまった。


 私も同じようにコーヒーを啜る。思っていたよりも苦くて顔を顰める。

 周りでもなにか話していて、雑音がやけに耳に響いた。


 彼と二人きりでこうやって喫茶店に来るのは久しぶりだった。

 初めてのデートもこの喫茶店だ。

 今どきデートで喫茶店に訪れるなどという発想も、若者世代にはないだろう。

 なんてお洒落なやつなんだと、最初はよく思わされたものだ。

 

 そんな彼に惹かれて、私も少し背伸びをする。

 コーヒーだって、砂糖をたんまり入れたほうが美味しいと思うのだが、彼はそうしなかった。

 だから私も苦いままのコーヒーを啜る。

 少しだけオトナな彼と同じ目線で対話したかったのだ。


 今日は、気分転換のため喫茶店に訪れた。そのはずだった。

 それなのに私ばかりが悲しんでいて彼に申し訳なくなる。


 つい数週間前だろうか。実家で飼っていた犬が死んだ。

 幼い頃からともに成長してきた、言わば兄弟とも呼べる間柄だったのに。

 私は大学生になる時上京したから、いつかこうなることは予想出来ていた。

 ただいざ愛犬の死を看取ることが出来なかったとき、想像以上のショックが訪れて。


 寿命だった。大往生だった。家族皆に見守られながら安らかに眠った。

 そして仕方ない事なのだけれど、皆の中にやはり私は居なかった。

 その子に再び会ったのは、遺影の姿になった後だった。


「大丈夫。心の整理がつくまで、僕が何でもするよ」


 彼は何度も慰めてくれた。実際に、本当になんでもしてくれた。

 その優しさに私も甘えてしまって、いよいよ立ち直らないといけないと思っているのに。

 ふと一人になったとき思い出す。誰かが飼っている犬を見る度に心が痛む。

 

 いつまでも悲しみに暮れる生活は、彼にも支障をきたす。

 卒業の意も込めて今日は初デートの時に来た喫茶店を訪れたのだ。

 

 ――それなのに。

 

 いつまでも成長しない自分に嫌気が差す。

 もう帰りたかった。ただ時計を見ても十数分しか経っていなかった。

 私がわざわざ彼を連れてきたというのになんてザマであろうか。

 思わず足をブラつかせて、彼の爪先を小突く。

 彼はゆっくり顔を上げた。その表情は笑っていた。


「何、もう帰りたいの?」

「……いや、別に」


 図星だったことが恥ずかしくて、目線をコーヒーに移す。

 まだ湯気は立っていた。パタン、と本を閉じる音が聞こえる。


「昨日ね、夢を見たんだ」


 彼を再び見ると、もう既に私のことは見ていなかった。

 どこか遠くを見つめていた。


「夢の中でね、とても焦ってたんだ。何でか分からないけれど、なにか大切なものを失った気がして。多分それは本当に大切な物だったんだと思う」


 きっと私のことを言っているのだと、直感的に理解した。

 でも言及はしなかった。

 彼はそのまま続ける。


「その時にさ、子供の頃大切にしてた石を無くした時のこと思い出したんだ。綺麗な石だった、宝石みたいで。無くした事が当時とっても悲しかった。夢の中の俺は、その時の感覚と同じだと思ったんだ。だから別にその事を深く気に病むことはしなかった」

「それは……どうして?」


 再び彼は私を見ていた。互いのコーヒーは既に空になっていた。


「不貞腐れて一時期は家の中で大人しくしてたんだ。それで久しぶりに外へ出たときね、また綺麗な石を見つけたんだよ。全然違う形で、全然違う色だったけど、とっても嬉しかった。無くした石と同じくらい大事にしたのを覚えてる」


 彼は既に席を立ち上がっていた。


「さ、帰ろう」


 伸ばされた手を取る。少しカサついていて、でも暖かかった。

 彼が言わんとすることは何となく分かって、また彼に気遣われている事に少し心が痛む。

 ただ、そう思ってほしくないから、彼は遠回しに教えてくれたのだろう。

 私が彼のマネをして大人ぶろうとしても、何時でも一歩前にいる。


「何だか少しだけ、嫉妬しちゃうな」


 帰り道、彼にそう言うと少し驚いた顔をした。

 彼はその後、握り合う手を少し硬くして、暮れる夕日を一瞥し快活に笑った。

 

 

 

 

 

 

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一時間創作「ワンライ」 ぐらたんのすけ @guraaaaaaaa

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