第7話 来客②

「…アイリス」


リアムが小声で私の名を呼ぶ。

きっと、今すぐにここを出ようと言いたいのだろう。だけど、私の足は、動かなかった。ーー動けなかった。


夫と、妻ではなく愛人でもない誰かの逢瀬を確かに目に焼き付けながら、私は私自身の価値を探していた。


「お飾りだ」そう言われて。

「どうせ好きにならないだろ?」そう言われて。

「お前なんかどうでもいい」そう言われてーー。


私の存在価値は?

どうして私は、ここにいるのーー?


「…っ、なん、で…」


ほろほろと、それから流す速度を増していく大粒の涙を、私は拭えなかった。


心を捨てたはず。

私はもう、彼を想わないはずーーいいえ、無理矢理


ティアナとルイス様という二人を「お似合いだ」と認めることで、二人の邪魔をしてはいけないとそう思うことで、私は心を隠して捨てて生きてきたのだ。


なにも、自分の心が綺麗さっぱりなくなったわけではなかったーー。


「…アイリス?アイリス………っ!」


あれ、なんで……?

ぼやけてだんだん狭くなる視界には、私を必死に呼ぶ幼馴染だけが映っていた。



「お目覚めですか、アイリス様…!」


目覚めて一番最初に私の顔を見て嬉しそうに声をあげたのは、レナだった。


「…っ、良かった」


次いで、リアム。

ーーそうか。私は、倒れてしまったのねーー。


「…心配かけて、ごめんなさい」


起き上がって、私は二人に頭を下げる。

すると、扉がコンコン、と叩かれた。


「…奥様。アークでごさいます」

「入りなさい」


レナが開いた扉の先で、ぺこりと頭を下げたアークの後ろでーーまさにルイス様が立っていた。


「…」


何も言わない、なんて。

普通、アークが後ろ、なのではないの?どうして使用人に扉を叩かせ、自分は「ルイスだ」の一言もないの。


「…アーク?どうしたの」


私はベッドから降りて、アークの前に立つ。


無視するなら、こちらも無視してやる。

そう思ったのは、単なる当てつけだ。


「…旦那様が、御用があるそうで」


まさか、そこまで使用人に言わせるのーー?

もはや何をしにきたのか、見当もつかない。それに、私のことなんてどうでもいいはずなのに、なぜ来るの?


「…ルイス様?一体何のご用で」

「っ、すまなかった!!」


ーーえ?

ルイス様が先ほどから気まずそうな顔をしていたのには気付いたけれどーーまさか、謝られるなんて。

私の前で頭を下げる彼に驚きつつ、私は意を決して言葉を紡ぐ。


「…それは、ティアナを愛人にしたことにでしょうか。それとも、愛人だと認めた女性以外の方と逢っていたことにでしょうか」


何も、私には関係ないというのにーー。


「…全部、だ」


彼は、今までの行動全てに謝っている。だけど、私は腹が立った。ーー全て、簡潔にまとめられてしまったようで。


「…全部、ですか?なら、それを全て文にしてください」

「え…」

「謝罪には、反省も含まれておりますでしょう?」


困ったような、それとも悔しそうな顔をした彼は、少しの間黙って、それから再び口を開いた。


「君が婚約者の時から、蔑ろにしていたこと。結婚してからもティアナを愛人にして、君のもとに通わなかったこと。そして、認めてくれていたのに、ティアナ以外の女性を愛していたことーー」

「よくお分かりですね」


にっこりと微笑んでやった。

ここは、私は、決して隙を見せてはならないと思うから。


「…でも、何もわかっていないわ」

「え…?」

「ルイス様は、愛の重みをご存知ですか?」


きょとん、としているルイスに、さらに腹が立つ。


「簡単に「愛」など口にしてはいけません。愛の価値が下がるでしょう」

「なっ、どういうことーー」

「ルイス様は、沢山の方に「愛」を囁いておられるようでしたので」


そう、もうわかるのだ。

きっと、ティアナだけじゃないーー数多くの女性たちに「愛」を突きつけて。そして彼らが、違う方にも「愛」を囁いているのを見れば、傷つくというのは、少し考えればわかるはずなのに。


「っ…価値観は人それぞれだろう」

「ええ、そうですね」

「!?」


あっさり認めた私に、ルイス様は驚く。


「人それぞれならば、ルイス様と、他の女性方の価値観も異なるはずです。ルイス様が「愛」を軽く見ていても、他の方は違うかもしれないでしょう」

「な、な…アイリス、お前はどうしたんだ、そんなことを言う女では…」


ーーああ、なんて失礼なのかしら。

そもそも来客がいる手前で、こんなにも私を愚弄して。


とても、反省する姿ではない。


「…私の何を知っているのですか?」


「お前」呼び。

それだけしか、私を呼ばないくせに。


そして、こんな人に恋慕していた私にも、腹が立ってしまう。

それでもまだ、この想いを捨てきれずにいるのだろうかーー。




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