第6話 来客①
◇
明くる日。
午前、少し遅めにリアムがやってきたようだった。私は急いで門を開け、リアムを通す。
彼は、いつも自らの身分を隠したがるようで、今日乗ってきたであろう馬車は、それこそいかにも高級な装飾は施してあるが、家紋ひとつ見つからない。
今や商人すら家紋を作っているというのに。
「ようこそ、リアム」
「アイリス、わざわざお迎えありがとう。まずは挨拶するべきなんだろうけど…ご当主がいらっしゃるのか?」
「今日は家を空けてほしいとお願いしたの。だからきっと不在よ」
そうなんだ、と微笑む彼は、社交界でも有名だ。もちろん、そのルックスで。
王都の令嬢ならば、誰もが一度は彼と…と夢を見たこともあると言っても過言ではない。
さらに正体も王家しか知らず、「正体不明の美男子」として一時期はお茶会の話題にもってこいだった。
そんな彼と、幼い頃から付き合いがあった私は、皆から羨ましがられたり、あるいは疎まれたり。
けれど、一番楽だったのは、彼自身が何も思わずに変わらず接してくれていたことだ。
「流石侯爵家。綺麗で広いんだね」
「でしょう?使用人たちが一生懸命心を込めて掃除してくれているの。だから、みんなのおかげよ」
「…アイリスは、そういうところは今も昔も変わらないんだね」
「?どういうこと?」
はて、と首を傾げる。
「そういうところ」とは。確かに夫よりもはるかに私との付き合いが長くて、なおかつ私のことを知っているけれど。
リアムはなんでもないよ、と笑って誤魔化した。
それから私たちは、庭園でお茶をした。
他愛のない会話をしながら。
「…そうそう。この前のパーティー、アイリスがそそくさと帰っちゃったせいでダンスに誘えなくて…。悲しかった」
「ごめんなさいね。幼馴染としても、そのことは念頭に置いておくべきだったわ」
「まあ、次があるから、楽しみにしとく」
本当にどうでもいいのに、彼といると不思議と落ち着く。
彼に恋慕したことはなくて、夫に対する昔のような激しい恋心すらない。だからこそ、安心している。
「そういえば…なんだか
「ええ」
「…でも、アイリスの好きな花はシャクヤクだろ?」
「そうだけど…」
「…おかしい」
彼は何かを呟き、それから立ち上がった。
「やっぱり、ご当主に会いにいく。案内して」
「え、でも…」
夫は、「騙す」ことが大嫌いだ。もちろん嘘も。だからこそ、幼い頃からディアナとの関係を隠そうとはしなかった。
それなのに、リアムは身分のついて何も公表していないのにーー行ったところで門前払いではないだろうか。
それに、今ルイス様はいないのでは…。
「…アイリス様」
レナがこそっと耳打ちする。
「…実は、旦那様は、いらっしゃいます」
「…え?」
「不在にするつもりはない、とアークに言ったようで、それを伝えられました。お伝えできず申し訳ございませんでした」
「いいえ、レナは…レナは、何も悪くないわ…」
信頼されていない証。
そしてなぜか、私は落胆した。
「…なら、行きましょうか」
これでも由緒あるラグリー侯爵夫人である。目の前に来客がいる以上、みっともない姿を見せてはいけない。ーーたとえ、幼馴染の前だとしても。
それが貴族の務めだと、そう幼い頃に習った。
庭園を抜け、私たちはルイス様の書斎に向かった。
だが、そこにいたのは書類の整理をしているアークだけだった。
「…ルイス様がどちらにいらっしゃるか、知っていて?」
「ええと確か…図書室に行くと申されておりました」
リアムにちらりと目をやりながらも、彼は淡々と返した。
「ありがとう」
私たちは、すぐに図書館へ向かった。
「お、重い…」
図書室の扉は、すごく重い。きっと古い頃からあるのだろう。
いつもならレナが手伝ってくれるが、今日は来客がいる手前、使用人はそれより前にいけない。彼の視界に入ってはいけないからだ。
リアムならば何も思わないだろうが、レナは流石使用人、何一つ動かない。彼女の表情は、「頑張れ」と言っているけれど。
「…大丈夫か」
リアムが、私の背中から一緒に押してくれる。
それになぜかどきどきしてしまう自分がいてーー。
がた、と扉が開く。
少しよろけそうだったが、なんとか持ち堪えた。
ーー待って。
私はさっき、何を考えたの…?どきどき、なんて、夫がいる身で。
「どうかした?アイリス」
「なんでもないわ…」
ちょうどその時、話し声がした。
どうやら男女のようで、男性側はおそらくルイス様だ。女性側はーー?
そっと近づき、本棚の陰に隠れて様子を伺う。
「…愛してるよ、フレア」
「ルイス様…!でも、でも…ルイス様には、アイリス様という立派な奥様が…」
「何を言うんだ。あんなのお飾りでしかないーー本当に愛するのは君だけだよ」
どくんと、鼓動が鳴る。
私は、何を見てるの。ルイス様は、ティアナではない誰かに愛を囁いている。ーー必ずしも、ティアナだけではなかった。
それなのに、私は選ばれなかった。
誰でもいいのかもしれない。もちろんさまざまな女性たちに可能性があって、今「フレア」と呼ばれた女性はたまたまかもしれない。
だけど、私は。もしかすると候補にすら入っていなくてーー。
「………っ」
どくん、どくん。
鼓動は止まない。
昔の私の想いはなんだったの。他の女性と同様、私だって、私だってーー。
あなたに、恋していたのに。
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