第6話 来客①


明くる日。

午前、少し遅めにリアムがやってきたようだった。私は急いで門を開け、リアムを通す。

彼は、いつも自らの身分を隠したがるようで、今日乗ってきたであろう馬車は、それこそいかにも高級な装飾は施してあるが、家紋ひとつ見つからない。


今や商人すら家紋を作っているというのに。


「ようこそ、リアム」

「アイリス、わざわざお迎えありがとう。まずは挨拶するべきなんだろうけど…ご当主がいらっしゃるのか?」

「今日は家を空けてほしいとお願いしたの。だからきっと不在よ」


そうなんだ、と微笑む彼は、社交界でも有名だ。もちろん、そのルックスで。

王都の令嬢ならば、誰もが一度は彼と…と夢を見たこともあると言っても過言ではない。

さらに正体も王家しか知らず、「正体不明の美男子」として一時期はお茶会の話題にもってこいだった。


そんな彼と、幼い頃から付き合いがあった私は、皆から羨ましがられたり、あるいは疎まれたり。

けれど、一番楽だったのは、彼自身が何も思わずに変わらず接してくれていたことだ。


「流石侯爵家。綺麗で広いんだね」

「でしょう?使用人たちが一生懸命心を込めて掃除してくれているの。だから、みんなのおかげよ」

「…アイリスは、そういうところは今も昔も変わらないんだね」

「?どういうこと?」


はて、と首を傾げる。

「そういうところ」とは。確かに夫よりもはるかに私との付き合いが長くて、なおかつ私のことを知っているけれど。


リアムはなんでもないよ、と笑って誤魔化した。


それから私たちは、庭園でお茶をした。

他愛のない会話をしながら。


「…そうそう。この前のパーティー、アイリスがそそくさと帰っちゃったせいでダンスに誘えなくて…。悲しかった」

「ごめんなさいね。幼馴染としても、そのことは念頭に置いておくべきだったわ」

「まあ、次があるから、楽しみにしとく」


本当にどうでもいいのに、彼といると不思議と落ち着く。

彼に恋慕したことはなくて、夫に対する昔のような激しい恋心すらない。だからこそ、安心している。


「そういえば…なんだか侯爵家ここの庭園は、バラが多いね」

「ええ」

「…でも、アイリスの好きな花はシャクヤクだろ?」

「そうだけど…」

「…おかしい」


彼は何かを呟き、それから立ち上がった。


「やっぱり、ご当主に会いにいく。案内して」

「え、でも…」


夫は、「騙す」ことが大嫌いだ。もちろん嘘も。だからこそ、幼い頃からディアナとの関係を隠そうとはしなかった。

それなのに、リアムは身分のついて何も公表していないのにーー行ったところで門前払いではないだろうか。

それに、今ルイス様はいないのでは…。


「…アイリス様」


レナがこそっと耳打ちする。


「…実は、旦那様は、いらっしゃいます」

「…え?」

「不在にするつもりはない、とアークに言ったようで、それを伝えられました。お伝えできず申し訳ございませんでした」

「いいえ、レナは…レナは、何も悪くないわ…」


信頼されていない証。

そしてなぜか、私は落胆した。


「…なら、行きましょうか」


これでも由緒あるラグリー侯爵夫人である。目の前に来客がいる以上、みっともない姿を見せてはいけない。ーーたとえ、幼馴染の前だとしても。


それが貴族の務めだと、そう幼い頃に習った。


庭園を抜け、私たちはルイス様の書斎に向かった。

だが、そこにいたのは書類の整理をしているアークだけだった。


「…ルイス様がどちらにいらっしゃるか、知っていて?」

「ええと確か…図書室に行くと申されておりました」


リアムにちらりと目をやりながらも、彼は淡々と返した。


「ありがとう」


私たちは、すぐに図書館へ向かった。


「お、重い…」


図書室の扉は、すごく重い。きっと古い頃からあるのだろう。

いつもならレナが手伝ってくれるが、今日は来客がいる手前、使用人はそれより前にいけない。彼の視界に入ってはいけないからだ。


リアムならば何も思わないだろうが、レナは流石使用人、何一つ動かない。彼女の表情は、「頑張れ」と言っているけれど。


「…大丈夫か」


リアムが、私の背中から一緒に押してくれる。

それになぜかどきどきしてしまう自分がいてーー。


がた、と扉が開く。

少しよろけそうだったが、なんとか持ち堪えた。


ーー待って。

私はさっき、何を考えたの…?どきどき、なんて、夫がいる身で。


「どうかした?アイリス」

「なんでもないわ…」


ちょうどその時、話し声がした。

どうやら男女のようで、男性側はおそらくルイス様だ。女性側はーー?


そっと近づき、本棚の陰に隠れて様子を伺う。


「…愛してるよ、フレア」

「ルイス様…!でも、でも…ルイス様には、アイリス様という立派な奥様が…」

「何を言うんだ。あんなのお飾りでしかないーー本当に愛するのは君だけだよ」


どくんと、鼓動が鳴る。

私は、何を見てるの。ルイス様は、ティアナではない誰かに愛を囁いている。ーー必ずしも、ティアナだけではなかった。


それなのに、私は選ばれなかった。


誰でもいいのかもしれない。もちろんさまざまな女性たちに可能性があって、今「フレア」と呼ばれた女性はたまたまかもしれない。


だけど、私は。もしかすると候補にすら入っていなくてーー。


「………っ」


どくん、どくん。

鼓動は止まない。


昔の私の想いはなんだったの。他の女性と同様、私だって、私だってーー。





あなたに、恋していたのに。


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