中編
私は、スティアお姉様が大好きだ。
美人で、優しくて、溌剌としていて、真夏の空のような明るさを持った元気な人。
そんなお姉様が離縁して出戻ってきた時も、『ようやく離婚できたわ!』と嬉しそうで安心した。
私にとっては姪っ子と甥っ子になる子どもたちも、両親の離婚をちゃんと受け入れているようで、少しずつ馴染んできている。
王家からは私とカイオス様の正式な婚約解消の書類が届いて、一時期はごたごたしていたけど。
婚約が白紙に戻されると、カイオス様はほぼ毎日と言っていいくらいに侯爵家へと顔を出し始めた。
結婚してほしいと。二人の子どもも愛すると。こうなったのは自分のせいだから責任を取りたいと。
もちろん私にではなく、スティアお姉様に向かって。
お姉様は困惑気味で、それらを丁重にお断りしている。
『正直、男の人はもうこりごりなのよね』とカイオス様がいないところでそうこぼしていた。
カイオス様は婚約破棄をした私に対しても気にかけてくれた。
きっと、お姉様を口説きに来たついでだろうけど。
『困っていることはないだろうか』
『誰かになにか言われることがあったら、すぐに教えてほしいのです』
『紹介してほしい人はいないのですか?」
『あなたは寒がりなのだから、我慢せず厚着するのですよ』
『僕はあなたに幸せになってもらいたいんです』
優しい言葉をかけられると、胸が疼いた。
もう接点はなくなると思っていたのに毎日顔を合わせるものだから、忘れられるわけがない。
いくら好きになっても無駄だと言い聞かせても心は言うことを聞かず、恋しさだけが募っていく。
そして今日も、カイオス様はお姉様を口説きにやってきていた。
「どうしても僕と結婚してはくれないのですか。必ず大切にします!」
「王子殿下。何度いらっしゃっても、私の気持ちは変わりませんわ」
「では僕は、あなたにどう償えばいいと!?」
玄関のホールで、カイオス様を通しもせずに言い合いをしている。
けれどいつもの話し合いと今日は違っいて、私は近づき過ぎずに二人を見つめた。メリアも私の後ろでなにも言わずに控えてくれている。
「償う? 王子殿下は、私に償いをしようとしてくださっているの?」
「あなたが……あの男の元へ嫁ぐことになったのは、僕のせいです。酷い仕打ちを受けていたと聞きました。でも僕は、助けることもできなかった……!」
酷い仕打ち。暴力でも振るわれていたのだろうか。
離婚の理由を聞いても、お姉様は『性格の不一致よ』と眉を下げて笑うだけだったから、全然気づかなかった。
「いいえ、殿下は助けてくださいました。あの人との離婚が成立したのは、王子殿下が手を回してくださったからだとわかっています。本当に感謝していますの」
「それでも、長い間苦しませてしまいました。僕はその責任を取らなくてはなりません。あなたを一生幸せにする義務が、僕にはあるのです」
カイオス様の真剣な瞳が、お姉様に向けられていた。
一生幸せに。
そんな言葉、私は言われたことがない。
当然だ。私はただの、身代わりだったのだから。
いいえ……身代わりにすら、ならなかったのだから。
つつぅ、と涙がこぼれ落ちる。
後ろに控えていたメリアが「お嬢様……」と僅かに声を上げ、カイオス様とお姉様が私に気づいてしまった。
「リヴェリーネ? あなた、どうして泣いて……」
そこまで言ったお姉様が、ハッと気づいたようにカイオス様を見た。
そのカイオス様は目を見開いたまま、私を見つめている。
やだ、恥ずかしい。
それに私がカイオス様に恋していることを気づかれてはいけない。
「ごめんなさい。目にゴミが入ってしまったみたいで……」
下手な言い訳をしながら、ハンカチを取り出そうとするけど見当たらない。淑女の嗜みを忘れるなんて、今日はなんて日なの。
重ねて恥ずかしい思いをした私は、部屋に逃げ帰ろうとした。
「これを使ってください。リーヴェ……リヴェリーネ侯爵令嬢」
ツカツカと歩み寄りながら取り出したのは、白いハンカチにカイオス様の名前の刺繍が入ったもの。
受け取って確認すると、間違いなく私がカイオス様に贈ったものだった。
「どうして、これを……」
「あなたからの初めてのプレゼントでしたから。今でも大切に使わせてもらっています」
刺繍をしただけのただのハンカチを。
今でも、大切に。
どうして、と聞きたかったのに、声が出てこない。
また涙が溢れて、私はそのハンカチで雫を拭う。
婚約破棄した相手のものを、大切にするだなんて。
嬉しいけれど、理解ができない。
「ありがとうございます。けれどこれは、こちらで処分しておきますわね」
「……処分? なぜ」
「なぜ?」
なぜとは、また不思議なことを言う。元婚約者にもらったものなど、普通は処分してしまうものだと思うのだけれど。
「もうこんなものは、必要ありませんわよね?」
「やめてください。あなたからもらった、大切なものだと言ったはずです」
ハンカチを持った手首をそっと握られる。手が触れ合うのは初めてじゃないけど、久しぶりすぎて。
私の顔に熱が集まる。だめ。変に思われてはいけないというのに。
「……リーヴェ」
私の愛称を呼ぶカイオス様は、少し驚いた顔をした。
まさか……気づかれてしまった……?
「お、お放しくださいまし……! 私たちはもう、婚約者ではないのですから……っ」
「……失礼」
なぜか苦しそうに見えるそのお顔。意味がわからず、私は疑問をぶちまける。
「カイオス様は、スティアお姉様を幸せになさるのでしょう!? ならば、もうこんなものはいらないはずです!」
「あなたとの思い出を、とっておくことすらいけませんか」
「それは……普通に考えて、ダメなこと……だと思いますが……」
ダメなこと、なのだろうか。自分で言っておきながら、自信がなくなってきた。
ちらりと斜め後ろに控えているメリアに助け船を求めると、彼女は一歩前に出てカイオス様を見上げる。
「失礼ながら申し上げます。過去の女性のものを持つというのは、妻となる女性にとっていい気はしないでしょう。捨てろとは申しませんが、人前で大切にしているなどと言うものではございません」
「いえ、私は別に妻にはならいないけどね」
スティアお姉様が後ろで私たちを見ながら呟く。
カイオス様はメリアの話を聞いて、バツが悪そうに眉を下げた。
「そうですね。僕の配慮が足りませんでした」
そう言いながらもカイオス様は私からハンカチをさっと取り上げ、ポケットへとスマートに入れてしまった。
たった今、メリアに咎められてカイオス様も反省の言葉を述べたというのに、私はその行動に違和感を持った。けど不思議に思ったのは私だけじゃないようで、スティアお姉様が驚いたように目を見張った後、フフッと妖しい笑みを見せている。
「なーんだ、そういうことね」
まるですべての謎は解けたとでも言うように、お姉様は晴れやかな顔をした。
一体、なにがわかったというのだろうか。
「王子殿下。もう罪悪感に縛られるのはおやめいただきたいわ。本当はもう、私なんかに興味はないのでしょ?」
「……お姉様?」
一体なにを言っているのか、スティアお姉様は。
カイオス様はずっとお姉様を気にしていた。それは私が一番よく知っている。
その、はずなのに……カイオス様はなにかを飲み込むように、ぐっと奥歯を噛み締めていた。
「僕が子どもだったせいで、スティア……あなたの人生を狂わせる羽目になってしまったのです」
「仕方がないわ。殿下は子どもだったのですから」
「だから僕は、あなたを幸せにする義務が──」
「義務なんかで幸せになんてなれると思って?」
お姉様は凛と背筋を伸ばしたまま、カイオス様を見据えていた。
「それでも僕は、責任を取らなくてはいけない立場にあります」
「責任を取るべき相手を間違えてはなりませんわよ、王子殿下」
スティアお姉様のきつい物言いに、ひやひやする。カイオス様もその端正なお顔を少し歪ませて、それでも真っ直ぐにお姉様の言葉に耳を傾ける様相を見せた。
「私は今、幸せなんです。あの人と離婚できて、かわいい子どもたちとも別れずにすみましたから。だからもう、王子殿下が気になさることはなに一つありません」
「スティア……」
「お気にかけていただいたこと、感謝していますわ。どうか、今後はご自身の幸せをお掴みになって。それでは御前を失礼いたします」
お姉様は綺麗なカーテシーを見せると、そのまま颯爽と部屋へと向かっていってしまった。
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