第53話 アポロンの紋章


「全員、静まれ。」


荘厳な声が響き渡り、その声に全員が振り返ると、そこには黒い光をまとった女性の姿が立っていた。



「サラフィン…」


リーナが驚きの表情を浮かべながら名前を呼ぶ。


サラフィンは真剣な表情で一歩前に進み出た。


「すべての状況は把握している。この迷宮は現在、管理者を失い、崩れる寸前まできている。この状況を打破するには、新たな力を導き入れる必要があるだろう。」


陽が前に出てサラフィンを見つめる。

「新たな力…?」


サラフィンは静かに頷き、陽に目を向けた。

「陽、君だ。君の中にあるアポロンの力が目覚めつつある。それを解放し、この迷宮に新たな均衡を与えなさい。」


陽は驚き、困惑した表情で呟いた。

「均衡だと…?」


サラフィンは手を差し伸べ、陽の胸元を指差す。

「胸元を見てみるがいい。そこに、アポロンの紋章が現れているはずだ。」


陽は言われるままに胸元の服を緩めた。そして――


青く輝く紋章 が胸に浮かび上がっていた。その光は迷宮の闇を拒むかのように力強く輝いていた。


陽はその光を見つめながら呆然と呟く。

「アポロンの紋章…これは一体…?」



サラフィンの声が重く響き、場の空気をさらに引き締めた。

「これは、君が30階層にたどり着く前に解放された神の力だ。君には、心当たりがあるのではないか?」


陽は青く輝く紋章を見つめたまま、胸元を押さえた。そして、ある記憶が脳裏によみがえる――。


「あの時の…発作…」


陽は迷宮の途中で感じた胸の激しい鼓動、そしてドクンッという力強い感覚を思い出していた。


サラフィンが静かに頷く。

「そうだ。あの時、お前の中にあるアポロンの力が目覚めかけていた。心臓の高鳴り――それは君の神性が解放される予兆だったのだ。」


リーナが驚きの表情で陽を見つめた。

「じゃあ、あの胸の発作は…ただの体の異常じゃなくて…?」


「そうだ。」

サラフィンは静かに頷き、次にセレーナへと視線を移した。


「精霊族の姫よ。そなたの役割は、このアポロンの力を受け継ぐ者の器をさらに強固なものとすることだ。姫よ――精霊の加護を与えるのだ。」



セレーナは迷いを含んだ声で言葉を漏らした。

「しかし、陽には既に精霊の加護を与えてしまったわ…」


その言葉にサラフィンが力強く言い返す。

「精霊の姫よ、何を誤解している。精霊の加護は一度だけのものではない。そなたがその力を与える相手は、たった一人というだけだ。」


セレーナの瞳が驚きに揺れた。

「そんなこと…お祖父様は何も教えてくれなかったわ!」


サラフィンは険しい顔で周囲を見回しながら言い放つ。

「時間がない!迷宮の崩壊は、私が一時的に止める。だが、長くは持たない。急ぐのだ!」


陽はセレーナに声を上げた。

「セレーナ!今はやるしかない!頼む!俺に加護を!」


セレーナはしばし躊躇したが、覚悟を決め大きく頷いた。

「わかったわ!」


彼女は陽の元へ駆け寄り、少し息を整えてからそっと語りかける。

「陽…目をつぶってくれる?」


陽は静かに頷き、そっと目を閉じた。


セレーナは陽の前髪を優しく掬い上げ、額に触れるように唇を寄せた。


………。


しかし──何も起こらない。


陽とセレーナが唖然とし、その場の空気が一瞬凍りついた。


セレーナが声を震わせながら言った。

「やはり、もう私の加護は…」


サラフィンが鋭く声を挟む。

「そんなわけがない!精霊の加護は確実に働く!」


陽は焦るセレーナの手をそっと握り、優しく声をかけた。

「セレーナ、落ち着いて。大丈夫。俺を信じてくれ。」


セレーナは一瞬だけ瞳を閉じて呼吸を整えた後、小さく頷いた。

「ごめんなさい、少し取り乱して…もう一回やるわ。」


陽は再び目を閉じ、静かに待つ。


周りの仲間たちも息を呑み、その光景を見守っていた。緊張感がフロア全体に漂う中、セレーナが陽の額に再び唇を寄せようとした──その瞬間。


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!!


迷宮全体が激しく揺れ始め、天井から砂や岩片が落ちてきた。強い揺れに足元を取られたセレーナは、バランスを崩して陽の方へ倒れ込んだ。


「きゃっ…!」


「わぁっ…!」


セレーナが陽にぶつかり、そのまま二人は床に倒れ込む。次の瞬間──



チュッ



陽とセレーナの唇が重なり合った。


……。


一瞬、時間が止まったかのような静寂が訪れた。お互いの目が驚きに見開かれ、何が起きたのか理解する間もなく──


ドッドッドッドッドッ…!!


陽の胸から鼓動の音が異様な速さで響き始めた。その音は明らかに異常で、彼の体が光を帯び始める。


ドッドッドッドッドクンッ…!



「アアアアーーーーーーッ!!!」

陽が叫び声を上げ、胸を押さえながら激しくもがき出す。


「陽っ!どうしたの!?」

セレーナは陽の顔を覗き込み、必死に声をかけた。


陽の胸元から青白い紋章が輝き出し、明確な形となって浮かび上がる。眩い光が彼の全身を包み込み、彼の声が痛みに満ちてフロアに響き渡る。


「陽っ!!大丈夫!?ねぇ、返事して!!」

セレーナが張り詰めた声で叫びながら、陽の肩を掴み続ける。


陽の苦しみが頂点に達した瞬間、セレーナは力を込めて声を張り上げた。

「陽っ!!!」


その声が迷宮に響き渡った途端、陽の体が静かに震え、激しかった鼓動が徐々に収まっていく。


「……っ。」

陽が大きく息を吸い込み、ゆっくりと目を開けた。その顔には先ほどの苦しみの痕跡はなく、まるで何事もなかったかのような平静さを取り戻していた。


セレーナがホッとした表情で陽を見つめる。

「陽、大丈夫…?」


陽は立ち上がり、胸元を押さえながらふとセレーナの方を見て、一言だけ言葉を放った。

「セレーナ、ありがとう。」


セレーナは一瞬呆然としながらも、陽の言葉に小さく頷いた。



陽の胸元で輝いていた青い紋章が、迷宮全体を照らすような力強い光を放つ。その光がフロア全体に広がり、揺れ動いていた迷宮を一時的に静めるように感じられた。


そして、陽は再び前を向き、静かに詠唱を始めた。


「天上の光よ─

我が胸に宿る神の意志に応えよ─

深淵を裂き、真実を照らす力となれ─

汚れを払い、信仰を司る地に、

均衡と清き道を示せ─

光よ─

アポロンの名の下に、この地を浄化せよ─」


天秩聖光セレス・グレイス

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