セックス家の殺人

不悪院

出題編

「大変ですだ! 大変ですだよ、ブラウンせんせ!」


 ブラウンが狭い事務所でいつものようにいびきをかいていると、サンチョがその無駄に豊満な肉体をごむまりのように揺らしながら駆け込んできた。


「なんだ、サンチョ。大家のバアさんがついに俺たちを追い出しにかかったか。あの魔女ババア、家賃を5年滞納したくらいで俺を新作魔法の実験台にするとか抜かしやがったんだぞ。立ち退けと言われても絶対に出て行かんからな」


 ブラウンは寝ぼけ眼をこすりながらベッド代わりに使っている安物のソファから起き上がった。目の前には日頃の運動不足が祟ってか息も絶え絶えのサンチョの姿が。


 ブラウンはである。この魔都において、そこそこ珍しい種族だ。対してサンチョはオーク。屈強な身体と猪のような頭。彼らは主にその運動能力と打たれ強さを活かして肉体労働に従事することが多い。


 だから、サンチョのように探偵事務所で働いているオークは稀――いや、魔都で頭脳労働をしているオークはサンチョくらいのものだろう。


「せんせ、そうじゃないですだ。ついにオラたちに仕事が舞い込んだんですだよ。しかも殺人事件の捜査らしいですだ」


 サンチョは興奮気味にまくし立てる。あまりの剣幕にニンニク臭い唾液が数滴飛び、ソファのシーツを汚した。


「なんだあ? サンチョ、よく考えてもみろ。こんな万年ネコ探しをしているような零細探偵事務所にそんな大層な仕事が入ると思うか?」


「いやいや、せんせ。これは冗談でもジョークでもないだよ。本当に警察が捜査を依頼してるだ」


 冗談とジョークは同じ意味だろ、とぼやいたブラウンだったが「警察からの依頼」という言葉が気になり、おもむろに立ち上がった。


 10年以上着古した安物のトレンチコートを羽織ると、未だ興奮冷めやらぬサンチョを連れて探偵事務所を出る。


 ブラウンはおぼつかない足取りで階段を下りて間借りしているアパートの外へ出、ふと見上げてため息を吐いた。「ブラウン探偵事務所」とミミズが暴れたような文字で書かれた看板が風に揺られて斜めに傾いている。そろそろ修理しなくてはならない。


 犯行現場へは、事務所から数十分ほどで着いた。数百年前に建てられたという由緒正しい教会だ。周囲には警戒線が張られ、物々しい雰囲気が漂っている。どうやら殺人事件というのは本当のようだ。


 すると、現場を居丈高に歩き回っていた一人のドワーフがブラウンを見つけ、声を張り上げた。


「おい、短命種! ここは我々警察が殺人事件を捜査しているんだ。小汚い人間のホームレスは近づくな」


 人間は長くて100年しか生きられないため、短命種として差別に遭うことも多いのだ。


「いや、俺はブラウンという者で……探偵をやってて……その……捜査協力に呼ばれたとかで……」


 公権力に弱いブラウンは、心のなかで毒つきながらしどろもどろに答えた。


「ああ、アンタたちが例のへっぽこ探偵とまぬけな助手か。俺は警部のドルガタという。もう二度と会うことはないと思うが一応挨拶はしておく。よろしく。じゃあこの事件の概要だが――」


 ブラウンの半分ほどの身長をシークレットシューズで底上げし、横柄に胸を反らすドワーフ警部のドルガタは、挨拶もそこそこにいきなり本題に入った。どうやらブラウンたちと長話を続けたくないようだ。


「被害者はサキュバス。名前は分からん。検死の結果、年齢は……まあ、若く見積もって300歳くらいか」


「アラサーだ。オラ、サキュバスとサバは新しい方が好きですだよ。どっちもアシが早いからね」


 ブラウンの耳元で囁くサンチョ。どうやらサキュバスの300歳は人間でいうところの30代に相当するらしい。サキュバスは人間とは異なり、最初の1年で成人の姿にまで成長するため一概には言えないが。


「死因は餓死だ。サキュバスは3年以上精液を摂取しないと肉体が朽ちてカラカラのミイラみたいになるからな。これはほぼ決まりだ」


「なるほど。それで、そのオバハンサキュバスの何が警察の頭を悩ませてるんだ?」


「フン、結論を急ぎすぎだ。これだから人間は……」


 本題に入るのは早いくせに結論を急がれると怒るという極めて理不尽な性格のドルガタは咳払いをし、話を続ける。


「発見現場はこの教会の地下にある密室だ。ここ数十年使われていなかったようだが、それはいい。俺たちが分からないのはどうやってあのサキュバスを餓死させたか、という点だ」


「ん? 密室で死体が見つかったんだろ? そこに餓死するまで閉じ込められてたんじゃないのか?」


 もっともな疑問を呈するブラウン。3年間精液を断てば餓死するなら閉じ込めておけばいい。


「フン、話はそう単純じゃないんだ。その密室というのが、あの悪名高きだったんだよ。しかも、健康な成人男性10名も一緒に閉じ込められてた」


「なんということだ……おお、神様……」


 ブラウンは天を仰いだ。


 『セックスしないと出られない部屋』。それはこの魔都に偶発的に発生する旧時代の遺物である。一説にはかつて世界を支配していた邪神によって作られた、生命を冒涜するための装置とも言われている。


 二人以上の異性が入室すると機能が作動し、セックスをするまで出ることは許されない。外側から扉を破壊することは可能だが、内側からはセックスという条件が満たされるまで竜族だろうと天使だろうと絶対に退室することはできないのだ。


 しかし、そういうことなら警察が捜査に行き詰まっているのにも納得できる。室内には精液を溜め込んだ若い人間の雄が10人もいた。それなのに、なぜサキュバスは餓死してしまったのだろうか?


「警察は一緒に入室していた10人全員による共謀殺人だと睨んでいる。アンタらも知っていると思うが、あの部屋では、衣食住を保証するために錬金術の応用で食べ物やある程度の日常生活品が自動で生成されるからな。おそらく吸精される前にスッカラカンになるまでオナニーで精液を放出して、出したティッシュごと燃やすなりなんなりして精液の入手手段を断っちまったに違いない」


 ドルガタは苦虫を噛み潰したような顔でそう呟いた。


「なるほど……。いや、ちょっと待ってくれ。オナニーをした程度で精液はスッカラカンになっちまうものなのか? それにサキュバスを餓死させるために毎日ずっとオナニーしてたら男たちのほうが腎虚で逝きそうだが……。そもそも、その男たちは何も喋らないのか?」


 ブラウンは矢継ぎ早に質問を飛ばす。これは明らかに同じ室内にいた10人の男たちが怪しいだろう。


「ああー、そんなに一度に質問されても答えられるか! とにかく、部屋で発見された10人は尋問室にブチ込んでいるが、全員が全員、何も答えようとはせん。あいつらまるでロボットみたいで気味が悪い。俺たちの言葉も分かってるのか分かってないのか……」


 ドルガタは険しい顔で頭を振る。全方位行き詰まってしまったようだ。まるで打つ手がない。


「あと、手がかりになりそうな情報を出しとくか。例の部屋が発見されたのは偶然だ。教会を調査していた考古学者たちが興味本位で扉を壊したら、サキュバスの死体と全裸の男たちが発見されてな。警察が全員しょっ引いた。室内の様子は燦々たる様相だったらしい。あちこちに食べ物やゴミが散らかり、トイレもほとんど使われてなかったとのことだ。まあ、密室でサキュバスと10人の男が閉じ込められたんだからな……全員が発狂したってとこだろう」


「ふーむ……」


 ブラウンは顎に手をやって考え込んだ。この事件、何か妙だ。……いや、妙な点だらけなのだが。


「他に質問は? 無いならさっさと帰ってくれ。警察も忙しいんだ」


「最後に一つだけ。どうして捜査を依頼したのが俺なんだ? 他にも優秀な探偵はいくらでもいるだろ?」


「ああ、その件か。……俺も反対したんだがな。お偉方がクジで決めたんだ。難事件が出たときは名探偵以外にも平等にチャンスをあげようって。行き過ぎた平等主義は弊害しか生まんと思うが」


 内心、「アンタらには実はすごい探偵の才能があったから頼んだのさ!」と言われることを期待していたブラウンは露骨に肩を落とした。


「ま、頑張ってくれ。捜査が終わったら警察署まで来てくれ。期待してるぜ」


 ドルガタが出会って初めて笑顔を見せる。それは、心の底からブラウンとサンチョを見下している嘲笑であった。

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