第4話
「聞いて! あたし、VTuberになることになった!」
「それ私が聞いちゃって大丈夫な情報!?」
いつものように、フライパンひとつで作ったトマトパスタに舌鼓を打っていた日曜日の優雅なお昼時。ルイからの着信を受けると、彼女は私が「もしもし」も言わないうちにそう告げた。その声には期待がにじみ、まるで遊びの予定を親へ伝える小学生のよう。思わず私も笑顔に……なる直前に、心配になって聞いてしまった。「守秘義務は大丈夫なのか?」と。
「だいじょーぶ! そこのところはいろいろあって安心していい感じだよ?」
「そっ、そう……。ならよかった」
いろいろあったらしい。私も流石にVTuberのオーディションについては詳しくない。受かったことを第三者に知らせてもいいものなのかは知らなかった。人の口には戸は立てられないとよく言う。私が採用する側であれば、トラブル回避のために他言無用ということにしたいところだが……いろいろあったのならなんとも言えないかな。
「もっと他に何か言ってくれないのー?」
私が小難しいことについて思いを馳せていると、彼女は低めの声でそう拗ねた。ビデオ通話ではないため表情は伺い知れないが、それでも、くちびるを尖らせている様子がありありと想像できた。
「……おめでとう。きっとルイなら受かると思ってたよ」
「ほんとに?」
「本当。嘘はつかない」
「んふふっ! ありがと、リネ!」
上機嫌な笑い声。かわいらしいドヤ顔を想像した。
彼女なら受かるだろうと思っていたことに偽りはない。オーディションとなると、他の応募者がどれだけいて、どういう人たちかによって難易度は変わるだろうが、それでも彼女ならどれだけ狭き門でも突破できると信じていた。そして、いくら信じて疑わなかったからと言って、信じていたとおりに実を結ぶことがうれしくないわけがなかった。嬉し涙に視界が滲み出す。まさに今、推しの夢が現実になろうとしている……!
「こほんっ! それで、ね。ちょこっと頼み事があるんだけど、よかったら聞いてくれる?」
彼女は空気を変えるように、かわいらしく一つ咳払いをして尋ねる。
「どんなこと? 私にできることならもちろん手伝うよ」
「わぁ心強い! ……今回頼みたいのはズバリ、配信機材選びだよ! リネ、パソコンとかに詳しくなかったっけ?」
▷——
もうすっかり冬になり、昼過ぎという最も気温が高いはずの時間帯でも肌寒い。そんな中、私は秋葉原のエントランス、電気街口へとやってきていた。
都内の大学への進学を機に上京した私にとって、秋葉原はある程度身近な場所だった。買い物や観光のために何度か来たことがあり、今使っているデスクトップパソコンもここで買ったもの。だから、彼女からの相談を受けて真っ先に考えたプランは、秋葉原をぐるっと回って必要なものを揃えてしまおうというものだった。
リアルで会ったことこそなかったが、彼女も東京近郊在住ということは知っていた。だから地理的な問題はない。問題があるとすれば、オフで対面することに私の心臓が耐えきれるかどうかくらいだった。彼女は私の最推しなのだ。ビデオ通話すらしてこなかった私たち。SNSに投稿された画像に映り込んだ彼女の手にいちいちドギマギしていた私。……気持ち悪いと言われても、もう開き直るしかない。彼女は、私の、最推しなのだ!
「はぁーっ……」
高ぶる思いを落ち着けるべく、息を大きく吐き出す。そのまま周囲を見回すと、日曜日というのもあってか人通りは多く、私のように待ち合わせ中の人もちらほら見受けられた。その中に同年代の女の子がいないか探す。どんな服装をしているかくらいは事前に聞いておいたほうがよかったかもしれない。
数分間そうしていると、ブブッとポケットの中でスマホが振動した。何かと思い見てみると、彼女からのメッセージだった。
『ついたよー!』
簡潔で、けれど楽しそうな雰囲気が伝わってくる文章。そしてそれに添付される形で、広告を前に自撮りをしている写真が送られてきていた。その広告は、いつだったか気になると彼女が話していたゲームのもので、私もv9のVTuberたちの配信でよく見ていたので知っていた。……って、自撮り!?
「かっ、かわいい……」
すっと通った鼻筋と、大きな瞳。人懐っこい印象を受ける笑顔は、スマホを掲げるようにして自撮りしたからか、少し上目遣いでドヤ顔っぽい。明るめの色の長髪は、あごの高さでふんわりとウェーブしていた。
「天使かな?」
思わずつぶやいてしまう。このような存在が今、私の近くにいるというのは信じられなかった。写真の取られた場所はおそらくすぐ近く。半径数メートル以内に天使が——。
「……あのー、もしかしてリネ?」
「はいぃ!」
聞き慣れた声に、スマホへ向けていた視線を上げる。そこにいたのは写真通り……いや、写真以上にかわいい女の子。
「んふふっ、びっくりさせちゃったかな。はじめまして、ルイだよ?」
「えと……はじめまして、リネです」
動揺しつつも自己紹介を返せた私を、誰か褒めて欲しい。
▷——
数回深呼吸をして心拍数を落ち着けようとしている間、彼女はニマニマとした笑みを浮かべながらこちらをじっと見つめてきていた。いたたまれなくなり私は適当な話題を振る。
「それにしても、よく私がリネだってわかったね。自撮りが送られてきたときには、てっきり私の方から見つけ出す必要があるとばっかり思ってたよ」
すると彼女はドヤ顔でうなずきながら答える。
「雰囲気があたしの知ってるリネだったからね! それに、あたしがメッセージを送った瞬間にスマホを取り出してたし、その後『天使かな?』とかつぶやいてたし」
「うぅ、聞かれてたのか……」
「んふふっ。リネってば普段から、ときどき言動がおかしくなるよね? あたしのこと好きすぎ?」
「普段も今回も、一応言動には気をつけていたつもりだったんだけど、そんなにわかりやすかった?」
「そりゃあもう。愛されてるなぁって感じるよ。照れちゃう!」
きゃはっ、と笑いながら赤く染まった頬に手をやる彼女。おどけてみせる彼女もとてもかわいい。
そして今度は少し真面目な顔で、
「それにしても、いきなりでごめんね。機材はできるだけ早く揃えておきたくって、今日が日曜日なことを考えたら居ても立っても居られなくなっちゃって」
と、肩をすくめた。私は首を横に振る。
「大丈夫。少しでも早く揃えて、少しでも長く触って慣れておくというのは、その機材で今後頑張っていくことを考えたらとっても大事だから。むしろ、ルイの成功を願う者として、待たせてなんていられない」
少し照れくさくなり、目をそらしながらにはなったが、私はそう答えた。ちらりと視線を戻すと、彼女もまた照れくさかったのか、えへへと笑う。そして笑いながら……
「それじゃあ、これから半日、『お買い物デート』、よろしくね?」
と言って、私の隣に並ぶように立った。
お買い物……デート!? 驚く私の心の声がバレバレだったのか、彼女はくすりと笑ってわけを話す。
「リネの服、なんだかかっこいいなぁって思ってね? かわいくなるように気合い入れてきたあたしがこうやって横に並ぶと、まるであたしたち、デート中のカップルみたいじゃない?」
それを聞いた私は自分の服に目を落とす。暖房の効いた店内へ出入りすることを考えて選んだテーラードジャケットは、きっとロングコートなどよりは脱ぎ着しやすく扱いやすいはず。ただ、テーパードパンツやアンクルブーツとも相まって、その見た目は指摘通り、「かわいい」よりは「かっこいい」。なんだか男の子の格好のようだ。
対する彼女のコーディネートはというと、まず目に付くのはふんわりとやわらかそうなストール。かわいい。そしてシンプルなクルーネックカーディガンとブラウンのタックフレアスカート。スカートからは黒タイツが覗く。うつくしい。……気合い入れてきてくれたんだ。うれしい。
こうして見ると対象的なコーディネートだ。男女のデートだとする彼女の冗談も、端からおかしなものというわけではなかった。しかし実際には、それこそモデルのようにきれいな出で立ちの彼女に対し、私はどこにでもいる凡人で。きっと道行く人の目には、服に着られているように見えることだろう。ひょっとすると、引き立て役のようにも見えるかもしれない。彼女と私の間には越えられない壁、決定的な境界線があった。自然と着こなす側と、服に着られる側。輝く主役と、引き立て役。推される側と、推す側。
しかしこれは決して自身を卑下するような感情ではない。もとより私は彼女を推す側であり、引き立てることができるとしたら本望だ。とはいえ、道行く第三者の視点から見たとき、彼女と私が何か特別な関係を持っていると思われるかもしれないのは緊張することだった。万が一、億が一にも恋仲と誤解されたら……?
「……なんかドキドキしてきた」
「あたしもだからお互い様だね?」
「……そういうこと言っちゃうのほんとよくないよ」
「んふふー」
配信機材を揃えるという用件をまだこれっぽっちも達成していないというのに、すでに心身が限界を迎えかけている。こんな調子でこれから半日……? 波乱の予感とともに私たちの「お買い物デート」は幕を開けたのだった。
▷——
「(ここまでは順調、かな?)」
ルイは、はにかむリネの横顔を見て幸せそうに微笑んだ。そして、心の中でチェックシートに印をつける。自撮りの送信、達成。好かれていることを喜んで見せる、達成。これはデートなんだと意識させる、達成。
けれどルイにはまだリネとやりたいことがたくさんある。機材を揃える、未達成。寄り道もしたい、未達成。一緒にご飯を食べたい、未達成。人混みに行ったら手とか繋げちゃったりするかな、未達成。どさくさに紛れてあんなことも、未達成。
「(せっかくの機会なんだから、いっぱい距離を詰めないと損だよね?)」
幸せを振りまくかのように微笑むルイ。……しかし彼女はまだ知らない。自身の胸の奥深く、恋心だと思っている物の裏に潜む闇を。そしてそれが、二人の仲を大きく変えることになることを。
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