第28話


 激突する。拳を交わす。


 エリザが炎を噴かして距離を取ろうとすれば追いかけ、迫りくる射撃をギリギリで躱す。拳と銃が何度も重なり合い、金属質な異音が部屋に響く。


「―――テメエも、しっつこいなぁあ!」


 燃えている。

 エリザの射撃の余波で、私の拳による摩擦で、迷宮のあちこちに炎が飛び散っている。塵になる前の魔物の死体が燃え、パチパチと橙色の火花を散らしていた。


 クライヒハルトのお陰で、私たちの周りに魔物は近寄ってこない。殺された魔物がまるでコロッセオのように周りを囲んでいる。円形に囲われた炎の中で、光に照らされるエリザの顔だけがやけに鮮明だった。


「ハァッ、ハァ……ッ!」


 熱い。腕が焼けるように痛む。喉が渇いた。眼がチカチカする。疲れた。


 【英隷君主ディバインライト】によって英雄の力を得ても、私自身はただの人間だ。【英隷君主ディバインライト】は精神的疲労を癒してはくれないし、長時間使用すると疲労が溜まる。その代わりに、肉体的損傷の修復は異常に早いのだが。【瘴気】によって強化された上、元々【英雄】であるエリザとは持って生まれた持久力スタミナが違う。


 疲労でフラフラになった腕と脚を無理矢理動かし、エリザを殴りつける。ボロボロになった鎧が砕け、しかし周囲の金属が蠢くようにそれを修復する。


「【革新的軌跡グレイテストジャーニー】、修復リペア。『もっと便利な機械をナノマシン』」


 エリザがそう呟き、万全に補修された鎧が再び炎を吹かす。


 さっきからずっと、この繰り返しだ。互いの損傷を互いの【異能】で修復し、ダメージを無かったことにし、ひたすらに不毛な殴り合いを続けている。エリザの飛行ユニット修復に時間が掛かっているのが幸いだった。また空を飛ばれたら、今の疲弊した身体では十分に対処できるか怪しい。


「ハァッ、フゥ……! なあ、気づいてるか? このままだったら、俺が勝つぞ。今の状況は確かに千日手だが、だけどお前、まさか本当に千日これを続けられる訳じゃ無いだろう? 」


 流れる汗を拭い、エリザがそう問いかける。


 彼女の言っている事は正しい。【英隷君主ディバインライト】は無敵の異能だが、力の蓄積と排出を同時に出来ないという欠陥がある。クライヒハルトから譲渡されたエネルギーは確かに膨大な物だが、しかし有限ではある。瘴気に触れたエリザの無限と渡り合い続ければ、いつかは枯渇してしまうだろう。

 精神的な疲労も相まって、排出形態イクゾーストシフトを維持し続けられる時間は思ったよりも短いかも知れない。少なくとも、エリザが言うように千日間は到底無理だろう。


 だけど、それで問題は無い。クライヒハルトが、『時間を稼いでくれ』と言ったのだ。そうしてくれさえすれば勝てると言ったのだ。長期戦だってどんとこい、この程度、彼に出会う迄の王宮に比べれば苦痛の内にも入らない。


「……だが、その眼。勝算がある奴の眼だ。『このまま行けば勝てる』と思ってる奴の眼だな」

「……私、そんなに全部顔に出てるの? 王族として自信失っちゃうわね、どうも」


 幾らなんでも読まれ過ぎだろう。勿論、交渉に精通しているエリザの眼力が異常なのだとは思うが。


 【英雄】でありながら、商業や研究……人間の社会的活動に、深い理解を示すエリザ。それは、一種超越者的に振舞う英雄の中では珍しい物だった。何と言うか、人間と何処までも対等に接していると言うか……。実力に比例して人格が壊れていく英雄の中で、彼女は少し異例だ。


「腹が立つ……【英雄】は、どいつもこいつも気に入らねえ……!」

「ぐっ……!」


 エリザが加速する。彼女が繰る鎧が滑らかに動き、腕に備え付けられた連射銃が火を噴く。


 【防御形態ディフェンシブシフト】へ咄嗟に切り替えたが、それでも思わず息を吐いてしまうような衝撃が腹部に走る。体術に関して雑魚も良いとこの私に、相手の攻撃を全て回避するだけの技量など望むべくもない。


 それでも、脚を前に出す。舌を回す。私に出来る事など、とにかく愚直に頑張る事しか無いのだ。


「自己嫌悪かしら、エリザ……!? 貴女も【英雄】のくせに!」

「ああ、そうだ! 俺の事だって、俺は嫌いさ! 【異能】も、【英雄】の立場も、等価交換の【魔道具】も! こんな物を使わなきゃ、何も出来ねえ自分が憎くて仕方ねえ!」


 走り回って射撃を回避する。技術も何もない、単純な速力に任せた回避。


「一人しかいねえ特別! 再現性の無い異能! そんなもんに何の価値がある!? 俺一人だけの"万能"に、価値なんてねえよ!」

 

 銃身が過熱しすぎたのか、エリザの射撃が止まる。だが、彼女自身は止まらない。すぐさま背後から巨大な刀を抜き、私に斬りかかって来る。


「おもしれえ話をしてやるよ! ある間抜けな商会の男と、その娘の話だ! ある日、ある街から小麦の輸出が途絶えた! まあまあ話題になった魔物騒ぎだ、知ってるか!?」

「あぁあ……っ! 知ら、ない、わよ……っ!」

「温度を管理していた【異能者】が居なくなったせいで、小麦の収穫量が落ちたらしい! そんでその穴を埋めるために森を拓こうとして、魔物に目を付けられた!」


 エリザの刀と私の剣がぶつかり合い、鍔迫り合いの体勢になる。炎の中、エリザの右目だけが爛々と輝いていた。


「資金繰りが悪化して男の商会は傾き、娘と家族も飢えに苛まれた! なあ、何が悪かったと思う!? 魔物か、居なくなった異能者か、そいつを雇う金を払えなくなった街か!? 」

「――――っ!」

「男が言うにはどれも違う、"運が悪かった"んだとさ! ……ふざけやがって!!」


 エリザの鎧から炎が吹き上がり、急上昇した膂力に吹き飛ばされる。摩擦で上がった土埃の中、エリザの語る悲劇へ僅かに歯噛みする。


「娘が送った金を、男はもっと良い異能者を雇う為に使った! 不確かであやふやな、一代限りの異能に縋った! 何故か!? 今までそれで何とかなったからだ! 一番手っ取り早い解決法だからだ! その事がずっと、俺を苛立たせて仕方が無い……!」


 砲撃。射撃。爆発。ありとあらゆる兵器が、今やエリザの手の中にある。銃口を瞬かせながら、エリザが眼を見開いて怒鳴る。

 

「困った事があれば、【異能】でなんとかなるから! どうにもならなくなっても、【英雄】が解決してくれるから! だから、どいつもこいつも腑抜けになっちまった! 寒さに強い小麦だとか、強力な肥料があればなんて考えもしねえ、ただ特別な誰かが解決してくれると期待するだけの馬鹿どもが産まれた!」

「ぐぅっ……!」

「英雄も異能も下らねえ! ソイツが死んだらお終いの"特別"を、どうしてそうもありがたがる! どうしようもねえ凡人の、何の取り柄もねえカス共の、俗にまみれた欲望が! 死んだとしても後に遺る【技術】が、本当に世界を変えるんだ!」


 叫び、エリザが私へ銃を向ける。

 彼女の語る技術、その結晶である無骨な金属の塊が炎に照らされて光る。

 ……これだけ良いように言われて、黙っていられるものか。


「……ずいぶん、自己矛盾が多いのね……! そう言いながらも貴女は【英雄】だし、やってる事は私たちを殺して瘴気特別を手に入れようとしているだけじゃない……!」


 吹き飛ばされた体勢のまま、食い下がる様にそう反駁はんばくする。


 推測が、確信に変わろうとしている。


 言動が支離滅裂になり、言っている事とやっている事が相互に矛盾する。それは、精神系の【異能】を掛けられた時によく見られる症状だ。傾向として、術者が未熟だった時、詳細な命令が入力されていなかった時、そして―――被害者が、抗っている時に起こりやすい。

 

「偉そうに語って、何しても良いって態度で無茶苦茶して! 聞いたわよ、【研究刑】の話……!」


 罪を犯した者を選んで、人体実験の実験体にしていると。だから、自分たちの牢獄には人が全くいないと。そう悪ぶった笑みを浮かべながら語ったエリザを思い出す。


 あの後、私はふと疑問に思ってイザベラに調べてもらったのだ。人の出入りが激しい商国で、噂など一瞬で広まる。悪い噂なら特に。だが、罪人がそのような扱いを受けているなど聞いたことが無かったのだ。それがエリザの卓越した情報統制ゆえなのか、我が『劇団』はしっかりと調べ上げた。


 そうしたら。


「罪人はみんな、五体満足のまま実験を終えて解放されて! 就業先の世話も……何なら、見込みがある者は国立研究所ターミナルの雑用として雇われてるって話じゃない! 牢獄が空っぽなのも、すぐに実験を終えて解放されるから!」


 元囚人にも話を聞いた。実験の説明をされ、死亡の危険が無いよう細心の注意が払われて……。牢獄こそ簡素だったものの、扱いは丁重極まる物だったらしい。何度も罪を犯して「更生の見込み無し」と判断された者は迅速に処刑が行われるが、それでも大抵の者は手厚い支援を受けて社会に復帰していくそうだ。


 エリザと話をした今の私には、その理由が分かる。エリザは、彼らの『欲望』を損ねたくなかったのだ。何の取り柄も無い凡庸な人間たちが、いつか黄金を産むと信じた。たとえ犯罪者でも、彼らがいつか何かを産み出す可能性を損ねたくなかった。


「そんなに、人間を愛している貴女が……! 悪ぶって、妙な事してるんじゃ無いわよ―――!」


 言いながら、自分の体内に意識を集中させる。


 父上の異能が、ずっと羨ましかった。"自分の感情を伝播させる"という、民を鼓舞する王の異能。それに比べて、自分の異能は嫌いだった。"長く話した相手の望むものを察する"というあまりにもささやかな異能は、いつも他人の顔色を窺っていた自分を象徴しているようで。


 だが。今なら。


 クライヒハルトに渡された、無形むけい万能のエネルギーがあれば。異能を反転させ、声に力を籠め、父上の異能の、ほんの真似事でも出来るはずだ―――!


「【英隷君主ディバインライト―――王令キングスオーダー】! 『目を覚ましなさい、エリザ!!』」


 力を込めて放った声が、空気を震わせた。クライヒハルトのような、英雄の声。父上のような王の声。それに少しでも近づけただろうか。


「がぁ゛っ……! クソ、頭に響く声出しやがって……!」

「こんなんで良ければ何度でも言ってやるわよ! 目を覚ませ、目を覚ませ、目を覚ませ―――!」

「うるっ、せぇええええええええんだよ!!!!!」

 

 爆発。エリザの鎧が強引に振り回され、腕の先で爆発が起こる。衝撃波に押され、声が途切れる。爆発の原理は分からない。まだこちらが知らない、新種の兵器を使ったのか。


 顔を押さえながら、エリザがこちらを睨みつける。その中でもやはり特異なのは、その眼。

 迷宮の核が埋まった左眼ではない。今も煌々と光を放つ右眼、濁り切ってなお色褪せぬ人間の眼こそが彼女をよく表していた。


「こんなもん、ただの優先順位の問題だろうが! 俺の欲を満たすために有用だから、研究員たちを厚遇した! それ以上に有用な瘴気が見つかったから、手段を変えた! それだけだ!」

「で、今は迷宮の主になってご機嫌ってわけ……!? ふざけんじゃ無いわよ!」


 精神系【異能】に対して、自己矛盾を認識させる事で解除されるケースがある。

 本当に僅かな事例だが、それに賭けて少しでも言葉を紡ぐ。


「ここで、私たちを倒したとして! それで貴女、その後一体どうするの!? 王国とは確実に戦争になるわ! 王国と戦争して、次はその同盟国である帝国とも、ひょっとしたら聖国とも戦争して! 何人も死んで、それで貴女のやりたい事って叶うの!?」

「黙れ……!」

「それで、更にその後! 瘴気による知識を引き出し切った後は!? また一人、もっと新しい物を求めて研究を始めるのかしら! 貴女一人が死んだらお終いの、すっごく技術を求めて!」

「黙れ、黙れ、黙れ―――!」


 攻守が何度も入れ替わり、まるで踊るように銃と拳が交錯する。疲労困憊の私と、顔を歪めて苦しむエリザ。誰も幸せにならない舞踏は、私を蹴り飛ばしたエリザが強引に距離を取った事で終わりを告げた。


「ああクソ、頭が痛い……! だが、ああ、ああ……!」


 頭を振り、エリザが私を睨みつける。迷宮の核による浸食がすすんだ証か、顔の左側には薔薇の茨のような紋様が浮かんでいた。


「俺に、情けを掛けるな……! 俺を、哀れむな! クソ、クソ……! 俺は、俺はどうして―――」


 左眼から血を流しながら、エリザが嘆くように叫ぶ。後悔を吐き出すように嗚咽する。



「―――



 ポツリと、そう言葉が漏れた。炎の中、火花の散るパチパチという音だけがやけに耳に届く。


「捨ててはいけない物だったのに。あの馬鹿どもの、野生の猿染みた未熟な欲望が、智慧を求める意思が、何より価値があると知っていたはずなのに。黄金よりも尊い物を、俺は対価にべてしまった」

「――――――」

「ああ、クソ……だから、そう、だからこそ……! ……!」


 沈黙していたエリザの鎧が、再び駆動音を響かせる。炎が再点火され、全身の武装が音を立てて展開される。


「もう、取り返しがつかない! お前らを殺して瘴気を手に入れ、彼らの欲望にそれだけの価値があったと証明するか! 俺が死に、愚かな真似をした罰を受けるか! どちらかの死しか、この戦いの結末はあり得ない……!」

「ああ、もう……! 結局、やる事は変わってないじゃない……!」


 やはり付け焼刃の異能、真似事だけでは届かなかったのか。


 いや、違う。エリザが天に手を伸ばす。今までにない圧力と、の何かが召喚される気配。


「俺は証明する! 神も、【英雄】も! そんな物が無くても! 人類俺たちは、何処までも行けるのだと! あのクズどもの犠牲には、それだけの価値があったのだと! 」


 私の言葉は、僅かながらもエリザに届いたのだ。持久戦を選んでいたはずの彼女が、大技の使用へ踏み切るほどに。

 

 終局が近い。互いのボルテージが上昇していく事を、肌で感じ取る。


「―――殲滅形態アニヒレイトシフト……!」


 先んじて、剣へエネルギーの充填を始める。クライヒハルトのエネルギーを剣に込めて放出する、曲がりなりにも私の必殺技。エリザの切り札を迎え撃とうと、私の剣が輝きを放つ。


「【革新的軌跡グレイテストジャーニー】――― 『神の如き力をロッズ・フロム・ゴッド』!!!」

 

 瞬間。迷宮が、ひらいた。


 迷宮を操作できるエリザが、強引に地上までの道を造ったのだ。薄暗く、炎に照らされていた迷宮に、が入る。澄み渡るような青空。その青の向こうに、キラリと何かが光ったような―――。


「……ッ!」


 違う。錯覚ではない。遠い空から、巨大な金属の棒が私に向かって堕ちて来ている―――!

 超高高度から、重く巨大な金属棒を超速で投下する。城壁の上から岩を落とす原始的な投石の、何十倍にもスケールを大きくした兵器。あれが直撃すれば、確実に私はただでは済まない……!


 だが、今視認出来たならやり様がある。着弾まではまだ猶予がある、今のうちに回避を―――。


「―――【引き寄せアポーツ】」

「え」


 遠くに見えた金属棒が、いきなり頭上にあった。


 エリザの異能、【俗物的奇跡インスタントプレイ】。空間系異能である【引き寄せアポーツ】の進化系。そうだ、……!

 忘れていた。いや、意識を逸らされていた? エリザの操る、無数の兵器。黄金のような財の数々が、目くらましになって―――。


 思考が引き延ばされる。 


 体勢が整っていない。頭に当たる。【英隷君主ディバインライト】で傷は治るとして、もし気絶したらすぐに戦闘へ復帰できるか? 防御形態ディフェンシブシフトに切り替えるのも間に合わない。無防備な体勢で、英雄の渾身の一撃を喰らおうとしている。イザベラとの会話が、今更ながら脳裏をよぎって―――。



「―――王権、。『私は接続者にして代行者。楽園でまわる炎の剣』。【箱舟アーク・エルゴー】、起動」



 何も、起こらなかった。金属の棒が、ふよふよと目の前で浮いている。エリザの秘していた最終兵器は、あっさりと無力化されていた。


「万有引力という物があります。全ての物は互いに引き合い、その力の大小は質量によって決定される。例えばこの小石が星よりも重ければ、星はこの小石に向かって堕ちる。そして、質量とエネルギーは等価性を持つ。今の私ならば、この小石を【英雄】にして星より重くする事も、それが転じて重力を操る事すらも可能です」


 コツコツと、靴の音が響く。周囲の魔物たちは、いつの間にか地に伏せていた。無尽蔵に近かった迷宮の魔物たちが、全て。跪くように、その身体を大地に捧げている。

 

「天のことわりは、今ひととき私の手に。お待たせしてしまい大変申し訳ありません、アストリア様」

「―――っ、クライヒハルト! おっそいのよ、本当に……!」


 【英雄】クライヒハルトは、そう言って私の隣へ並んだのだった。





 

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