第29話(前編)
それは、もはや蹂躙と言ってよかった。
「クソ……! 何なんだよ、テメエ……! 手ェ抜いてたのか!? 弱体化してただろうが! 迷宮の魔物にさえ手傷を負って、俺の魔兵どもに完封されてたはずだろ……!」
「ええ、その通りです。そのせいで、アストリア様には苦労をお掛けしてしまいました」
エリザが虚空から呼び出した巨大な刀と、クライヒハルトが優雅に振るう剣が唸りを上げてぶつかり合い……エリザの刀だけが、粉々に砕け散る。
距離を詰めたクライヒハルトが二度三度と剣を振ると、あれほど硬かったはずのエリザの鎧がまるでスライムのようにスパスパと切断される。慌てて後ろへ下がったエリザだが、鎧の再生は遅い。破損のペースについていけていないのだ。
「クソが……クソ、クソ、クソ……!」
「瘴気によって得た異界の知識、それを基にした別世界の兵器……。しかし、言ってしまえばどこまで行っても物理法則の枠を出ません。私を傷つけるには、いささか力不足ですね」
炎を噴かせて飛翔するエリザを、クライヒハルトが空中を蹴って追いかける。
彼女が繰りだす無数の銃器を、クライヒハルトは避ける素振りも見せない。
ただ受け止め、ポロポロと銃弾が力なく地面へと落ちる。
彼が剣を振るうたび、エリザが一手追い詰められる。
エリザが攻撃を仕掛けるたびに、彼女が少しづつ不利になっていく。
あり得ない事だが、【
二人の軌道は螺旋めいて空に跡を残しながら上昇し、強化された私の眼ですら時折見失いそうになる。
圧倒的だった。
三次元的な戦闘を繰り広げながら、クライヒハルトの顔には焦りの一つも無い。対してエリザの顔は抗いがたい実力差を前に歪み、冷や汗を流している。
「ふざけるなよ……! どこまで理不尽なんだ、お前は……!」
「いえ。例えば、リラトゥには効くと思いますよ。エリザの言うように、いずれ人類が英雄を超える日が来るのかもしれません」
「……っ! なら、お前だって……!」
「ええ、勿論。私だって、いずれ超えられる壁でしょう」
「ただ、まあ……流石に、まだ時間が足りませんね」
そう言って、クライヒハルトはにっこりと微笑み。
「【
エリザを、重力で押し潰したのだった。
「ガ――――――ッ!」
「フラグメント:
私の眼からは、何か光が二度瞬いたようにしか見えなかった。
だが、エリザが地面に墜落した一瞬の内に、クライヒハルトはエリザに何らかの術を掛けたらしい。エリザは膝をつき、身動きが取れない様子だった。
次元が違う。
エリザは、間違いなく全力を出していた。
私との戦闘時には隠していた【
そんなエリザが、まるで子ども扱いされている。
これが。これが、クライヒハルトか。
彼の普段の態度からは到底結びつかない、あまりにも隔絶した実力。
まして、今の彼はその態度だって"完璧"だ。
『理想の英雄』。彼はまさに、人類すべてが望んでいるそれの体現者だった。
「……エリザ」
誰の眼から見ても、決着だ。力無く項垂れるエリザに、思わず声を掛ける。
「あ゛あ……? 何だ、その顔……。まだ、決着はついてねえだろ……」
ゆっくりとエリザが顔を上げる。
ピシリと、地面が砕ける音。超重力の中、彼女が地面を踏みしめているのだ。
「まだ、俺は生きてるだろ……。まだ、諦めてねえだろ……!」
「エリザ……!」
額から血を流し、幽鬼のようにふらつきながら。満身創痍の身体で、彼女は立ち上がる。
不撓不屈。追い詰められてこそ輝く彼女の精神性が、今はただ痛々しかった。
「なるほど、クライヒハルト卿はたしかに無敵だ……。だが、彼の周りはどうだ!? あの暴食皇帝リラトゥは、どうやってクライヒハルトと戦った!? 彼の周囲、その全てを人質に取って引き分けたんだろうが!」
火花が散る。エリザの左眼が光り、紋様が浮かび上がる。
「魔物を操る【迷宮の主】である俺に、どうして同じ事が出来ないと思う! いや、【革新的軌跡】を使えばそれ以上だって可能だ! 核理論……星を焼き尽くす爆弾だって、本当なら、俺は用立てられたはずなんだ……!」
血を吐くように叫びながら、エリザは続ける。
「俺は絶対に諦めない! 何があろうと止まらない!
ああ、クソ……。彼女が何を言いたいか、私にはよく分かる。
彼女は、殺して欲しいのだ。
もう一度繰り返すが、誰がどう見たって決着だ。
フラフラと立つ彼女は満身創痍で、今にも倒れそうなほど怪我を負っている。
クライヒハルトが横に剣を振れば、それだけで彼女の首は何の抵抗も無く落ちるだろう。
そして、彼女はそれを望んでいるのだ。
もう自分では止まれないから。諦めるという事が出来ないから。
捨ててしまった人間らしさの清算を、私たちに求めている。
だからこんな、自らの危険性を喧伝するような真似をしているのだ。
「ふざけるな……!」
そんなことの為に、私は血反吐をはいて戦ったんじゃない。
そう思って一歩踏み出す私の前に、腕が差し出される。
クライヒハルトが、私を止めているのだ。
「……何よ、クライヒハルト……」
「何と言われましても。今は拘束していますが、【瘴気】がある以上いずれ適応されます。危険ですよ。今のエリザは、アストリア様が戦った時のリラトゥよりも遥かに強いですから」
「……分かってるわよ、そんな事……! でも、このままじゃ……!」
感情のままに言葉を続けようとして、その先が続かなかった。
エリザは現在、【異能】と、瘴気と、迷宮の核による三重の支配を受けている。
ただ一つだって厄介極まるものだ。三つが複雑に絡み合っていれば、もはや手の付けようも無い。
そして、彼女は殺されない限り決して止まらないだろう。
エリザが【英雄】であり瘴気に触れている以上、長時間拘束できる方法も無い。
「…………ッ!」
歯噛みする。
エリザが自身の殺害を望むのは、なにも自暴自棄になっての事ではない。
極めて冷静に、理論的に、これ以外の手段が無いからそう言っているのだ。
「だけど……!」
「お待ちください、アストリア様」
例えば。【
「うーん……色々、本当に色々失敗しました。アストリア様を迷宮に同行させたせいで無茶をさせてしまいましたし、意外と時間が掛かりましたし……そもそも、最初から言っておけばよかったと言うか……。”理想の英雄”というのも、正直かなり難しいというか、綱渡りというか……」
「……? 何を言ってるの、クライヒハルト……?」
「いやー……報連相の重要性を甘く見てました……。『こんな事もあろうかと』という展開は確かに理想的ですが、しかし現実的に考えると微妙ですよね……反省してます。本当に」
「……っ、だから、何が言いたいの!?」
暢気な様子で独り言をこぼすクライヒハルトに、つい声が大きくなってしまう。
だが、今はエリザの事だ。一体どうすれば、彼女を助けられるのかを考えなくてはならない。
「ああ、いえ。多分いま、アストリア様はエリザを助ける方法を色々考えているのでしょうけれど……まあ、必要ありませんよという事が言いたかったのです」
「……どうしてよ。彼女が、他国の英雄だから……!? でも、だからと言ってこんなの……!」
「まさか。アストリア様の御心は尊いですよ。……単に、もう助け終わったからというだけです」
え?
私が何かを言いかける前に、クライヒハルトがエリザの前に歩み寄る方が早かった。
クライヒハルトの身体から、光の粒子が立ち昇る。
神聖な、人智を超えた力が渦巻くのが伝わる。
クライヒハルトを中心に、信じられない程の力場が展開されていくのが肌で分かる。
「―――王権剥奪。【
その言葉に、私は覚えがあった。
クライヒハルトが持つ、"己の力を相手に奪わせる"異能。その詠唱を、私はかつて戦場の中で聞いたのだから。
何が起きているのかも分からないまま、クライヒハルトが厳かに宣告する。
「グ、ァ―――、テメエ、何を……」
「対象選択。識別名:エリザ・ロン・ノットデッド。私は、彼女を
光が瞬く。力が満ちる。
「その愚かさは、王の器ではない。彼女は―――未開の荒野を切り拓く、商人である」
光はクライヒハルトを中心として地面へ広がり、複雑な紋様となって脈動する。
色とりどりの光が瞬く中、クライヒハルトは詠唱を続ける。
その言葉は一見厳しい言葉でありながら、しかし何処までもエリザを祝福している様だった。
「人を信じ、愛する、
クライヒハルトが掌を向けた先、エリザが光の粒子に包まれていく。
「ァ、アァアアァァアァアァアア―――!!」
「王権剥奪、80%……90%……100%。身体保護異常なし。エリザ・ロン・ノットデッドより、王権剥奪を確認」
光の中、エリザが悶え苦しむように身をよじり……その顔から、カツンと何かが落ちる。
硬質な、悍ましい気配を醸し出す宝石のような塊。
自らの危機に慌てるようにピカピカと光る、【迷宮の核】。
「――――――――」
「王権剥奪シーケンス、完了。ついでです、これは処分しときましょう」
それを、クライヒハルトはぐしゃりと踏み潰した。
「なに、を……」
「エリザ。貴女は、私と迷宮に潜る前から瘴気に侵されていました」
吹き荒れていた風が収まり、逆立っていたクライヒハルトの髪が元に戻る。
今起こった事が理解できないと言ったように呆然とするエリザへ、クライヒハルトが優しく語りかける。
「恐らく、【異能】で瘴気に触れた事自体を忘れさせられていたのでしょうね。不活性状態の瘴気を身体に残留させ、慣れのような物が起こる事を期待していたのでしょう」
呆けるエリザへ、クライヒハルトは構わず続ける。
「瘴気に侵された身体と言うのは、普通は元に戻りません。カフェオレから牛乳だけを取り出すような物です。混ざり合い、二度と分離出来なくなる。貴女もそれを分かっていたから、自ら殺される事を望んでいたのでしょう?」
そこまで言うと、クライヒハルトは少し茶目っ気を含ませて微笑んだ。
「ですが、あまり舐めないで下さいね。私は【英雄】ですよ? 不可能をひっくり返す事くらい、お手の物です」
「だが、……」
「【
「あ、ああ……? 」
その言葉に、エリザはいつの間にか元通りになっていた自らの左眼を確認し。ペタペタと、自分の身体を改めた。自分の身体が自分の思いのままに動くことが、信じがたいようだった。
私にも、到底信じがたい。【
「あり、えねえ……。なんて理不尽、どういう絡繰りで、こんな……」
自らの身を改めていたエリザが、何かに気付いたようにハッと表情を変えた。
「そうだ、
瘴気に触れ、魔物と変わってしまった研究員たち。彼らを救ってくれと、エリザが必死な顔をして頼む。しかしクライヒハルトは、涼しい顔でそれを受け流した。
「必要ありません。既に、彼らも処置は済んでいますから。確認してみてください」
「―――ッ【
クライヒハルトに促されるまま、焦りに満ちた表情でエリザが【異能】を使う。瘴気が抜けて弱体化した異能で、"遠方の景色"を買い取ったのだろう。
エリザの前に、四角い窓のような物が浮かび上がる。そこに、映っていた物は―――。
『ケヒャァアアアアアアアッ! 何か夢でも見ていたようですねえ~~~~ッ! ですが、夢は見る物では無く叶える物オォォッ! あの夢で見たアイディアを、早速形にしなくてはァーッ!』
『ゲヒヒ……! 魔物になるという、未知で超貴重な体験……! これは、今すぐ記録だ……! これだけで、俺の研究がどれだけ進むか……!』
『"科学"という、新しい学問! これを軸に、
うるさく騒ぎ立てる、
そして、私の頭の中でも点と点が繋がる感覚があった。クライヒハルトの弱体化。毎日、研究所職員と何かを話していた事。あれは、つまり―――。
「――――――」
「私が毎日毎晩研究所の職員と話していた事を、貴方も知っていたでしょう? あれは、なにも趣味でやっていた訳じゃありません。貴女の普段の様子を聞き取り、異変が起きている事を突き止め……魔物と化した彼らへ、治療を施していたのですよ」
彼が"可哀想な科学者たち"を、皆纏めて助けたのだ。『クライヒハルトが訪れた迷宮には、悪党に操られた商人の女の子と、魔物に変わってしまった人々が居ました。クライヒハルトは頑張って、みんなを助けてあげました』。この程度の、陳腐なお伽噺のようなハッピーエンド。
エリザが口元を押さえ、眼を見開く。震える声で、クライヒハルトへ問いかけた。
「……っ、いつから……?」
「はい?」
「信じられねえ……いつから、これを想定して動いていた……?」
「貴女と、迷宮に潜り始めた少し後からです。そこからずっと、貴女と
私がいる以上、
そう言って、クライヒハルトはにっこりと笑ったのだった。
「は、は……。俺と、あいつ等の、瘴気を取り除いて……しかも、それを遠隔で、並行させて……その上、迷宮探索までして……そこまでして、少し弱体化しただけだと……? 理想の英雄。お伽噺の騎士。そうは聞いていたが、此処まで滅茶苦茶かよ……」
ふらつくエリザは、何処か
「……完敗だ、クライヒハルト卿。本当に、本当に……ありがとう」
そう笑ったあと、体力の限界を迎えて気絶したのだった。
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