夏は貝の香りがする

 祖父は、しじみ漁師だった。私が小学生の時分、夏休みには水揚げしたしじみの選別を手伝っていた。


 朝霧に舟を漕ぎ、湖底をかく。「じょれん」という、長い棒の先に鉄かごのついた道具で、貝をかき集めるのだ。重く、船上で持ち上げるのは力がいる。私は、祖父に腕相撲で勝ったことがない。


 家族が朝げを食べて舟小屋に向かう頃には、祖父は漁から戻り、舟からケースいっぱいのしじみを降ろして、選別機にかけている。


 ガッション、ガッション、ガッション……


 大きな駆動音を立てて、鉄製のふるいがしじみを揺らす。ふるいは長く、緩い傾斜がついており、上流は隙間が狭く、下流に行くほど広がっている。上側からしじみを流せば、小さい貝は上部のふるいで落ち、大きいものは下部まで残る仕組みだ。


 サイズごとに分けたしじみは、浅いざる箱に入れ、湖水に浸ける。すると、空の貝は口を開き、ぷかあと泡を吐く。泡を見つけては、空の貝を拾い、湖に捨てる。こうして、生きた貝だけを残し、おろしに出す網袋に詰めていく。


 私は、これらのことを教わった記憶が無い。全てが、当たり前のことだった。それくらい、しじみ漁は私の日常だった。


 伝票の仕訳も手伝った。祖父が言うには、最盛期には三時間の漁で十万円もの売上になったという。それを聞いた私は、「しじみ漁師になりたい!」と言った。手元の伝票は、桁が二つ少ないことを忘れて。


 祖父はただ優しく、「勉強しなさい」と言った。私がいくつになっても、漁は教えてくれなかった。


 ◆


 祖父は、百姓でもあった。四枚の田で米を作り、二張りのハウスで野菜を育て、柿の木が実れば軒下に吊るして干す。私は、干すより生が好きだから、ひょいと取ってはたしなめられたものだった。


 祖父は、大工でもあった。畑小屋を手ずから建て、夏には竹を割って流し素麺を作ってくれた。使えそうな材木を小屋に取り置くのが癖だった。


 つまりは、私からすれば、祖父は生きるのに必要なことを何でも自分で出来る「昔の人」のように見えた。


 しかし祖父は、その生き方を望んで選んだわけではない。学を修め、婿入り前は橋などの大きな構造物の設計を行う技術者だったのだという。


 祖父は、七十七年の時をどう生きたのか。


 答えは、そこにしか無いような気がした。

 死のきわに残す言葉は、せいからしか出ないものだと思うから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る