ある田舎漁師の遺言

星太

紫陽花が雨に濡れる

「英二。考えて指示する人と、行動する人は、どっちが偉いと思う」


 実家の畳間に置かれた、場違いな介護ベッド。迎えが近いことを知る祖父は、優しい声でそう言った。私は耳を近付けるも、その続きを聞き取ることはできなかった。


 日曜日の夜だった。大学を卒業し、事務職として働き始めたばかりの私は、毎週末、車で一時間の実家に見舞いに来ていた。


「どっちか、じゃなくて、自分で考えて行動する人が偉いと思う。ごめん、もう帰らんと」


 深く考えることなく答え、私は実家を後にする。明日から始まる新たな週に備えなければ。やっと新採研修を一通り終え、まだ右も左もわからない私は、自分のことで精一杯だった。


 ◆


 翌日の夜。危篤の報を受け、駆けつけた時には、祖父は親族に囲まれていた。


「英ちゃん。手を握って、声をかけて。お父さん、英ちゃんが来たよ!」


 母に言われるがまま、祖父の横に膝をつき、手を握る。まだ温かい。声をかける。返事はない。手を握る。動かない。声をかける。返事はない。それでも、母は言う。


「耳は最後まで聞こえているからね。声をかけてあげて」


 浅はかだった。

 あの会話が、最後だった。


 死期を悟る祖父が、孫に最後に問う言葉が、意味のないものであるはずがない。あれは、私に遺したい大事な話だったのだ。


 それは、優しい問いだった。

 しかし、易しくはない。


 考えても考えても、祖父が何を言いたかったのか、私にはわからなかった。


 十年経っても、わからなかった。


 

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