異世界バックレ魔 ~時間厳守の概念からおさらばした俺は異世界ですべての苦難を回避する~

ぴよぴようさぎ

第1話 回る身体

 あまりにも阿呆な死に方だ。


 俺は今、二車線の道路の白線の上を浮かび上がりながら回転している。

 オルゴールの中の歯車みたいにゆっくり回ってるんだわ。

 いや、今俺が悠長に体感しているこの時の流れは、実際は早いものなのかもしれない。走馬灯の、これまでの人生のハイライトが無いバージョンみたいなものなのだろうか。


 そういえば、前にも同じようなことがあったな。

 

 小学生の時、休み時間に仲のいい男子のグループでドッヂボールをやっていた時、厳つい眼鏡をかけた大柄な……、確か佐藤とかそんな名前のやつが、顔面に火の玉ストレート喰らってた時だ。ボールに弾かれたそいつの汗と眼鏡が鮮やかに飛び散っていく0.5秒にも満たないようなほんの一瞬を、なんでだか物凄くゆっくりに感じた。


 その時は俺自身に降りかかった災難じゃなかったから、帰り道で散々佐藤のこと馬鹿にしてやったけど、今俺はこの状況をどうすりゃいいのかわからない。

 

 わずか0.7秒前(俺の体感ね)に異世界転生ご用達の不注意トラックに跳ねられた俺は、くたばりゆくはずの体は勝手にタラタラと宙を回ってるくせに、思考のほうはこれまでのクソみたいな人生の中で最高に回転してやがる。今なら将棋の藤井クンにも勝りそうな、そんな勢いで。

 

 まあ、俺はどうせ死ぬってわけだけど、今のところ特に痛みはなくて、むしろ体が重力から少しばかり解放されたような心持だ。

 ただ、顔が地面の方を向くたびに地面と俺の体との距離が徐々に狭まっていくのがわかっちまうことだけは勘弁してほしい。飛行機なら、機外カメラで確認しながらランディングの瞬間にケツをちょっと浮かせれば済むのに、今のこの状況は「俺のプリティな唇がアスファルトと熱烈にキスする」か「新感覚のアスファルト垢すりを骨の髄まで体感する」かのどちらかを選ばなきゃならない。


 ちょっと待ってくれよ、俺が何をしたって言うんだよ、神様。俺はただの誠実な大学生で、宇宙の彼方のアンドロメダ星人が人間に化けてるみたいな感じの、つるっぱげで言っていることの九割がわからない教授の朝一番の講義のために、腕振り脚振りせっせこらさと、それはもう食パンを口に咥えた美少女みたいな感じで大学に猛ダッシュして向かってみたらこの様だ。


「すこし、家を出る時間が遅かったんじゃないの?」

 

 気づかないうちに体の回転が止まっていて、開けた空を眺めていた。

 いつの間にやら、俺の傍に女が立っているようだ。

 どこから湧いてきたかは知らないし、姿も視界にないけれど、澄んだ可愛らしい声が聞こえてきた。

 ちょうど話し相手が欲しかったところなので、特に突っ込まずに返答することにした。


「遅かった? おいおい、俺は9時45分に家を出たんだぞ。-マイナス15分の余裕をもって行動してたんだ」


「-15分ってことは、15分遅刻してたってことでしょ」


「やかましいな、俺は時間にルーズなんだよ」


「あはは、そっかぁ」


「というか、アンタは誰だ? しれっと出てきやがって」


「ごめんね、いきなり出てきちゃって」


「でも、ずいぶんと可愛い声してるな。小鳥のさえずりみたいだ。顔も見せてくれよ、タイプじゃなくっても、干し柿みたいな顔してたとしても、今の俺はなんでも愛せるぜ」


「ふふふ、お望みとあらば……」


 仰向けの状態になっている俺の足元あたりに、女神っぽい真っ白な服を着た女が立っていた。というより、俺が浮いてるから女も浮遊していて、ウルトラマンがハヤタ隊員と事故った後に赤い球の中で会話するシーンみたいな状況だ。

 この異常な状況に介入してくるんだから人智を超えた存在だってことはわかりきってる。ただそれにしても、その女神っぽい女は、想像以上に可憐な顔をしている。

肩までかかるくらいのさらさらとした髪に、曇りのないクリっとした瞳、少しあどけなくて大人しそうな顔。彼女の出で立ちの全ての要素が、俺のストライクゾーンのど真ん中を突いてやがる。


「じゃーん、わたしがあなたの女神さまでーす!」


 にこやかに微笑みかけてくる女神さまのご尊顔を見上げながら、俺は一世一代の口説きを始めることを決意した。ひょっとしたら、この女神さまに気に入られたら死なずに済むかもしれないし、女神と人間の禁断のラブストーリーが幕を開けるかもしれないからな。あるいはこの女神さまと俺が一心同体になって、怪獣と戦う特撮が始まるって可能性もある。

 兎にも角にも、取り敢えずは褒めちぎるとこから始めていく。女の子を褒めるのは口説きの初歩の初歩だ。温泉入る前にかけ湯するぐらい当たり前のな。


「ははっ、お会いできて光栄だぜ。でもアンタ、女神さまってより天使って感じだな」


「え? どういうこと? それ、わたしが神様に見えなくて、神様の下っ端に見えるって意味、かなぁ?」


 女神さまはぷくっと頬を膨らませた。そういうとこもキュートだ。


「そういうことじゃなくてさ、俺にとって女神って、美しいんだけど、いまいち刺さらないってイメージだったんだよね。俺って結構美術に興味関心あって、美術館に絵画とかよく観に行くんだけどさ、なんとかのヴィーナスみたいな絵はかなりたくさんあるわけよ。ただ、どれも俺のタイプじゃなかったつーか……」


 俺を見つめる女神さまの大きかった瞳が、いつの間にか糸のように細くなっている。あちゃー、美術館なんて中学の修学旅行以来行ってないのを見透かされちまったのか?

 ここは惜しみなくスパートをかけていくぜ。


「要はさ、アンタが一番女神の中で可愛いっつーことよ。」


「……ほんとっ!?」


 今度は身を乗り出して食いついてきた。今まで会った女の子の中で一番わかりやすくてチョロそうだな。


「ああ、ほんとほんと。大方の女神ってのはさ、だいたいアラサーの女みたいな見た目をしてんのよ。でも、アンタは違う。名前が出てこないんだけど、この前テレビに出てた十代のアイドルに似てるよ。なんか、清純派アイドルって感じの娘」


「それって『月田芹那』って娘?」


「ああ、そうそう、その娘その娘。……って、知ってんのかよ」


「でも、わたしの方がまつ毛長いと思うけどなぁー」


「まあそうね、芹那ちゃんも所詮は人間であって、アンタには敵わないのよ。それにアンタは、すごくナチュラルな魅力に溢れてるというか、ケバい化粧で自分を偽ることしかできない女とは一線を画してるんだよな。」


 最早、口説きというよりは、思い浮かんだことをすぐさま口に出してしまっている。

 心を読まれる以前に、自分から洗いざらい話してしまう。依然として少し上から俺を見つめる女神さまの眩いほどの微笑みがそうさせるのかもしれない。


「俺はさ、ガツガツしてる自己主張の強い女よりさ、クラスの中で一番おっとりしてる女の子が好きでさ、小学生のころからずっとそういう女の子に憧れを持ってんだよ。目立ちたがり屋の女どもより、そういうおっとりした子の方が、授業中でも休み時間でも気になっちまうんだよな。」


 喋りながら、歴代の本当に好きだった女の子十人くらいの顔を思い浮かべる。

 その子たちの好きなとこをパズルのようにくり抜いてから組み合わせると、今目の前にいる女神さまが出来上がる。

 

 そんなことを考えていたら、小学生のころ好きだったカホちゃんと林間学校でと手繋げたこととか、高校のころに好きだったレンちゃんからチョコ貰った記憶とかが洪水のようにあふれ出して、胸の鼓動が高まってきた。


「でもさ、結局俺はクラスのどうしようもない不良ギャル女とつるんじゃうんだよな。俺の母ちゃんがそういう系統でね。あんまり認めたくないけど、安心するんだろうな、そういう奴らといると」


 何故だか、思い出したくもない腐れ縁の女どもとか、ガキのころに見た厳つい恰好した若い時の母ちゃんの写真が脳裏に漏れ出る。

 どいつもこいつも、自分勝手で、うるさくて、馬鹿で、時々犬猫みたいにすり寄ってくるような奴らだった。

 とくに母ちゃんは、俺の実の父親と離婚してから五人も男をとっかえひっかえしやがって、今でも少し恨んでる。

 けど、不良女どもと一緒にいる時間も、そこまで悪くなかったような気がしてきた。夜遊びしたこととか、所かまわず騒ぎ散らしたこととか、思い返してみれば俺もなんだかんだ楽しんでた。


 ……ん? 

 考えてみれば、今俺はセルフサービスの走馬灯をやっているのかもしれない。

 いや、女神さまが不思議なパワーで俺の脳みその中を操って、大人しく死を迎えさせようとしているのか?

 死を回避するために口説こうとしてたのが、いつの間にかしんみり自分語り大会にすり替わってやがる。

 冗談じゃねえ、まだ死んでも死にきれねえよ。


「なあ、女神さま。俺って、けっこう哀れな男でさ、話した通り、憧れのおっとりした女の子とはお付き合いしたことがないし、シングルマザーの家庭で育ったし、それにほら、やり残したこともいっぱいあんのよ」


「へえー、例えば?」


「えーと、まずは『ラーメンを食べるときはスープから!』とか言ってやがる輩に『てめえら、今すぐにでも麺を啜らなきゃ炭水化物欠乏症で死ぬ奴がいてもそんなこと言えんのか』って言うことだろ。それから……」


「あ、わかった。エッチでしょ」


「……はい?」


 なんでわかった?

「童貞だから死んでも死にきれない」って言おうとしてたとこだったのによ。

 やっぱ、女神さまだから人間の心を読むくらいお茶の子さいさいなのか?

 それにしても、淀みのない笑顔のまま俺の薄汚い下心を見透かしやがった。


「そうだよ、俺はさぁ、素敵なパートナーと幸せな家庭を築くのが夢でぇ……」


「そっか、わたしとエッチしたいんだ」


 またしても上がった口角を下げることなく、堂々と言い放った。

 ちくしょう、そうだよ、なんか文句あっか。


「ふ~ん、自分の心の中だからってそういう悪態ついちゃうんだぁ~。素直じゃないね」


 やっぱ読めてんのか、俺の心の中。


「うん」


 隠す気もないな。

 だったら最初からそう言ってくれよ。

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