秋涼し猫の君と雨宿り

彩霞

秋涼し猫の君と雨宿り

 今年の九月。秋雨しゅううが降った日のこと。


 私は家に置いてあった水色の傘を差し、雨露あまつゆに濡れる植物を眺めようと外に出ていた。


 暑い夏が一気に過ぎ去り肌寒い日だったが、南天の葉の上できらめく玉が美しく、冷える手を温めながら写真を撮っていたのである。

 しばらくしてカメラを持っていた手から力を抜いたとき、ふと左側を見てみると、そこには五十センチくらいのへいの上に、茶色のむっくりとした猫がじっと地面を見ている姿があった。


 見たことのある猫だった。


 以前、玄関の扉を開けたら目の前にいたのである。

 どうやら我が家の玄関の前を通り過ぎようとしているところのようだった。そう思ったのは、次の足を踏み出そうとする状態のまま微動だにせず、驚いた様子で私をじっと見上げていたからである。

 だが、見かけたのは確か今年の二月ごろである。実に七か月ぶりの再会だった。


 雨が降った日、私が立っていたところは屋根と屋根の間だったため、雨をさえぎるものがない。そのため、猫は屋根の下で濡れた地面を見て、渡るか渡るまいかを考えているようだった。


 しかし思案している間に、急に私という人間が「自分」の存在に気づいたため、猫は雨に濡れている地面から視線をこちらに向けてきた。


 警戒されるかと思った。だがそうはならず、りんとした顔立ちに柔らかな雰囲気をかもし出しながら、金色の瞳でじっと私のことを伺っている。


 こういうとき、どう行動したら猫にとっていいのかよく分からない。とにかく驚かさないようにと、私はそっと挨拶をした。


「こんにちは」


 そして、そのまま静かに立ち去るつもりだった。

 だが、その猫は柔らかい声で返事をしたのである。


「みゃあ」


 偶然、ということもあるだろう。

 だが、どういう理由であれその子が私の言葉に反応してくれたのが嬉しくて、もう一つ呟いてみることにした。


「今日は雨だね」


「みゃあ」


 私は生き物を飼ったことがないので、テレビやらで聞きかじった知識はあっても、猫をはじめ、あまり動物のことはよく分からない。


 ただ、近所で見かける猫たちに、色んな性格があることは知っている。


 餌付けされている子は近づいても逃げようともしないけれども、餌を持っていない私には反応はしない。一度、誰かと間違えて後ろを付いてきた者もいたが、やはり餌がないと分かるといつの間にかいなくなっていた、ということもあった。

 また、警戒心の強い子もいる。私と目線があっただけで、そそくさと逃げてしまうのだ。


 でも、この子は不思議と私からすぐに去ろうとはせず、私の声に応えた。言葉が分かっているかどうかは分からないけれど、たったそれだけのやり取りが、私の心を温かくした。


「もしかして、ここを渡りたい?」


「みゃあ」


 猫が私の問いに返事をしたので、私はその子を驚かせないようにゆっくりと距離を縮める。だが、あまり近いのも嫌だろうと思い、二メートルくらいの距離になると精一杯に手を伸ばし、傘で雨をさえぎってみる方法を取った。


 だが、傘で頭上からの雨を防いでも、傘からしたたる雨水は防げない。


 その子は水色の傘をちらと見上げたが、その雨水に気づいて、また私をじっと見ると塀を下りてしまった。無理だと思ったらしい。


 私も特にそれ以上何かをする気はなかった。あまり距離を詰めるのもよくない。

 

 そう思って立ち去ろうとしたのだが、その子はずっと私を見ている。

 ちょっと移動しても、じっと見てくる。

 反対のほうに移動しても見てくる。

 少し距離を離れようとすると、首を伸ばしてこちらを見ている。


 猫のことはよく分からないとはいったが、それでも首を伸ばしてまで見てくる子は今までに会ったことがない。私が出会った猫の多くは、離れると「離れてくれてよかった」と思うのか、こちらに興味を無くしそっぽを向く猫が多いので、そう思うだけなのかもしれないが。


 私はその子の反応から、「近くにいていい許可を得たのだ」と捉え、反対側の屋根のあるほうに入り、その子と視線は合うけれどある程度の距離を保ちながら、その空間を共にした。


 優しい雨の音が聞こえるだけの世界に、私と猫だけがお互いを認識して存在している。


 猫は私が去らないと分かると、今度は背を向けてぺろぺろと体をめ始めた。時折こちらを振り向き、じっと見たり、「みゃあ」と小さく鳴いたりする。


 私はただそれを眺めながら、「ふさふさの毛並みだなぁ」とか「そういえば毛が濡れていないけど、ずっと屋根の下にいたのかな?」などと一人で思っていた。


 それからしばらくすると、私は寒さに堪えられなくなって、猫に「じゃあね」と言ってその場を去った。その子は途中まで私を目で追ったが、見えなくなるころに体を丸くして目をつむる。もう少し雨宿りをしていくようだ。


 この猫と会ったのは半年以上経ってからのことだったので、きっとすぐには再会できないと思う。

 どこを旅してあの場所に戻ってくるのかは分からないが、あの子といた時間はとても不思議で、でも心地よくて、何だか素敵だなぁと思うような一時ひとときだった。


 また会えたら、同じように小さく挨拶をして、ただ共にその空間にいよう。


 雨の日に、君と共に雨宿りをしたことに感謝を込めて。


(おしまい)

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秋涼し猫の君と雨宿り 彩霞 @Pleiades_Yuri

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