Episode.02 ARE U ROBOT?
1.
「もう少しだぞ・・・。まだ電池は残ってるか~?」
スリープモードに入ってから身動き1つ取らない背中の少女型のロボットは傍から見ればどうやらちゃんと父親の背中で爆睡している娘に見えてくれていたようだった。きっとまだ汚れていない上着を着ていた事もあるのだろうが、こんな金属製の頭を剥き出しにしている自分でもこれくらい街に溶け込むことができてしまえるのだということを知る事ができたのはなんだか少し安心したのかもしれない。
「開いててくれよ・・・。」
メトロの駅入口から100mほど離れた場所にある入口を入って地上から3mほど下り現れた地下駐車場の入口から、10mあたりの壁に嵌め込まれた管理用扉の長方形。実は鍵が壊れている。丸い銀色のドアノブをグッと握り込み強めに押し込みながら時計回りに30度回し、さらに10度程度を右側方向に根元から倒す感覚で少しだけ力を掛けながら回す。するとドアノブの奥で微かに何か細い棒のような物が引っかかったような感覚がある。後はドアノブを優しく手前に引っ張りながら、ゆっくりと回しきる。そうすると、何故かするりと突っ張りが取れたように扉が開く・・・。これは恐らく”開け方”ではない。最初に誰かがこういう要領を偶々見つけ出し、何度か同じような方法を少しずつ変えながら試してみて「取り敢えずはこうすれば開く」という経験値を、それとなく、ここを使う人々で共有し合う。きっとそうやって何人もの人が同じような要領をこのドアノブに試しているうちにいつの日からかこのドアノブには本当にそういう癖が付いてしまった。だから今はこうして、まるで正しく鍵が動作したような感覚で扉が開いてしまう。
「じいさんはもう帰ってるかな・・・。」
3cm厚の鉄製扉が分け隔てた2つの世界はこの都市のまるっきり表裏と表現するにふさわしい二面性を潜り抜ける人々に見せつける。
無人の5m四方ほどの管理室。その奥の壁に開いたドア一枚ほどの穴の奥に、この都市の抱えるもう一つの社会がある。
どうやって出来上がったのかは知らない。わざわざ教えてくれるような人間もいない。ただ分かるのは、あのペンシルビルが立ち並び、その間を毎日毎時無数の人々や自動車やロボットたちが駆け巡る都市の真下にこのくり貫かれた”蟻の巣”が存在しているという事だ。
このトンネル網の入口は地下駐車場だけではない。自分も2,3か所は知っているけれど、そもそも入口とは呼べないような粗末な穴を通っている人間もいる。人間以外も。だから相応の理由もない限りわざわざ新しい道を開拓したり、そんな余計な事のせいで不意に他人のテリトリーに足を踏み入れてイザコザを起こしたりしない為にも、みんな一度こう通ると決めた道はなるべく速やかに真っ直ぐ進んでいく。そうする事で成り立っているこの地下空間の取り敢えずの自治と治安は案外「自由と選択肢」に溢れた地上での生活よりも平穏で、何よりこの空間に居ついた誰もがそうした喧騒から束の間の休息を得る事を選んだ結果なのだろう。
自分も今はそれに甘えている身だ。
ヘッドカメラのレンズの絞りをマニュアル操作できることは自分がこのボディになって得た変化の中でも数少ないメリットの1つだ。確かに慣れるまでは多少の時間がかかったが、こうして暗い洞窟の中もライトをつける事なく進む事ができる。特に今日みたいに、人を抱えている時には役に立つ。何の為の空間か分からないが恐らくインフラ整備用らしい穴を抜け、そこを右に30mほど歩いたところにまた顔を表す玄関扉程の大きさの竪穴に入ると気休め程度の薄手のカーテンがかかっていて、それを潜って進んでいくうちにだんだん密度を増していく足元の機械部品を慣れた足取りで避けながらさらに進んでいった奥にある袋小路に、やはり見知った老人が一人、どこからか持ち込んでいる工事用照明を点けて作業をしていた。
2.
「よぉ戻ったぜじいさん。」
「あぁ・・・お帰りジャック。」
持っていたはんだごてをスタンドに静かに立ててから小ぶりな丸い老眼鏡のツルに手を掛け、振り向いた青い目はすぐに自分の左の肩から流れて垂れ下がっている艶やかな栗色の髪の毛を見つけたらしかった。煤を被った顔の血色をさらに悪くしていった。
「あぁなんてこった・・・。」「なぁ、今日の充電なんだが。」
「ひょっとして、食うのか?」「・・・は?」
「どこの誰にそそのかされて来た!言ってみろ!」「違うんだって!」
「どうせどこかで聞きかじった呪術でも信じたんだろう!悪い事ァ言わねぇ!さっさと駐車場の入口の辺りにでも帰してやってこい!まだ間に合うかもしれねぇ!」「違うんだって!」「何が違うって言うんだ!」
「・・・この子もロボットなんだよ。」
「・・・あぁ、とうとう生身の部分までバグっちまった・・・。水でも被って漏電部分から内部に電気が走ったか?」「ちげーって。」
「お前からいったいどれくらいの部品が取れるって言うんだ・・・。」
「おい!これ見ろって!」
「あぁん?・・・ロボット認証プレートじゃねぇか。お前の『ロボットになりたい』っていう憧れはまぁ結構な事だが、盗難プレートじゃ認証もクソも無いぜ。今のステラートの演算速度だったらカメラに映った瞬間バレるだろう。」「そうじゃないって。」「そんな事するくらいならいっそ何にも持たずにロボットだって駄々こねてた方が」「話聞けよ。」「なんだ!」
「これは、この子の鞄に入ってた。恐らくこの子の認証書だ。」
「・・・なぁジャック、冗談きついぜ。そりゃあ今時かなり精度のいいアンドロイドやドールは多いけどよ、まだまだ一目見りゃ作りモノだって気付けるようなもんばっかりだぜ。お前の背中で寝てるその子は、俺の目には正真正銘の人間の女の子にしか見えねぇが?」
「じゃあ、取り敢えずは俺よりも先に、この子の型に合うソケットが無いか探してくれないか?」
空いている壁を見つけてそっと背中から降ろした少女の肢体は相変わらずぐったりと力無く背中から壁に倒れ込み、それどころか自立を忘れた身体が軟体動物のように重心の偏りに合わせてサイドの部品箱に顔を突っ込んでしまいそうになった。支えて立て直した頭蓋もボーリング球ほどの自然な重さで、最早どこに機械パーツが使われているのかの見当もつかない精度。やはり外見からはこの子をロボットと判別するのは不可能に近い。ただ1か所を除けば。
「ジャーック!お前に嘘を付かれた記憶はあんまりないが、流石に今回ばかりは疑ってるぜ。」
「じゃあこれを見てくれ。」
ここに運ぶまでの間背中に当たっていたやはりどう考えても彼女くらいの年相応に温かい人の体温の中で、ただ1つだけ明らかだった違和感。その正体は。
「やっぱり、腹にある。」前開きの白いボタンで留められている青空色のワンピースの臍の部分を2つだけ開き、控えめに広げて覗いた奥には、たしかに新品のように綺麗なロボット充電用のポートカバーが顔を見せた。
「おいおい!趣味の悪いベルトとかじゃねぇよな!?」
「任せていいかじいさん。」「なんだか知らねぇが俺にもわかりそうなモンが出て来ちまったからな・・・。ちょっと待ってろ。」
神妙な顔をしながら壁にもたれる少女の前を譲られた老人は喉が唾を飲み込むわざとらしい音を立ててからうっかり着けっぱなしの機械油で真っ黒なグローブをそそくさと床に落とし、手汗を繋ぎの汚れてない部分でゴシゴシと擦ってからそっとポートカバーを外してみた。
「気味が悪ぃ・・・。人肌に温い充電ポートってのはこんなに不気味なのか。」
「俺だってそうだろ。」「そういうこと言ってんじゃねぇ。お前は自分の事をこの子と同じだと思ってるのか?」
「・・・わからない。」
「コーヒー、飲みたきゃ飲め。」「あんがとよ。」「ジャック、運が良いぜ。このポートはうちにある。」「どれくらい時間かかる?」「この身体のどこにどれくらいの大きさのバッテリーがしまってあるのかによる・・・。」
時間はそこそこかかるだろうと思った。部屋の隅のキャンプ用ガスストーブに置かれたのっぽのポッドをいつも使うホーローのマグに傾けると、ドロリとした焦茶色をさらに煮詰めたような液体が重そうに白いマグの内側を飛沫で汚しながら注がれる。それを見つめている数瞬の覚悟の時間に整えた息でティースプーン1杯分の黒い液体を舌の真ん中に落とすと、痺れるような感覚の直後に舌全体を這い回る苦みの磁性流体がすぐに喉を滑り落ちていって今度は自分の胃袋の縫合後に沿うようにズキズキと胃袋を殴り始めた。ベティは、自分達の提供しているコーヒーがまだまだ美味しい事を理解すべきだと思う。
カフェインの興奮以上に一息付けた事で思い出された疲労の方が強く出た。地面にそのまま置いたマグに浮かぶ黒い波紋の揺れが収まるのを見つめてからガスストーブの火が止まっている事を確認して今度は胸の前に組んだ腕の谷間をボーっと眺めているうちに、意識は暗雲の中へと沈んでいった。
3.
一瞬雷の悪夢かと思った黄色い閃光は、明らかに、自分の脳味噌が自分の為に見せてくれるような生易しい衝撃ではなかった。頻繁では無くても人生のうち何回かは経験のあるこの電撃の正体は、スリープではない”普通の睡眠”の時にいきなり通電状態の充電端子を挿し込まれた時に起きる現象だ。
「いって!」
実は痛覚的な刺激はそこまで強くない。ただあまりにも突発的な値の変化に処理系が反応を起こすまでの一瞬の隙が、頭の先から足の先まで滅茶苦茶に継ぎ接ぎされた身体のせいでそのまま”驚き”とでも表せそうな感覚に錯覚させるのだ。これは体験してみないとわからない感覚だろう。だからこそ、この衝撃はいつだってあまりにも無神経だ。
「あぁ・・・。」
「・・・大丈夫?」
とうとう回路がイカれて天使の幻覚でも見始めたのだろうか。神様に祈る習慣は結局身に着いていないというのに、従軍時代に塹壕でパニックを起こした時、まだ血の通っていた両手を無意識にギュッと合わせて頭に押し当てたあの頃から結局俺は心のどこかで超常的な何かに縋りたい弱さを捨てきれずにいたのかもしれない。それが今、イヤーマイクの奥の方で自分の神経と縫い合わされた線からの電気信号に可愛らしい少女の声を乗せたのか。
「ねぇ。大丈夫?」
そんな事はない。この声はちゃんとイヤーマイクが聞き取った現実の音声そのものだ。目を覚ませ。
「あぁ・・・。充電は済んだか。」「今はおじさんの番」「あぁ?あぁ。」
10cmほどめくり上げられたタンクトップの下腹部から見て少し右にズレた位置にある充電ポートから伸びた直径3cmほどの黒いビニールコードは、踏み固められた粘土の床を数回ゆるく蛇行しながら、部屋の奥に向かって続いていく。
「ねぇ、おじさんの充電口ってなんでそんな所にあるの?」
「バイタルゾーンを避ける為だ。」
「バイタルゾーン?」
「人間は生命維持に関わる大切な部分が人体の正中線上に集中している。俺たちにとっては充電器だって大事な生命維持装置だ。それを敢えて身体の中心からズラすっていうのは、戦場においては理に適っていたらしい。」「そうなの?」
「気休めさ。それに、そんな綺麗事よりもよっぽど色んな事情がこの身体には詰まってる。」
「例えばどんな?」
「『付けられる場所に付けられる物を付ける。』それだけだ。運動の邪魔になりにくくて、”偶々空いてる所”に、付ける。」
「痛くないの?」「俺は運が良かった。拒否反応も殆どなくて、目が覚めて1週間後には戦場に戻って、それまでの10倍は暴れ回ってた。」
「それって本当に運がいいの?」
「選べない苦しい事のうち、自力で納得できる方を引き当てたんだ。充分すぎるくらいのラッキーだった。」
「たしかに、そうなのかも。」
「身体の調子は?」「充電満タンって感じ。」「そうか。」
傍らに置かれたままになったマグカップを手に取るともうすっかりコーヒーは冷めていた。ガスストーブの上に置かれていた筈のポットはそのままじいさんが机に持って行ったんだろう。やはり濃く出過ぎた液体は冷めていて、傾けたマグの中で若干泥の上澄みのように分厚いままホーローの滑らかな飲み口を舌先目掛けて転がり落ちた。今度こそ眠気覚ましにはピッタリだ。
「それで、やっぱりお前はロボットなのか?」
「・・・どうすれば信じてくれる?」
まずその発言をする少女にしては若干の無表情が、微かな無機質さとして微力ながら自分への説得をしてくる。今は目の前の少女の事が知りたいのだ。
「君の充電口は身体のどこに繋がってるんだ。」
「・・・うーん。たぶん、頭だと思うけど・・・。」
「普通、ロボットは重要な部位と充電口をそんなに離さないと思うけどな。」「そうなの?」「まぁ用途上の都合だって幾らでもあるだろう。ただ、離すと構造が複雑化する。コストも上がる。」「そうなのね。」「俺も詳しくはないがな。」
「私はなんでそうなってるんだろう・・・。」「それは明白だろ。」「なんで?」「綺麗に作ってやりたかったんだよ。お前を作った人がな。」
「パパ・・・元気にしてるかしら。」
「パパがいるのか?」
「うん、研究室で一緒に暮らしてた。」「開発者か。」
「そうよ。」
「パパ、ね・・・。ただ、お前のその充電位置は、多分セクサロイドじゃないな。」「セクサロイドって何?」「セクサロイドっていうのは・・・。」
考えてみれば昼間の追いかけっこは冷静に話す間も無かったし、ここに運んで来てからも慌ててじいさんに預けてそれっきりだった。なんだか向こうは警戒してないが、自分もこのロボットをまじまじと落ち着いて見れるのは今が初めてだ。・・・どこからどう見ても、女の子だ。
「なぁ、お前はロボットなのか?それとも、やっぱりただの女の子なのか?」
「私はロボットよ。」「そうなんだろうな。」「パパは、私に『健やかに生きろ』って命令をくれたわ。」
「『生きろ』か・・・。」
「ねぇ!さっき言ってたセクサロイドってなに!」
「あぁ!?・・・教えねぇよ。」「なんで!?」「それも教えねぇ!」「そういうのを意地悪って言うんだって習ったわ・・・。」「違う。これは意地悪じゃなくて大人な優しさだ。」「なにそれ、教えて!」「偉く頑固なロボットだな!」
「ハハハ、存外に愉快だな。」「じいさん!いるならさっさと出て来いよ!」「すまんすまん。」
4個ほどの部屋に分かれた洞穴を仕切るボロボロのカーテンのうちの1枚から例の老人が顔を出した。
「偉く新しい型のソケットだったが偶々在庫にあった。収集癖が実を結んでワシも嬉しいよ。」「ありがとな。礼はする。」「あまり気にするな。機械いじりが趣味の人間には十分な経験だよ。」
機械油の黒い汚れが照明の明かりを照り返して表情に不気味な陰影が付いている。
「それにしてもこの子は本当にロボットらしいぞ、ジャック。」「それは確かな事でいいんだな。」「あぁ、お前たちがおねんねしてる間に認証プレートを確認した。確かにこの子らしいのが登録されてた。」
「・・・らしい、ってどういうことだ。」
「微妙に型番が違う。それ以外の登録情報は、見た目も含めてほぼ同じなんだがな。」「それはどう捉えるべきだ。」「ワシにも分からん。取り敢えず重要そうな部分をまとめておいた。何かのヒントになるといいな。」
やはりどこか黒く煤汚れたメモ用紙。書かれた字はイヤに丁寧な手書きで、レンズのピントを合わせながら舐めた情報は確かに今目の前で自分のボディに興味津々の少女が”そう”であるという確かそうな内容が書かれている。
「なぁ、お前名前はなんていうんだ。」
「アリスよ。」
「アリスってのは、シリーズ名か?それともお前のパパだっていう人が勝手に名付けたものか?」
「アリスはアリスよ。私が初めて起動したその瞬間から、私はその名前で呼ばれていたわ。」「そうかい。」
「じゃあお嬢さん。このA12CEっていう型番はなんだい?」
「A12CE?それは違うわ。私の型番はA11CEの筈よ。」
「そんな筈はないと思うが・・・」「あぁそんな筈ない。お前の鞄に入ってたロボット認証書もたしかにA12CEと書いてある。」「見せて!」
少女は2本の手を思い切りじいさんの方に突き出した。じいさんも特に気にする事もないようにプレートを返却した。
「・・・ほんとだ。私、A12CEなのね・・・。」
「じいさん、どういう事だと思う?」「まだ断定できん。ただ、可能性としては、恐らくこのA12CEが保持しているデータと自己認識はA11CEみたいだな。もっとあり触れたロボットなら取り敢えずそれらしいポートに接続してBIOSを確認するんだが、如何せんこの子にはそういう外部入力ポートが殆どない。」「俺みたいに肉の下に埋まってて手術が必要なのか?」「そうかもな。ただ、この子のお腹の充電ポートは規格の新しい奴でな、USBみたいにデータの転送も行えるちょっと珍しい奴だ。」「一応そこから何かしらの操作はできると・・・。」「ただここではできん。」「そうか。」
「・・・きっと、研究所を出る直前に私のデータをコピーしたんだわ。」
「つまり、お前はやっぱりA12CEで、頭の中にはA11CEのデータがそのまま入ってるっとコトでいいのか?」「多分そう。」
「研究所っていうのはどこだい。」
「住所は教えて貰ったことないわ。出てくる時も夜だったし、慌てていてうまく記憶できなかった。」
「本当に人間味のあるロボットだな。じゃあ、パパっていうのは誰なんだい。」
「トーマスという名前だったわ。でも、私はパパって呼ぶように命令されていて、私もパパからは人間の娘と接するようにコミュニケーションと対話型学習を行っていたの。」
「うーん。」「うーむ・・・。」
洞穴の中にはある意味で最も洞穴らしい未知から来る静寂が漂った。部屋の真ん中にちょこんと直立している少女型ロボットはやはりどこか本物の人間にはない表情の冷たさを纏っていて、それが粘土の赤茶色を帯びた電灯の灯りのせいでまた酷く血色良くめかし込ませている。
「なぁ、鞄の中身を確認してもいいと思うか?」「それはワシに言ったのか?それなら、知らん。」「アリスにも聞いた。」「私にも?」
「その鞄はお前のパパが用意した物か?」「えぇ。そうよ。」
「渡される時に何か言われなかったか?」「『一通りの物が入ってる』って。」
「内容物を自分で確認したか?」「まだしてない。」
「まずは自分で確認してみてくれ。」「ちぃと待ってくれ、今机を綺麗にするからね。」「ありがとう。」
空気の抜けたラグビーボールみたいな色と形のスエードでできたポシェットは1日中彼女と一緒に街の埃やこの洞穴の土埃を浴びて少し汚れてしまっている。開きっぱなしになっていたチャックの奥から少女の小さな手が1つずつ取り出して机の上に並べた荷物は、決して旅支度と呼べるような周到なものでは無かった。
「財布と、懐中電灯と、交通ICカードと、プレーンの乾パンが2パック・・・。」どれだけ用心深くチェックした所で、鞄の中身がそれ以上増える事もない。
「アリス、お前のパパはなんでお前を研究所から追い出したんだ。」
「追い出したんじゃないわ!多分、私を逃がしてくれたのよ。」
「アリスちゃんのパパ、トーマス博士は、誰から追われていたんだい?」
「わからないわ。ある日突然私をもう1つのボディにコピーしてこの鞄を押し付けて外に出したの。『元気に生きろ。』って言って。」
「それがいつ頃だ。」「2日前。」「その間、ずっと1人で街を彷徨ってたのか。」「うん。」「そりゃぁバッテリーも切れるぜ。」
「ねぇ、ここにはなんで充電器があるの?」
「そう言えばまだ説明してなかったな。」「説明するのかじいさん?」「まぁ、今更だろ。」
老人はさっき自分が出て来た背後のカーテンを腕で押し上げながらその下の床を這って奥へと続く黒いケーブルを指さし、相変わらず少し申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「この洞穴はちょうど都市の地下配線の横にある。」「つまり、このケーブルはその地下配線から伸びてるって事?」「そう。ちょ~っと、頭を使ってな。」「・・・ひょっとして、こっそり電気を取ってるの?」「まぁ、そう言う事だな・・・。」「それって、いいの?」「まぁ、俺は法律には詳しくないから・・・あんまり・・・」
「ダメに決まってるだろ。」
「おいジャック。それをお前が言えるのかよ。このケーブルの一番のお得意さんはお前自身なんだぜ。」
「別に通報しようなんて思った事はない。俺にとっちゃ生命線だ。だから、正しく理解してる。」
「まぁ、そうだな・・・。」
「あなた、ジャック、っていうのよね?」
「そうだけど?」
「あなたもロボットなの?」「・・・。」
「アリスちゃん。一応こいつはこんな見てくれでもまだ人間だ。」「でも、充電が必要なのよね・・・。」「こいつは機械の割合がデカすぎて、ソーラーとか消化器系発電とか電池みたいな簡単な形での活動ができないんだ。型も古すぎるしな。」
「俺はロボットだ。」
「今は”正しく理解する”時間だぜジャック。」「・・・。」
「じゃあ、ジャックも私みたいに充電ポートを探した事はあるの?」
「お前なんかよりもよっぽど先輩だ。威張れないけどな。」
「このケーブルをわざわざ苦労して用意したのは半分コイツの為で、もう半分は俺の地下生活の為さ。初めてジャックと会った時、こいつは人通りの少ないストリートの充電ポートを彷徨って夜中にこっそり電気を盗むような鼠みたいな生活をしてたんだ。こんなデカい身体でな。」
「あんたには助かってる。」「気にするな。」
「おじいさん、おじいさんのお名前は?」
「コイツは名乗らないんだ。俺も知らない。」
「なんで?」「知らん。」
「すまないな。アリスちゃん。」
「聞き辛い事を聞いてごめんなさい・・・。」
「・・・いいんだ。」
相変わらず声を出す人間がいない時のこの洞穴はイヤになるくらい静かになる。耳をすませると聞こえてくる頭上の都市の喧騒が逆にこの場所の寂しさを際立たせる。
「あの・・・」真っ先に口を開いたのはアリスだった。
「私、もう一つ持ってる物があるの。」
「なんだ?」
「これ・・・。」
パーカーのポケットから取り出されたのは1本のUSBメモリだった。
「何が入ってるんだ?」
「知らない。」
「どこでこれを?」
「パパから貰ったの。」「渡す時に何か言ってなかったか?」
「『この中身がわかる人に渡しなさい。』って。」「なんじゃあそりゃあ。」「じいさん、PCあるか。」「あるけど、ウイルスの可能性が捨てられねぇ。」「確かに。」
「中身がわかる人って誰なんだろう。」
「心当たりもないのか。」
「・・・うん。」
「・・・まぁ、こればっかりは気長にやるしかないな。」
少女の小さい手の平の上に寝ている日焼けした青いプラスチック製のUSBメモリに黄緑色でプリントされたメーカーロゴが、なぜだか視界にこびり付く。そんな感覚が淡い眩暈のように額で渦巻くことの正体は、恐らくは充電器に叩き起こされた身体がまだ解消しきっていない疲労から来る眠気に違いなかった。
「じいさん、いつもの部屋で寝させてくれないか。」「勝手にしな。俺に取っちゃ物置みたいな所だ。」「ありがとよ。アリス、お前は、寝たりするのか?」「うん。私も睡眠は取るよ。」「そうなのか・・・。」
「俺の見立てじゃ、中々難しい処理を回し続けてるロボットだ。睡眠状態の時にキャッシュの処理をしたり、学習データの取捨選択をしたり、色々やる事はあるんじゃないかと思う。」
「なるほどな・・・。」
「眠いわ・・・。」
「眠いのか?」「うん。」
「お前、本当にロボットだよな?」「そうよ・・・。」
重そうな瞼をいかにも眠たそうにしながら手の平で擦る少女型ロボットは、まったくもって人間らしく、噛み殺した欠伸の引き換えに溢れる涙粒を指の背で拭って見せるのだった。
この場で自分が思ったのと同じ感覚に至ったのは自分だけではなかった。ふと視線を送りに首を回した先で、やはり老人もこちらを青い瞳でジッと見つめていた。
「独りの間どこで寝てたんだ?」
「寝て良い場所が分からないから、ずっと起きてたわ。」
「そりゃ、嬢ちゃん位の年の子には、酷な話だな。」
「取り敢えず、俺たちの事が信用できるんなら、今晩はここでグッスリ寝たらいいんじゃないか?なぁじいさん。」「あぁ、全然構わん。狭いがな。毛布も余りがある。」
「じゃあ、ここは寝ても良い場所なの?」「ここは寝ても良い場所だよ。アリスちゃん。」
「ありがとう。じゃあ、今晩はここで寝るわ。」
「・・・わかった。じゃあ、着いてこい。案内する。」
4.
老人が出て来たのとはまた違うカーテンを潜った先にあるのは4×5mほどもある広めの空洞。その隅から順に木箱やら巻かれた布やらちょっとした缶詰の食料品やらが積まれ並んでいる。その中に空いた2、3畳ほどのスペースに身体を嵌め込むように寝るのだと説明しながら毛布を渡された少女は、新しい環境に困惑しているのかそれとも先程から舟をこいでいる頭を立たせるのに必死なのか、相変わらず固い表情でポツンと佇んでいる。
「・・・あぁ!やっぱり毛布貸せ!」
丸まった毛布を広げて敷くだけのベッドメイキングには数秒とかからなかった。ついでに自分の分の毛布まで重ねてかければ、多少はこの冷たい床もマシな寝床になるだろう。
「そこに寝な。」「うん・・・。」
寝ろという言葉に突き動かされたようにすぐ毛布の上に寝転がった少女はやはり命令に従順なロボットに似つかわしい立ち振る舞いだと思える。
「なぁ、本当にお前はロボットなんだよな。」「私はロボットよ。」
「・・・。そうだよな。・・・じゃあ、ゆっくり寝ろよ。おやすみ。」
「ねぇ、ジャック。」「なんだ。」
「・・・なんで、自分はロボットだって嘘付いたの?」
「・・・。なんでだろうな・・・。明かり消すぞ。」「・・・はい。」
「おやすみ。」「おやすみなさい。」
吊るされた電球の明かりを消すともはや老人の部屋から漏れる光も届かない納戸の奥には途方もない地下の闇が広がった。まるで揺らめく湖畔の水面のような視界のノイズを浮彫にするその暗闇から、寝息も出さずに眠りに落ちた少女の気配が細い両足を生やしている。その先に散らかったローファーを揃えてやってから、自分はもう一度残りの充電に戻った。
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