勘違い悪女だけど、猫耳美少女になったらすべて許されました

しましまにゃんこ

第1話

 ◇◇◇


「キャサリン、今日こそ話を聞かせて貰うからなっ!」


 リチャードは、応接室のドアが開くなり立ち上がって宣言した。


 我慢に我慢を重ねてきたが、もう限界だった。今日こそ、この不毛な関係を終わらせる!そう思って勇んでやってきたのだ。


 それなのに、理由も聞かされぬまま一時間以上も待たされ、いい加減腹が立ってきた。だが、現れたキャサリンの姿を見るなりビシリと固まる。


「婚約破棄は嫌だにゃん。許してにゃん」


 いつもの強気な態度と違い、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳のキャサリン。、見慣れないフサフサの三角の耳。


「……ふざけてるのか」


 そうとしか思えない。思えないのだが……


「ふざけてないにゃん。本気だにゃん」


 聞いたこともないほどか細く頼りないキャサリンの声に、心が乱れる。それに……


「だ、だったら、そ、その格好はなんなんだっ!」


 収まりきらずに苦し気な胸元。ピチピチの短いドレスのお尻から、ピンと伸びたゆらゆら揺れる尻尾。それはまるで……


「……うにゃんっ!」


 顔を真っ赤にしたまま、涙目で必死にドレスの裾を引っ張るキャサリン。


「くっ……(超かわいいっ!)」


 ◇◇◇


 公爵家のリチャードと侯爵家のキャサリンは、幼い頃に決められた婚約者同士。家格の釣り合いと家同士の利権が絡んだ、純然たる政略結婚の相手だ。


 だが、初めて会ったときのキャサリンは、それはそれは愛らしい少女だった。猫みたいにくるくると良く変わる表情。豊かに波打つ金の髪にキラキラと輝くエメラルドの瞳。少し勝ち気なところはあるがそれすらも可愛くて。リチャードは一目で恋に落ちた。


 二歳年下と言うこともあり、キャサリンも「リチャード兄さま」と呼んで、実の兄のように慕ってくれていた。穏やかで優しい日々。リチャードは、幸せだった。


 ところが、貴族学園の中等部に入学した頃から、キャサリンはリチャードをあからさまに避けるようになってしまった。屋敷に逢いに行っても逢って貰えず。話し掛けても、そっぽを向いたまま目も合わせようとしない。


 寂しかったが、難しい年頃なんだろうと少し距離を置くことにした。お互いにもう少し大人になれば、穏やかに付き合えるようになるだろうと。


 しかし、それから何年たっても、二人の関係が改善されることはなかった。キャサリンはますますリチャードを避けるようになり、リチャードはキャサリンへの接し方がだんだん分からなくなってしまった。


 リチャードは貴族学園で生徒会長として忙しくしていることもあり、この一年はほとんど口も利いていない状態だ。


 そんなとき、嫌な噂を耳にした。キャサリンが、身分を笠に着て下位貴族の令嬢を虐めていると。


 もちろんリチャードはそんな噂など信じない。キャサリンは、他人を虐めるような娘ではない。昔から曲がったことが嫌いで正義感の強い子だ。


 しかし、生徒会の会合の帰り、事件は起こった。生徒会のメンバーと共に、偶然ある現場を目撃してしまったのだ。


 険しい顔で、一人の令嬢を取り囲む大勢の令嬢たち。キョドキョドと周囲を伺いながら怯えた様子の令嬢は、最近生徒会によく顔を出している男爵令嬢のマリーンだ。


 ――――あろうことか、その中心にキャサリンがいた。キャサリンに向かって泣きながら許しを乞うマリーン。理由は分からないが、大勢でよってたかって一人の令嬢を取り囲むとはただごとではない。まるでリンチだ。明らかに眉をひそめる生徒会の面々。


「キャサリン!」


 リチャードは慌ててキャサリンに駆け寄った。一瞬驚いた顔をしたキャサリンだったが、すぐにプイッと顔を背けられてしまう。誰の前でもこうなのだ。


(本当に嫌われたものだな……)


 リチャードは自嘲気味に溜め息をついた。だが、その間も修羅場は続いていく。


「白々しいわね。泣いたら許されるとでも思っているの?いい加減嘘泣きはやめて頂戴」


 マリーンに向かって淡々と冷たい言葉を投げつけるキャサリン。そうよそうよと周囲で盛り上がるモブ令嬢たち。ますます声を上げて泣きじゃくるマリーン。


(とにかくこの状況をなんとかしなければ……)


 このままではまたキャサリンに悪い噂が立ってしまう。何か理由があるはずだ。


「キャサリン、何があったんだ?どうしてこんなことになったか、理由を聞かせて貰えないだろうか」


 しかしキャサリンは、リチャードと目も合わせようとしない。


「リチャード様には関係のないことですわ」


 そう言うなり、不貞腐れたように黙り込んでしまう。だがリチャードも、後には引けない。学園の規律を正す生徒会としても、目前で起こっている生徒同士のトラブルを見逃すことはできないからだ。


「マリーン、大丈夫かい?」


 リチャードは、床に座り込んでしまったマリーンに手を伸ばし、立ち上がらせようとする。しかし、


「その子に触らないで!」


 マリーンに伸ばした手を、ビシリと扇でうち据えられてしまう。びっくりして目を丸くするリチャード。


「あっ……」


 キャサリンも、ハッと我に返ったのか、さすがに顔を青くする。


「リチャード様……」


 マリーンがうち据えられたリチャードの手にそっと触れると、キャサリンはますますその表情を険しくした。


「……何度言っても分からないようね……」


「本当に誤解なんです!私はただ、生徒会の皆さんのお手伝いがしたかっただけなんです」


「白々しい。そんな言い訳を信じるとでも?」


 リチャードは、重ねられたマリーンの手をやんわり引き離す。


「失礼。私は大丈夫だ。キャサリン、何があったか知らないが、か弱い令嬢に大勢で詰め寄るのは行きすぎた行動だと思わないか?もっと穏やかに話し合おう」


 リチャードの言葉に、キャサリンはキュッと唇を噛む。


「私より、その子を庇うのね……金輪際、私のことは放っておいて下さい」


 言い捨てるなり、キャサリンは踵を返して立ち去ってしまう。「あ、お待ちになってキャサリン様」慌ててキャサリンの後を追う令嬢たち。


「キャサリン……」


 リチャードはその場から動けなかった。もう、二人の関係は絶望的なのではないか。このままでは、最悪婚約を解消する結論に至るかもしれない。そんな思いが頭をよぎる。いくら政略結婚とは言っても、顔も合わせたくない程嫌っている相手に嫁ぐなど、キャサリンにとって不幸なのではないか。


「こんなはずじゃ無かったのにな……」


 たとえ政略であったとしても、キャサリンとなら幸せな家庭を築けるかもしれない。そう思っていた。だが、自分と一緒にいることはキャサリンにとって不幸でしかないとしたら……


「あの、リチャード様……」


 立ち尽くすリチャードに、マリーンがおずおずと話し掛けてくる。


「あ、ああ。婚約者のキャサリンがすまなかったね。大丈夫だったかい?」


「あ、あの、本当に誤解なんです。私、キャサリン様が仰るようなことは何も……」


「誤解?」


「えっ!?あ、何でもありません!失礼致します!」


 慌てたようにバタバタと走り去っていくマリーン。


「本当に、何なんだ一体……」


 ◇◇◇


 リチャードは訳が分からないなりに、キャサリン宛に手紙を書いた。もし、キャサリンが婚約の解消を望んでおり、家のしがらみで言い出しにくいだけならば、リチャードから婚約解消を申し出る準備があること。


 またその際は、キャサリンの家に婚約解消の弊害が出ないように、出来る限りの配慮をすること。ただし、学園での行いに対しては、一生徒としてきちんと説明をして欲しいと綴った。


(これでいいんだよな……)


 婚約破棄をする前に、キャサリンの悪評は出来る限り晴らしておきたい。そうでなければ、婚約破棄をした原因がキャサリン側にあると思われ、キャサリンにますます悪評がついてしまうからだ。それだけは避けたかった。


 キャサリンは身分の高い裕福な侯爵家の令嬢。そして何より美しく魅力的な少女だ。たとえこの婚約を解消して多少の瑕疵が生じたとしても、まだまだ引く手数多だろう。リチャードが手を離しさえすれば、彼女はなんのわだかまりもなく、今度こそ好きな相手と結ばれる……かもしれない。


(よしんばまた政略的な相手を宛がわれたとしても、私よりはましかもしれないからな)


 鬱々とした気分で封をすると、家令に手渡す。


 ◇◇◇


 手紙を渡した翌日、キャサリンから返事がきた。会って直接話がしたいと。こういうときだけは対応が早いんだなと悲しくなる。リチャードが婚約破棄を言い出すのを、いまかいまかと待ちわびていたのかもしれない。


 しかし、重い足を引き摺るようにして侯爵邸に向かったリチャードは、約束していたにも関わらず、あっさり門前払いを受けることになる。「リチャード様、大変申し訳ございません。お嬢様は急に気分が悪いと仰られて……」リチャードは込み上げる怒りの言葉をぐっと呑み込んだ。


 侯爵家での門前払いは、その後も繰り返された。「今日は気分が優れないとのこと」「本日も臥せっております」「お嬢様はどうしてもお逢いになりたくないと……」気の毒そうな目で見てくる侯爵家の使用人たち。我慢に我慢を重ねて。もう、限界だった。


「悪いがこれ以上この件について時間をかけるつもりはない。後日婚約破棄について正式な書面を送る」


「お、お待ち下さいっ!」


「私はもう、散々待ったと思うが?」


 こうして屋敷に帰ったリチャードは、もう一度だけ会って欲しい。今度こそ必ず会うというキャサリンからの手紙を受け取った。正直もううんざりだった。修復不可能なほどに、十分傷ついた。だが、やはり惚れた弱みか。会いたいと言われれば、会ってやろうという気になる。今度こそ。その言葉を信じて侯爵邸を訪問し、今に至る。


「……ずっと会わなくてごめんなさいにゃん」


 正直、そんなことどうでもよくなるほど、今の状況に戸惑っていたが、一応キャサリンの話を聞くことにした。


「……どうして会ってくれなかったんだ?」


「リチャード兄様に、ずっと腹を立ててたにゃん。だから、困らせてやりたかったし、謝って欲しかったんだにゃん……」


 どうでもいいが、語尾ににゃんとつけるのはわざとなんだろうか。とても気になって内容が頭に入ってこない。


「ん、あ、えーと、私に腹を立ててた?何か気に障ることでもしただろうか?」


「……浮気にゃん」


「は?」


「浮気したにゃん!あのマリーンって女と!」


「は?」


 いや、神に誓って浮気などしていない。していない、はずだ。


「見たにゃん。リチャード兄様の誕生日に差し上げた万年筆を、あの女が使ってるところを」


「万年筆……」


「リチャード兄様から愛用の品を貰ったって他の生徒に自慢してたにゃん!……ひどいにゃん!浮気相手に私からのプレゼントを貢ぐなんて、ひどすぎにゃん!信じられない裏切りにゃん!」


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


「待たないにゃん!それからもあの女は何度も私に言ってきたにゃん!リチャード兄様が本当に愛してるのは自分だと!私なんかただの政略結婚の相手だと!だからあの日言ってやったんだにゃん!二度と顔も見たくない。金輪際リチャード兄様にも私にも近付くなと!後悔はしてないにゃん……」


「それで、ずっと口も利いてくれなかったのか……」


「リチャード兄さまの馬鹿。大嫌い。浮気者。でも、好き。好きなの」


 なんだか凄いことを言われた。そこはにゃんをつけないんだな。


「もう、他の女なんて見ないで。私だけのものになって。じゃないと私、悪い女になっちゃうから!」


 ポロポロ泣き出したキャサリンを、ぎゅっと抱き締める。


「私が好きなのは、後にも先にも君だけだ」


「本当に?」


「本当に」


「じゃあ、許して上げる。今度浮気したら、殺すから」


 さらりと怖いことを言われた。でも、その激しさに胸が熱くなる。


「もしも浮気をしたら男らしく自害しよう」


「嘘。やっぱり死なないで。兄様が死んだら、私も生きていけない」


 何だか今日1日で一生分の告白をされた気がする。


「ところでその格好は……」


「お母様から我が侯爵家に代々伝わる、喧嘩して仲直りしたいときの正装だって言われて……あ、正装だにゃん。ここぞと言うときに使えと言われたにゃん。でも、お母様のドレスは私にはサイズがちょっと小さくて、恥ずかしかったから出てくる勇気がなくて……」


 なるほど。それであの門前払い。そして語尾には必ずにゃんをつけるように言われたんだな。んー、んんー、ごほん。歴代侯爵の気持ちは分からなくもない。確かに、どんなに怒っていてもこの格好でにゃんと言われれば取りあえず度肝を抜かれるだろう。……とんでもなく可愛いしな。侯爵家の夫婦円満の秘訣ってやつか。……今度我が公爵家にもないか、それとなく尋ねておこう。


「あー、キャサリン、あと、ひとつだけ訂正しておきたいんだが」


「何かにゃん」


「マリーンとも誰とも、神に誓って浮気などしていない」


「……信じるにゃん」


「いや、明らかに信じて無いだろう!本当だ!万年筆もマリーンにやったりしていない!ほら、今もちゃんと持ってる」


 リチャードは、愛用している万年筆をキャサリンに差し出す。


「私の上げた万年筆……」


「ほら、ここにちゃんとネームが入ってるだろう?君がくれたものを、他の人間に譲る訳がない」


「だってあの女も、持ってた……特注品だから、絶対に、同じものなんてないのに」


「恐らく、同じ工房に頼んで似たようなものを作らせたんだろうな。こんなに見事な細工を作る職人は王都でも限られているから。見付けるのはそれほど難しく無いだろう。マリーンが同じような万年筆を持っているなんて、私も知らなかったんだ」


「全部、あの女の嘘だったにゃんね!騙すなんてやっぱり許せないにゃん!他の女のときは目をつぶったけど、あの女には万年筆を上げたって思って、カッとなったにゃん。女ギツネにゃん!」


「他の女って……」


「貴族学園に入学してから、色んな女に言われたにゃん。リチャード兄様に常日頃から何かとお世話になっていると。そういう意味にゃん。リチャード兄様の不潔!スケコマシ!」


「まて、まってくれ。それで、私のことをずっと避けてたのか?目も合わせてくれなかったのも?」


「そ、それはリチャード兄様と会うと恥ずかしいし、見つめられたら何を喋ったらいいか分からなくなるのもあって……」


 なんだこれ、可愛いな。


「取りあえず、神に誓って誰とも浮気していない。恐らく生徒会で世話になったとかそんな意味だろう」


 彼女たちがどれほどの悪意と戦略を持ってキャサリンに近付いたかは分からないが。今後はキャサリンに近付く女達がおかしなことを吹き込まないように、入念に監視することにしよう。リチャードは心に刻んだ。


 リチャードは昔から、キャサリン以外に毛ほども興味はない。身分の高い裕福な公爵家の嫡男であるリチャードに近寄ってくる女達は確かに多かったが、火遊びすらする気になれなかった。難攻不落の生徒会長。影でそう呼ばれるほどに。


 そんなリチャードがただ一人大切にしている掌中の玉。キャサリンを貶めようとする女達に、まんまと翻弄させられていたとは情けない。何が大人になるまで距離を置くだ。本当は近付いて嫌われたくなくて必死だっただけだ。


「誤解は全部解いておこう。何でも言ってくれ。だが、覚えておいて欲しい。君以外、誰も愛さない。お願いだから、もう、無視しないでくれ。君に無視されるたび、死にそうだ」


「ご、ごめんなさい!……にゃん!」


 リチャードは、くすりと笑うと愛しい子猫を力一杯抱き締める。もう、離さない。離れたままおかしな誤解をしてすれ違っていくのはもうごめんだ。


 ◇◇◇


 それからリチャードは、ボランティア名目で生徒会室に入り浸る女達を一掃した。実力で選ばれた本来の役員だけが入室できるようにして、将来有望な人材をハントしにくる狩人にはお引き取り願う。キャサリンにあることないこと吹き込んだのは、大方リチャードに相手にされなかったこの女達の嫌がらせだろう。


 そして、キャサリンを生徒会長秘書として正式に採用した。学園でも片時も離れたくないので。元々多忙を極める生徒会長には秘書をつけることが許されており、多くの令嬢にとって憧れのポジションでもある。


「リチャード兄さま、職権乱用にならない?」


「任命権は会長に一任されている。それに、キャサリンは優秀だから大丈夫だ」


「キャサリンちゃんに無視されてるときの会長、闇のオーラ出しまくってましたからね……」


「近くにいてくれるだけでご機嫌で仕事してくれるから助かります」


「しつこい女達も追い出せて一石二鳥っす!」


 生徒会のメンバーにも快く受け入れられ、ほっと胸を撫で下ろす。


「それにしても、正直婚約破棄しかないってぐらい拗れてたのに、よく仲直りできましたね」


「ああ、それは……」


「うん、キャサリン、その話はやめようか」


「どうしてにゃん?」


「「「にゃん?」」」


 侯爵家伝統の仲直りの儀式は、その後も続いたとか続かないとか。


 おしまい



 

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