偽りの騎士ド=ルホーテ(前編)

 聖都ヴァルドへ続く旅道にて。


「!?」


 若き騎士デュライス・リムロットは思わず手綱たづなを引き、愛馬ブライトウィン──瞬足で頑強な地獣タキャクウマ──に足を止めさせた。


 目指す聖都はまだ遠い、こんな所で立ち止まっている暇はない。それは重々承知しているのだが、仮にも民の守護者として、無視は出来ない状況である。


「おのれ、民を苦しめるカリュウモドキめ! 我が剣にて成敗してくれる!」


 そう叫んでいるのは、地獣ケナガウシにまたがった老人である──普通は騎乗するような獣類どうぶつではない。鈍足の上に乗り心地も悪い。実際、老人も身体をプルプル震わせて、姿勢の維持に苦労している。その上、頭からすっぽりと鍋を被り、手綱片手にくわを振り上げているのだから、危なっかしいことこの上ない。


(え、えーっと、我が剣とやらはあの鍬のことで、鍋は兜のつもりか?)


 だとすると「民を苦しめるカリュウモドキ」とは、道の真ん中できょとんとしている地獣キノボリイタチのことだろうか? 体長は最大でも30センティ前後、木の実を主食とする人畜無害な獣類である。


「セリアーザよ、我にご加護を!」


 老人に脇腹を蹴込まれたケナガウシは、渋々といった様子でノロノロ前進するが。


「うひょうっ!?」


 案の定、老人は姿勢を崩し、ケナガウシの背中からずり落ちる。それに驚いたか、あるいは単に関わりたくなかったか、キノボリイタチはさっと身をひるがえし、旅道の周囲に広がる森へ姿を消した。


「お爺さん、大丈夫ですか!?」

「ス、ステイステイ!」


 相乗り鞍タンデムサドルから飛び降りようとした同乗者──聖女イリリカを慌てて止めるデュライス。彼女の慈悲深さには敬意を表するが、守護騎士としては近付かせる訳にいかない。老人の持つ鍬は凶器になり得るし、何より──彼は明らかに現実を見失っている。


「デュライス、もしやあの方が?」

「ああ、間違いねえな。面倒くs──じゃねえ、見つかって良かったな。ははは──」


 *


 本日の朝、つまりほんの数時間前。


 朝食を終え、宿の主人に支払いを済ませ、旅を再開しようとした直後のことだった。


「あなた、大変よ! お義父とうさんが何処どこにもいないの!」


 主人の妻が顔色を青ざめさせ、帳場に駆け込んできたのである。それを聞いた主人は、うんざりした顔になった。


「放っておけ! どうせ、また″遍歴へんれきの旅″だろう」


 思わず顔を見合わせるデュライスとイリリカ。遍歴の旅とは、騎士による修行の旅のことだ。


 普通の旅なら避けるような難所をあえて通り、闇の種族や悪人を見かければ徹底的に追討し、苦しむ民にはどんなに急ぎの身でも手を差し伸べる。他の騎士との決闘や友情、うるわしき姫君との恋、戦場での華々しい活躍──騎士の遍歴の旅は、多くの騎士道物語の題材になってきた。


 物語──。


 そう、騎士道物語で描かれる遍歴の旅は、多分に理想化されている。今も昔も、現実の騎士が旅をするとしたら、ほぼ任務の一環としてだ。無論、寄り道など許されない。平民に助けを求められても、目前で襲撃でもされていない限りは「冒険者を雇ってくれ」と言うしかない。


 強いて挙げるなら〈白の聖騎士〉アヴァロクの旅が、騎士道物語で描かれるような遍歴の旅に近い──どころか、物語以上の大冒険だったろうが、それはあくまで例外中の例外である。


(お義父さんって──あの爺さんのことか?)


 昨日の夕食時、食堂の片隅で主人の妻の世話でスープをすすっていた。薄くなった頭髪に、しなびたような手足の老人で、少なくとも現役の騎士には見えなかったが──遍歴の旅とは、どういう意味だろう?


「自分の父親でしょう! 心配じゃないんですか?」

「どうせ、腹が空けば帰って来るって」

「そんな悠長な! 最近、旅道に闇の種族が出没してるって噂なのに──」

「あの、何かお困りですか? 私たちで力になれることでしたら──」


 何やら揉めている主人夫妻に、イリリカが声を掛けてしまう。デュライスが止める暇もなく。


(やれやれ)


 とは言え、デュライスも真剣に止めるつもりはなかったが。セリアーザに命じられた旅の途中とは言え、イリリカが迷える仔羊を見過ごせる訳がない。だからこそ女神に見込まれたのであろうし、デュライスだって護衛のし甲斐がいを感じている──騎士になって良かったと、生まれて初めて思えた程度には。


「ああ、司祭様、気にしないで下──」

義父ちちは騎士病なんです!」

「「あ~」」


 主人の妻の悲痛な告白に、二人は一瞬で事情を飲み込んだ。一方、主人は苦々しい顔をしている。身内の恥をさらしやがって、とでも言いたげに。


 騎士病──アヴァロキア聖王国の平民のみが発症する、特異な精神病である。


 発症者は自分が騎士であると思い込み、現実の見方まで歪めてしまう。仕事道具などを剣や鎧兜のごとく身に付け、特定の女性を″姫″と呼んで付きまとったりするのだ。遍歴の旅と称して山野を徘徊はいかいするのも、よく見られる症状だ。


 その思い込みは強固で、言葉でいさめられた程度ではまず何の効果もない。それどころか「騎士を愚弄するな」と激昂げっこうし、諌めた相手に″決闘″を申し込むのが関の山だ。


 発症の原因は特定されていないが、発症しやすい人間の共通点だけは判明している。すなわち──。


「お義父様は、やはり、その──?」

「はい、それはそれは騎士に憧れていて──騎士道物語も沢山読んでいたんです」


 現在のアヴァロキアの制度では、騎士の家に生まれなければ騎士にはなれない。その絶対的な壁が、かえって平民の憧れを助長するのかもしれないが。


(憧れるようなモンかねえ)


 仮にも本物の騎士であるデュライスとしては、苦笑するしかない。平民たちに白馬騎士団の地獄の行軍演習や、領地経営に四苦八苦している団長を見せれば、随分ずいぶんと騎士病予防に効果があるのではなかろうか。


「だから、あんな本は焼き捨ててしまえと──」

「そ、そんなの可哀想でしょう! お義父さんの唯一の楽しみなのに」

「おかげで、やれ騎士たる者、弱者には優しくとか何とか、いつも下らん説教かましやがって。挙句あげくの果てには貧乏客を無料タダで泊めるわ、いい迷惑──」


 主人の止まらない愚痴を、妻が慌てて断ち切る。


「あ、あなた、失礼ですよ! 本物の騎士様の前で──」

「うへっ!? お、お許しを、騎士様! 下らんのはウチのバカ親父であって、騎士道の教えじゃありませんから!」

「あ、いや、お気になさらず」


 はっと我に返るデュライス。主人の怯えようからして、結構な目つきで睨んでいたようだ──無意識の内に。


(何をイラついてんだ、俺)


 確かに、親を親とも思わぬ主人の言い草は、如何いかがなものかとは思ったが。とは言え、彼の心情も理解は出来る。騎士病にはこれといった治療法がなく、自然治癒するまで安静にさせておく他ないという。家族の苦労は並大抵ではなかろう。日々の生活で精一杯の平民では尚更なおさらだ。


(──親子だからって、何でも許されると思うなよ)


 デュライスは気付いていない。遠い記憶から響く、耳障みみざわりな声に。


『良いか、デュライス。騎士たる者、常に礼節をわきまえ──』


 *


 老人を発見したら、家に帰るように説得する。旅道の警備隊を見かけたら、保護を依頼しておく。主人の妻にそう約束し、宿をった二人だったが。


(運が良いんだか、何なんだが──)


 発見してしまった、光の星セラエノが中天に差し掛かる前に。考えてみれば、ケナガウシの足ではそう遠くへは行けまい。この辺は枝道も少ないし、発見の可能性は十分にあった。


 それにも関わらず、意識の外に置いていたのは──やはり、関わりたくなかったからか。


「ぬう、逃げるな、カリュウモドキめ! 正々堂々と勝負せい!」

「あ~、爺ちゃん、アサツゲドリ亭のジョエフさんかい?」


 鍬を構えて周囲をうかがっていた老人が、デュライスの呼びかけにはっと振り返る。妙に芝居がかった所作で。


「おお、このような魔所で同胞と出会うとは、これもセリアーザのお導きか! だがな、騎士にとって名と称号は命、正確に呼ぶべきだぞ」


 老人は鍬を眼前に真っ直ぐかかげ──騎士の誓いの姿勢だ──、高らかに名乗りを上げた。


「我が名はジョエフリン・ルカス・ド=ルホーテ! 真なる騎士にして、いとも壮麗なるアサツゲドリ城の主なり!」


 盛大にため息をらすデュライス。


 アサツゲドリ城──老人の目には自宅が(いとも壮麗な)城に見えているらしい。


 ド=ルホーテ──おそらく、あの宿の所在地であるルホーテ村からの命名だ。


 真なる騎士──確か〈騎士スレナイン、あるいは真実の鏡の物語〉の主人公スレナインに与えられた称号だ。


 騎士病は症状の進行に比例して、設定が充実していくという。つまり、この老人は重症だ。


「お爺──い、いえ、ド=ルホーテ卿? ご家族が心配されていますよ。一度お帰りになっては?」

「むむ、さてはベリンダ姫に頼まれたな? すまぬが、今の吾輩わがはいでは到底あの方には釣り合わぬ。名を上げるまでは、城に戻らぬと誓ったのだ」


 ベリンダ──老人の亡き妻が、そういう名前だったらしい。症状の悪化は、故人への想いも一因だったのだろうか。イリリカが悲痛な顔をしているのが、背中越しでもデュライスには解った。


 だから、無理矢理にでも笑い話にすることにした。


 デュライスはブライトウィンの体高を活かして、思い切り老人を見下しつつ言い放った。作り話にしても度が過ぎる、馬鹿馬鹿しくて話にならない、という意味の慣用句を。


「へっ、爺さんが騎士ぃ? ″吟遊詩人でも笑い出す″ぜ」

「ななな、何だと!?」


 老人はたちまち額に青筋を立て、イリリカからも戸惑いの気配が伝わってくる──が、デュライスを非難したりはしなかった。信じているのだろう、自分の守護騎士を。


「だって、そうだろ? カリュウモドキすら一人で倒せないようじゃなぁ~。騎士の家に生まれれば、自動的に騎士になれると思ったら大間違いだぜ?」


 怒り狂った老人は、デュライスの狙い通りの言葉を口にした。


「剣を抜け、若造! 決闘だ!」


 イリリカがはっと息を呑む。早くもデュライスの意図を察したらしい。


「吾輩が勝ったら、土下座で謝ってもらうぞ!」

「いいぜ~。その代わり、俺が勝ったら大人しく家に帰れよな?」

「望む所だ!」


 そう、説得が不可能でも、口車に乗せることは可能なのだ。騎士病を逆手に取ることで。無論、根本的な解決にはならないが、放置よりはマシだろう。


 デュライスはひらりとブライトウィンから飛び降りつつ、イリリカに目配せする。彼女がはっとまぶたを閉じ、愛馬もさりげなく視線をらしたのを見届け──。


「アヴァロクの栄光よ、我が剣に宿れ──」


 そう呟きながら、さやから片手半剣バスタードソードを抜き放ち──頭上にかかげ、叫んだ。


「【聖剣破眼光ソード・フラッシュ】!」

「ぐわあああ!?」


 刀身が凄まじい閃光を放ち、老人の眼をいた。


 アヴァロキア流聖剣技──アヴァロキアの騎士たちに伝わる闘技である。建国王アヴァロクの伝説構造テンプレートと呼応することで、彼にまつわる逸話エピソードを再現するのがその原理だ。デュライスが放った【聖剣破眼光】も、アヴァロクが刀身の反射光で敵の眼をくらませたという逸話に由来する。


(あ~、何度やっても──)


 技名の宣言と、前口上が恥ずかしいのが難点だが。伝説構造と呼応する為の手順なので、省く訳にもいかない。


(クソ親父はよく平気だったな──いや、あいつなら平気か、むしろ)


「おのれ、卑怯な技を!」

「いや、聖剣技を卑怯とか、アヴァロク様に失礼だろ!? お~い、もう降参しないか?」

「何のこれしき! 騎士は眼で敵を追うにあらず、心で追うのだ! 見えるぞ、お主の殺気が──ぬおおおお」


 滅多矢鱈めったやたらに鍬を振り回す老人──殴られそうになったケナガウシが悲鳴を上げる──を見ていると、今朝から続くモヤモヤした感情が何なのか、デュライスは解ったような気がした。


(騎士病──まさにクソ親父だな)


 無論、デュライスの亡き父は正真正銘、本物の騎士である。ただ、騎士道物語で描かれるような、騎士の理想像を頭から信じていたという点では、老人と全く同じだった。そして、リムロット家の唯一の跡取りであるデュライスにも、己の理想を強いた。それに彼が素直に従っていたのは、せいぜい十歳までだった。


 次第に現実が見えてくるデュライスに対して、父は一向に変わらなかった。結果、親子は事あるごとに衝突するようになった。今思えば、それは父に対する願望の裏返しだった。騎士になりたくない訳ではないが、それ以外に選択肢がない自分の、この複雑な心境を解って欲しいという──愚直な父に求めるには、あまりに難しい願望の。


 結局、デュライスと解り合えないまま、父は戦死した。騎士道物語よろしく、ゴブリンの群れにたった一人で立ち向かったのだ。この、群れとは言えゴブリンという点がまた、デュライスを絶妙に微妙な気分にさせるのである。せめて、敵がオーガーの群れとかであったなら、彼も多少は父を見直したのだが。


 残されたデュライスが叙任じょにんを拒否しなかったのは、後見人こうけんにんになってくれた団長──母方の叔父でもある──に悪いから、という理由でしかない。


 父が馬鹿なら、自分は半端者だ。


『おかげで、やれ騎士たる者、弱者には優しくとか何とか──』


 宿の主人に対して苛立った理由も、今なら解る。父親を『いい迷惑』で切り捨てている彼の方が、まだしもいさぎよい。


「どうした、もう終わりか!?」


 老人は徹底抗戦の構えだ。デュライスはため息を吐きつつ、鍬を奪い取ろうと背後に回る。


(クソ親父が死んだ時も、こんな感じだったのかねえ──騎士道の教えに退却の二文字はない、とか何とか言って)


 さしものデュライスも、少しだけ亡き父をいたんだ、その時。


 ブライトウィンが鋭いいななきと共に、森の方に鼻面を向けた。

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