偽りの騎士ド=ルホーテ(後編)
老人を挟んで向かい合う形になっていたので、デュライスも愛馬の異変には即座に気付いた。
(何だ──?)
ずしん、ずしん、という妙に規則正しい地響きが、森から近付いて来る。めきめきという倒木音や、逃げ散る風獣テッポウバトの羽ばたきを
「ブラ公、離れろ!」
正体に気付いたデュライスが、ブライトウィンにそう命じた瞬間だった。
「グオオオォォッ!」
森を断ち割るように、巨影が旅道に
身長三メトにも及ぶ、岩のような筋肉に覆われた
「オーガー!?」
闇の種族の中でも、最も恐れられる連中の一つだ。その豪腕による一撃は、騎士の
そう言えば、宿の主人の妻が言っていた。最近、この辺りに闇の種族が出没していると。
(くそっ、ブラ公が気付いてくれなきゃ、完全に不意打ちだったぞ)
デュライスの名誉の
オーガーが棍棒を振り上げる。「ぬう、ゴルゴラン(※スレナインの宿敵)の軍勢か!?」などと叫んでいる老人に向かって。腰こそ抜かしていないが、無防備さでは大差ない。
(しまった、爺さんはまだ──!)
目が見えていない。言うまでもなく自分の
押し
(一撃で仕留める!)
状況判断に要した時間は、実際には秒にも満たぬ
時間が減速する。デュライスの
がきん、と硬い感触に
(くそ、
オーガーは骨の太さ・頑丈さも、人間とは比べ物にならない。この一撃には、さしもの鈍重なオーガーも絶叫し──ぎろりとデュライスを睨み付ける。
オーガーは老人への振り下ろしを、強引にデュライスへの横
「がはっ!?」
それでも、山に激突されたかのような衝撃だった。デュライスは何度も地面に弾かれながら、10メト近く吹き飛ばされる。全身の骨が上げる悲鳴を断固無視し、片手半剣を杖に立ち上がろうとするが──頭を打った所為か、視界がぐらついて踏ん張れない。
一方、オーガーは多少よろめいているものの、倒れる気配はない。
「デュライス! 今、治癒の祈りを──」
「よせ、来るな──!」
イリリカが駆け付けようとしている、ブライトウィンの背から飛び降りてでも。デュライスは必死で止めるが、聞き入れてくれる訳がない。こういう時だけは強情な娘なのだ。
「若造、決闘は保留だ! まずはゴルゴランの軍勢を──」
手探りでケナガウシの背に戻る老人を無視して、オーガーは一歩、また一歩とデュライスに迫る。他の二人に向かわれるよりはマシとは言え、自分が死んだら彼らも後を追わされる。
デュライスはまだ立っているのが精一杯だ。
(守れない──イリリカを──爺さんも──これじゃあ)
ゴブリンの群れと刺し違えた父の方が、余程騎士らしいではないか。デュライスが
老人とケナガウシが光に包まれた。
(何だ──!?)
謎の光が徐々に弱まり──。
「へ?」
「え?」
「グオ?」
反比例するように、一同──オーガーも含む──の口があんぐりと開いていく。無理もない。先程まで老人とケナガウシが立っていた場所に、全くの別人が立っていたのだから。
がっしりとした長身に纏うは、白銀に輝く
「いや、誰だよ!?」
薄々は悟りつつ、デュライスは突っ込まずにいられない。なぜなら、
騎士──そう、騎士以外の何者でもない人物は、流麗な
「我が名はジョエフリン・ルカス・ド=ルホーテ! 人々を
その瞬間、雲間から差し込む
ハイヤァ! 騎士の号令に応え、イッカクウマが
オーガーがはっと我に返り──オーガーも呆然とするのだと、デュライスは初めて知った──、突進してくる騎士に向かって棍棒を振り上げるが。
騎士は既に、何やら呟き始めている。
「騎士、剣、信仰、
(え? この前口上は──って言うか、前口上!?)
そう、これは紛れもなく聖剣技の前口上だ。その証拠に、騎士の長曲刀は
オーガーが振り下ろす棍棒を、イッカクウマは更なる加速──最早、疾風すら越えて雷光──で潜り抜け、騎士はすれ違い様に長曲刀を一閃させる。技名の宣言と共に。
「【
そう、一閃としか、デュライスの眼には映らなかったのだが──。
「えええええ!?」
オーガーの両腕と頭部が切り離され、黒い
(マジかよ!? あんな奥義の使い手──)
白馬騎士団でも、おそらく団長と主席教官ぐらいのものだろう。ゆっくりと倒れていくオーガーの
「若き同胞よ、よく持ち
『デュライス、よくやったな!』
(あ──)
騎士に重なる父の面影を、デュライスが振り払う暇もなく。
「何があっても、そこな姫君を守り抜くのだぞ。では、さらばだ!」
騎士はイッカクウマを転身させ、旅道を
「お、おいこら、決闘はどうした!? ブラ公、追いかけ──」
「デュライス、まずは治癒の祈りを!」
姫君、もといイリリカがデュライスを断固として引き止め、聖印を握って祈り始める。そこから放たれる″光″の
イリリカがクタクタになるまで祈り続けたお陰で、デュライスは何とか歩けるまでに回復したが、その時には既に騎士の姿は
「すまねえ、俺の所為で──」
「デュライスは悪くないですよ! 元はと言えば、私が──」
イリリカは騎士が去っていった方に、悲しげな
その後、しばらく二人は騎士を捜索したが、その痕跡すら見つけられなかった。あたかも、抜け出してきた騎士道物語の世界に、再び還って行ったかのように。
*
否、彼は物語の登場人物などではない。
帰るべき家もそこで待つ家族もいる、現実の人間だ。出会わなかった振りなど、出来るはずもない。二人は事情を伝えるべく、ルホーテ村の宿に引き返すことにした。
道中、あの騎士──ジョエフ老人の身に何が起きたのか、二人は推論に推論を重ねた。その結果、どうにか導き出した結論は。
「騎士病の原因は
大勢の人々によって語り継がれる伝説が、
そう、伝説構造は決して、聖剣技の源としてのみ存在している訳ではない。水が水車を回す為だけに存在している訳ではないのと同じだ。伝説構造は誰の敵でも味方でもない。個々の投影を人間が勝手に、奇跡だの災厄だのと呼んで区別しているだけだ。
老人は騎士への憧れのあまり、伝説構造と過剰に呼応してしまったのではないか。聖剣技の使い手が己の一部だけを、一時的に呼応させるのに対して、彼の場合は己の全てを、おそらくは永続的に──それが騎士病の末期症状だとしたら。
笑い話では済まされないだろう。
「申し訳ありません、
宿の主人夫婦に事情を話すなり、デュライスは片膝を着いて片手半剣を差し出した。騎士の正式な謝罪だ。イリリカが慌てる。今ならデュライスに何をしようと──それこそ、片手半剣を奪って斬殺したとしても、主人夫婦は罪に問われない。まあ、それはさすがに
「そ、そうですかい? じゃあ、もう一晩泊まって──」
「ええ、
「ちょ、お前、何言って──ぐふう!?」
「騎士になれたんですもの、
翌日、改めて宿を発って。
ブライトウィンの背に揺られながら、二人は無言だった。黙っていたらイリリカが心配すると焦りつつ、口を開けば弱音しか出てこない気がして、デュライスは結局何も言えずにいる。
「デュライス、私は──」
結局、イリリカに先に口を開かせてしまった。
「知っています。あなたが私の守護騎士でいてくれるのは、自分の意思でだと。伝説構造に操られて、ではなく」
「イリリカ──」
「これからも、私の守護騎士でいて下さいね」
これで有頂天になる程、デュライスも子供ではない。イリリカが──半分は──気遣いで言っていることぐらい、彼にも解る。だが、
まだ、父とその理想を信じていた頃の記憶と──憧れという感覚を。
『俺もいつか、父上みたいな騎士になれますか!?』
『なれるとも! 修行さえ
なりたい。イリリカから「これからも守護騎士でいてくれ」と、気遣いではなく本心から言ってもらえる。そんな騎士になら。
「──ああ、頑張るよ」
デュライスは背後のイリリカにそう応えた──つもりだったが、記憶の中の父に応えてしまったような気もしてきて。
心の中でだけ、盛大に舌打ちした。
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