偽りの騎士ド=ルホーテ(後編)

 老人を挟んで向かい合う形になっていたので、デュライスも愛馬の異変には即座に気付いた。


(何だ──?)


 ずしん、ずしん、という妙に規則正しい地響きが、森から近付いて来る。めきめきという倒木音や、逃げ散る風獣テッポウバトの羽ばたきをともないつつ。


「ブラ公、離れろ!」


 正体に気付いたデュライスが、ブライトウィンにそう命じた瞬間だった。


「グオオオォォッ!」


 森を断ち割るように、巨影が旅道におどり出る。咆哮ほうこうで大気を震わせながら。


 身長三メトにも及ぶ、岩のような筋肉に覆われた体躯たいく獣類どうぶつの毛皮をまとい、丸太のような棍棒をたずさえているところを見ると、最低限の知性はあるはずだが──みがいたことなど一度もないであろう乱杭歯と、遥か頭上から見下ろすどんよりにごった眼には、知性など欠片かけらも見出せない。


「オーガー!?」


 闇の種族の中でも、最も恐れられる連中の一つだ。その豪腕による一撃は、騎士の甲冑かっちゅうすらへこませる。尚且なおかつ、召喚されなければ出現しない悪魔と異なり、一般人でも遭遇してしまう可能性がある。


 そう言えば、宿の主人の妻が言っていた。最近、この辺りに闇の種族が出没していると。


(くそっ、ブラ公が気付いてくれなきゃ、完全に不意打ちだったぞ)


 デュライスの名誉のために断っておくと、オーガーは一般に考えられているより、遥かに隠密行動が得意である。彼らとて、普段は獣類を狩って生活しているのだから。ブライトウィンがオーガーの接近に気付いたのは、こいつが途中で隠密を放棄したからである。自分の姿を見ただけで腰を抜かす、ちょろい人間が獲物だと気付いて。


 オーガーが棍棒を振り上げる。「ぬう、ゴルゴラン(※スレナインの宿敵)の軍勢か!?」などと叫んでいる老人に向かって。腰こそ抜かしていないが、無防備さでは大差ない。


(しまった、爺さんはまだ──!)


 目が見えていない。言うまでもなく自分の所為せいで。見えたところで老人は逃げてくれない──などと自分に言い訳が出来ない程度には、デュライスも不器用な少年だった。


 押し退ける空気を可視化しつつ、オーガーが棍棒を振り下ろす。彼らの恐ろしさは怪力のみならず、巨体による攻撃範囲リーチの長さにもある。もう、聖剣技の為に精神を集中させる余裕も、老人との間に割って入る時間もない。ならば。


(一撃で仕留める!)


 状況判断に要した時間は、実際には秒にも満たぬ刹那せつな。デュライスは全身をバネに跳びつつ、空中で一角獣の構えに移行する。さながら、自身を投げ放たれた槍に見立てて。


 時間が減速する。デュライスの片手半剣バスタードソードの切っ先が、オーガーの灰色の皮膚ひふにズブズブとめり込み、その奥底で脈打つ心臓を貫く──寸前で。


 がきん、と硬い感触にはばまれる。


(くそ、肋骨ろっこつに──)


 オーガーは骨の太さ・頑丈さも、人間とは比べ物にならない。この一撃には、さしもの鈍重なオーガーも絶叫し──ぎろりとデュライスを睨み付ける。


 オーガーは老人への振り下ろしを、強引にデュライスへの横ぎに変更する。彼は片手半剣を引き抜きつつ、咄嗟とっさに棍棒と己の間に割り込ませるが。


「がはっ!?」


 それでも、山に激突されたかのような衝撃だった。デュライスは何度も地面に弾かれながら、10メト近く吹き飛ばされる。全身の骨が上げる悲鳴を断固無視し、片手半剣を杖に立ち上がろうとするが──頭を打った所為か、視界がぐらついて踏ん張れない。


 一方、オーガーは多少よろめいているものの、倒れる気配はない。


「デュライス! 今、治癒の祈りを──」

「よせ、来るな──!」


 イリリカが駆け付けようとしている、ブライトウィンの背から飛び降りてでも。デュライスは必死で止めるが、聞き入れてくれる訳がない。こういう時だけは強情な娘なのだ。


「若造、決闘は保留だ! まずはゴルゴランの軍勢を──」


 手探りでケナガウシの背に戻る老人を無視して、オーガーは一歩、また一歩とデュライスに迫る。他の二人に向かわれるよりはマシとは言え、自分が死んだら彼らも後を追わされる。


 デュライスはまだ立っているのが精一杯だ。


(守れない──イリリカを──爺さんも──これじゃあ)


 ゴブリンの群れと刺し違えた父の方が、余程騎士らしいではないか。デュライスがおのれ不甲斐ふがいなさに歯噛みした、その時。


 老人とケナガウシが光に包まれた。


(何だ──!?)


 まぶしいのに、【聖剣破眼光ソード・フラッシュ】のように眼は傷めない、そんな不思議な光だった。加えて、デュライスは確かに聞いた。戦場のときの声や、軍馬たちのいななきを。これは聖剣技の発動時に感じる、伝説構造テンプレートとの呼応感覚に間違いない。無論のこと、今の彼は聖剣技を使える状態ではないし、使った覚えもない。


 謎の光が徐々に弱まり──。


「へ?」

「え?」

「グオ?」


 反比例するように、一同──オーガーも含む──の口があんぐりと開いていく。無理もない。先程まで老人とケナガウシが立っていた場所に、全くの別人が立っていたのだから。


 がっしりとした長身に纏うは、白銀に輝く溝付甲冑フリューテッドアーマー──デュライスの旅行用の軽装型と違い、戦場用の全身型だ。光沢のある黒鹿毛くろかげも見事な地獣イッカクウマにまたがり、眼光鋭くオーガーを見据みすえている。まさに騎士道物語から抜け出してきたかのような、その勇姿。


「いや、誰だよ!?」


 薄々は悟りつつ、デュライスは突っ込まずにいられない。なぜなら、ふさ飾り付の兜からのぞくその顔は、どう見ても四十歳以上には見えなかったからだ。立派な口髭くちひげで威厳が増しているだけで、実際はもっと若い可能性すらある。


 騎士──そう、騎士以外の何者でもない人物は、流麗なこしらえの長曲刀サーベルを抜き放ち、案の定こう名乗りを上げた。


「我が名はジョエフリン・ルカス・ド=ルホーテ! 人々をおびやかすオーガーめ、我が剣にてらしてくれよう!」


 その瞬間、雲間から差し込む光芒こうぼうが、騎士の姿を照らしたのは偶然か。否、騎士の嘆きが雨すら降らせるのが、騎士道物語というものだ。


 ハイヤァ! 騎士の号令に応え、イッカクウマがいななき一声、疾風はやてごとき走りでオーガーに迫る。それを見たブライトウィンが鼻を鳴らす。「生意気な」とでも言いたげに。


 オーガーがはっと我に返り──オーガーも呆然とするのだと、デュライスは初めて知った──、突進してくる騎士に向かって棍棒を振り上げるが。


 騎士は既に、何やら呟き始めている。


「騎士、剣、信仰、三位さんみ一体の極意を見よ──」

(え? この前口上は──って言うか、前口上!?)


 そう、これは紛れもなく聖剣技の前口上だ。その証拠に、騎士の長曲刀は風琴オルガンの音色をかなで始めている。


 オーガーが振り下ろす棍棒を、イッカクウマは更なる加速──最早、疾風すら越えて雷光──で潜り抜け、騎士はすれ違い様に長曲刀を一閃させる。技名の宣言と共に。


「【聖剣三裂斬トリニティ・スラッシュ】!」


 そう、一閃としか、デュライスの眼には映らなかったのだが──。


「えええええ!?」


 オーガーの両腕と頭部が切り離され、黒い血飛沫ちしぶきと共に宙に舞う。伝説はうたう、白の聖騎士アヴァロク、聖剣セリアーダムの一振りにて、巨躯きょくのオーガーを三断せり──まさに、伝説の再現だ。


(マジかよ!? あんな奥義の使い手──)


 白馬騎士団でも、おそらく団長と主席教官ぐらいのものだろう。ゆっくりと倒れていくオーガーのむくろを背景に、騎士はデュライスに笑い掛ける。


「若き同胞よ、よく持ちこたえたな!」

『デュライス、よくやったな!』

(あ──)


 騎士に重なる父の面影を、デュライスが振り払う暇もなく。


「何があっても、そこな姫君を守り抜くのだぞ。では、さらばだ!」


 騎士はイッカクウマを転身させ、旅道を颯爽さっそうと駈け去っていく。そこでようやくデュライスは思い出した、彼を家に連れ戻す途中だったことを。


「お、おいこら、決闘はどうした!? ブラ公、追いかけ──」

「デュライス、まずは治癒の祈りを!」


 姫君、もといイリリカがデュライスを断固として引き止め、聖印を握って祈り始める。そこから放たれる″光″の言霊ことだまが、デュライスの″命″の言霊を活性化させ、全身の痛みを和らげていく──のだが、いつもより遥かに時間を要している。思った以上に重傷だったらしい。こんな状態で馬に乗るのは、確かに無茶だ。


 イリリカがクタクタになるまで祈り続けたお陰で、デュライスは何とか歩けるまでに回復したが、その時には既に騎士の姿は何処どこにもなかった。


「すまねえ、俺の所為で──」

「デュライスは悪くないですよ! 元はと言えば、私が──」


 イリリカは騎士が去っていった方に、悲しげな眼差まなざしを向けている。彼女としても苦渋くじゅうの選択だったのだ。おのれの守護騎士と見ず知らずの他人、どちらを優先すべきかという。自分を選んでくれたとは言え、デュライスが喜べるはずもない。


 その後、しばらく二人は騎士を捜索したが、その痕跡すら見つけられなかった。あたかも、抜け出してきた騎士道物語の世界に、再び還って行ったかのように。


 *


 否、彼は物語の登場人物などではない。


 帰るべき家もそこで待つ家族もいる、現実の人間だ。出会わなかった振りなど、出来るはずもない。二人は事情を伝えるべく、ルホーテ村の宿に引き返すことにした。


 道中、あの騎士──ジョエフ老人の身に何が起きたのか、二人は推論に推論を重ねた。その結果、どうにか導き出した結論は。


「騎士病の原因は伝説構造テンプレートなのかもしれない──」


 大勢の人々によって語り継がれる伝説が、真智界アエティールに生み出す言霊の情報結晶体、それが伝説構造である。伝説構造は様々な形で、物質界プレーンに己を投影し続ける。


 そう、伝説構造は決して、聖剣技の源としてのみ存在している訳ではない。水が水車を回す為だけに存在している訳ではないのと同じだ。伝説構造は誰の敵でも味方でもない。個々の投影を人間が勝手に、奇跡だの災厄だのと呼んで区別しているだけだ。


 老人は騎士への憧れのあまり、伝説構造と過剰に呼応してしまったのではないか。聖剣技の使い手が己の一部だけを、一時的に呼応させるのに対して、彼の場合は己の全てを、おそらくは永続的に──それが騎士病の末期症状だとしたら。


 笑い話では済まされないだろう。


「申し訳ありません、如何様いかような処罰でもお受けします」


 宿の主人夫婦に事情を話すなり、デュライスは片膝を着いて片手半剣を差し出した。騎士の正式な謝罪だ。イリリカが慌てる。今ならデュライスに何をしようと──それこそ、片手半剣を奪って斬殺したとしても、主人夫婦は罪に問われない。まあ、それはさすがに杞憂きゆうだったが。


「そ、そうですかい? じゃあ、もう一晩泊まって──」

「ええ、是非ぜひそうして下さいな。お代は要りませんから」

「ちょ、お前、何言って──ぐふう!?」


 肘鉄ひじてつで夫を黙らせつつ、主人の妻は悲しげな笑みを浮かべた。


「騎士になれたんですもの、義父ちちは本望だと思います──もう家には帰って来ないとしても」


 翌日、改めて宿を発って。


 ブライトウィンの背に揺られながら、二人は無言だった。黙っていたらイリリカが心配すると焦りつつ、口を開けば弱音しか出てこない気がして、デュライスは結局何も言えずにいる。


「デュライス、私は──」


 結局、イリリカに先に口を開かせてしまった。


「知っています。あなたが私の守護騎士でいてくれるのは、自分の意思でだと。伝説構造に操られて、ではなく」

「イリリカ──」

「これからも、私の守護騎士でいて下さいね」


 これで有頂天になる程、デュライスも子供ではない。イリリカが──半分は──気遣いで言っていることぐらい、彼にも解る。だが、みじめな気分にはならなかった。久々に思い出していたからだ。


 まだ、父とその理想を信じていた頃の記憶と──憧れという感覚を。


『俺もいつか、父上みたいな騎士になれますか!?』

『なれるとも! 修行さえおこたらなければ、いつか必ずな!』


 なりたい。イリリカから「これからも守護騎士でいてくれ」と、気遣いではなく本心から言ってもらえる。そんな騎士になら。


「──ああ、頑張るよ」


 デュライスは背後のイリリカにそう応えた──つもりだったが、記憶の中の父に応えてしまったような気もしてきて。


 心の中でだけ、盛大に舌打ちした。

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