第93話

「はい」と頷いて、その隣を歩く。


集中しなければ。


彼の隣にいる時に、他の人へ意識を向けてしまってはダメだ。


緊張を取り戻し、出来るだけ神経を尖らせる。



そうしながら会場を歩き回り、フロアを行き来する。


八神さんは徹底して親切で、気を抜いたらいけない分、ここにいる間、怒られることも何かされることもないのだと心の中で安堵してしまう。


もしかしたら外出は、気が抜けなくなるとはいえ、気分転換にもなるし、あの家でじっとしているより、あたしには合っているのかもしれない。


なんて、そんな悠長なことを考えた時のことだった。


きっと調子に乗ってしまったあたしに罰が下ったのだと思う。





「八神くん!」




フロアは三十八階。


中でも柔らかな装飾品が用いられたその会場は、あたしの心を比較的穏やかにしてくれていた。


会場の奥まで見てきていいという八神さんの言葉に甘えて、丁度奥まで行き着き、その壁の模様や掛けられている絵画を眺めているところだった。


聞き覚えのあるその声に、あたしは寸秒遅れて振り返る。


会場の入り口付近から、彼の名前を呼んだその人にあたしは信じられない気持ちで手に汗が滲んだ。

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