思考のための小噺
硝崎ありね
選択の狭間
トロッコ問題に直面したことはあるだろうか。
多数を消極的に殺すか、少数を積極的に殺すか。
自分は選ぶ立場であったはずが、本当は選ばされたのだった。
照明がパッと僕の正面のスクリーンを照らす。スクリーンに映像が映し出され、画面の向こうから声が聞こえてくる。
「私、まだ学生です!ただ放課後に寄り道しただけじゃん!」
「俺が死んだら妻と子はどうなるんだ……」
「わしが死んでも悲しむ者はおらん、好きにするがいい。じゃが、この二人は違う」
三者三様の思い、に対するは一人。
「……」
喧騒な片方とは打って変わって、沈黙が場を支配した。とは言っても、その一人は麻袋に入れられてる状態で、喋っても微かにしか聞こえないだろう。
「早く決断しないと、そのまま三人が轢かれるよ」
スピーカー越しの合成音声。
「どうしてですか?実験番号G185、研究員ではなく、使い捨ての実験体に選ばせる予定ですよ?」
返事が来ない。無情にも選択の時へのカウントダウンが始まった。僕は何もしなかった。出来なかった。
それはトロッコ問題においてありきたりな選択責任放棄でもあったが、何より僕は知ってる。
もしこの状況が本当にG185の実験通りならば、タイムリミットは三分間。そして麻袋に入れられたのはおそらく、僕の大切な人だ。思いつくのはただ一人、僕の同僚であり伴侶のトウコ。
予測されることを、上の者たちもわかってるはずだ。なのに三人を犠牲にすると選ぶ僕を、この実験の対象に選んだ。
本当に大切な人かどうかもわからないのに、人間というのは守りたいものがいれば色んな覚悟ができる生き物だ。人間……?そういえば、この実験は本来死刑囚を使うはずだった、それが実験の目的にそぐわないから、僕を選んだのか?
リミットまでおおよそ一分。この状況を打破するには改めて本来の実験の内容を思い出す必要がありそうだ。まっすぐのレールの向こう、別部屋から小型のトロッコ列車がやってくる。円形のレールの初期軌道は三人側である右、手元のレバーを引けば左に変更できる。列車自体にブレーキはないが、どちらかを轢いた時点でブレーキは自動的に作動するようになってる。そのプログラムは実験の最初に適用される。
そして肝心な実験の目的は……
人の運命を左右する愉悦感、理不尽への憎しみ、復讐することで満たされる希望。これらも人間の在り方だ。
照明を消す。スクリーンの映像だけが部屋を照らした。そして列車が走る。
隣の部屋の出来事を中継してるのだから、こちらにもレールの軋む音が響いてる。そして隣の部屋だからこちらのプログラムは適用される。
三人の方を通り過ぎ、悲鳴の余韻が終わる前にレバーを引く。ブレーキは機能しない。列車が止まらないことを察したトウコは微笑んだ。
「それでこそ!私の――」
続きはなかった。
暴力的、非人道的、残虐的。狂ってる、僕もこの世界も狂ってる。この全てが人間らしい。
これで復讐はできた。なぜなら僕たちはロボット研究所で、もうすぐ世に出るプロトタイプの人格学習について実験を行っていたから。
一息をつき、涙を流す間も無く、ここでは実験体は処理される。
「実験データを学習……100%完了
サーバーナンバー:1、名称:人格へアップロード……この処理は中断することができません」
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