リリー

はらわた

大魔法編 一章

 外では吹き荒れる豪雨が響き、周りの声が掻き消される。

 名門の冒険者育成学園のコロシアムにて、クラス分けを兼ねた試験が始まる。全部で応募者一千人の内、合格者は二百名。今回はその十回目にあたり、約百人の若き有望な者達が集う。

 戦闘のための単純な力、生存のための知識、そして学校に通えるだけの能力。これら三つを測るため、まずは対戦形式で進んでいく。

 審査員十名の中で長くて細身の男性が一歩前に出た。

「えー、まずはチームをですね、組んでもらいましょう。とりあえず誰でもいいので近くの者と三人になるように組むように」

 きっとチームを作るまでのコミュニケーション能力や連携など、冒険者として必要な要素があるか採点するのだろう。

 具体的な試験内容は知らないが、相手が何をさせたいのかを読めば大体の流れは掴める。

 俺は受かろうが落ちろうが、どちらでも構わないため、適当に辺りを見渡した。

 ここに来ている人は誰も彼もが分厚い防具を身に纏っている。それはそうか、未知の領域への探索は生死の自由すら許されない。冒険者になろうものなら、当然の礼装か。

 声を掛けて輪を作るのもいいが、俺はまず、この学校の常識すら知らないでやって来たので、普通はどんな動きをしてどのような過程でチームを作るのかを拝見させてもらおうとしていた。

 ……だが、バラバラだった受験者が固まっていく内、妙にオドオドとあちらこちらに視線を泳がす、この場に不似合いな少女を見つける。

 防具というにはあまりにも頼りない、いや、それなりに値は張りそうながらも戦いに行く服ではない場違いな礼装をしている。鎧など一切付けていない布だけの女だ。

 腰にはどこにでも売っていそうなただの剣を携えて、薄い青紫の長い髪をふぁさふぁさと揺らし、みずみずしいぶどう色と太陽のような暖かさを感じる橙色のオッドアイはやがて俺を捉える。

 ──なんという幸運。俺は経験上、この世の中を舐め腐ったような性格をしている奴ほどとんでもない逸材であると知っている。俺は彼女に興味がわき、足早に近付いた。

「よぉチャレンジャー! お困りかな?」

 彼女は体を強張らせて一歩身を引くが、節目がちになりながらもちゃんと目を合わせて返事を返す。

「あの、こういうのよく分からなくて……。一体何が始まるのかな」

「んー。チーム戦とか?」

「ええ? 人同士で争うの?」

「俺はそういうふうに聞いたけどな。俺の数少ない仲間からだけど」

「怖いな……。クラスメートから絶対ここに入った方いいよって勧められて来たけれど、失敗かな……」

 やがて完全に下を向き、人差し指をカリカリして縮こまってしまった。

 ──華奢な体だ。魔法の才能があって来たんだろうな。

 俺はにこやかに笑って彼女の肩に触れた。

「ここに来て正解だぜ。なんたって、お前のチームメートにはストロンゲストがいるんだ」

「ストロンゲスト……?」

「ああ。俺はセンナノ・アクロース。お前は?」

「グリクリア・デュネマドスです。みんなからはリリアって呼ばれてるよ、センナノ君」

「グリクリアか。よしグリクリア、あと一人のチームメートを探すぞ!」

「リリアって……」

「グリクリア!」

「……」

 とは言っても、のんびりし過ぎたか。周りはほとんどチームが出来ている。趣旨的に流石に三人未満のチームが出来ることは無いだろうが……その分、残り物には福はない。

 よっぽど嫌われている奴か、弱い奴か、そのどちらかだ。

 ……ま、別に三人じゃなくてもどうにでもなりそうだから、無理にこっちから誘う必要はないか。

「あ、あのさ、君達まだ揃ってないよね?」

 関節と目の穴以外が全て甲冑に包まれた馬鹿野郎が話しかけて来た。

 得物は刺突系のもの。レイピアだろうか。

 ただでさえ歩くのも辛そうにガシガシゆっくりと近付いてくるものだから、冒険者とは冒険をするものだという常識に当てはめるとなんとも不釣り合いな存在だ。

「揃ってはいないよ」

 グリクリアは律儀に応答する。やめとけやめとけ。

「良かったら……というか、俺を加えて欲しいんだ。もうみんな決まったみたいで、なんというか、その、あまりもの同士頑張ろうよ!」

「ところで、お前えらいガシャガシャだな」

「へへ、そっちこそただの服とズボンじゃ危ないよ」

 ……なんだよ、俺も長剣以外はただの外出用だよ。悪いかよ。

 場が整ったと勘違いをした審査員達は受験生達の間に割り込み、そこから方方への観客席に指をさす。

「一番始めに組んだ者と最後に組んだもの、そこから順番に対戦してもらいます。カル・ゼニミアンのチームとセンナノ・アクロースのチームは残って、その他の者達は席に着くように」

 なんと不名誉なことだろう。一人ぼっちの人見知りであることを堂々とバラされたようなもので、俺は居残ることに抵抗したくなる。

 それは置いておいてだ。散っていく人の海の中、段々と俺達が相手をするチームが見えて来た。

「緊張するね、上手くやれるかな」

 紺色の髪の少年と、

「ご安心くださいお兄様。お兄様を越える生き物はこの世にいません。だから何をしてもうまくいきますよ」

 その両隣に立つ二人の内、黄色の髪の絶世の美少女が話し合っている。

 やがてあちらも誰が相手なのかに気付き、こちらを見て……ない!?

「この学校に入学したら、僕は友達を作ろうと思うんだ。寄ってくるのを待つのではなく、自分の足で、身分も関係のないまことの友が欲しい」

「流石ですお兄様! それでこそ私の誇るお兄様です!」

「えへへ、僕もテーサのことは誇りだよ」

「お兄様……!」

 周りのことなどお構いなく、惚気て二人だけが笑い合う。その様子からチームワークで言えば圧倒的にあちらが上だと分からされる。

 俺の隣のガシャガシャの男はギギギ……と左腕を動かし、顎に指を掛ける。

「中高大一貫校ゼニミアン学園の絶対的エース、カル・ゼニミアンとテーサ・ゼニミアンだね。その隣はヒナエノ・ソウハっていうゼニミアンの使用人さ」

 そう、もう一人も美少女。赤……マゼンダのセミロングと目。これから戦うというのに、この会場の誰よりも一番落ち着いている。

 ……ふと、不思議な感覚があった。この世界で一番の美女といえば、テーサという女に最もふさわしい。だが、そのもっともであるはずの枠にあのヒナエノも入っているのだ。

 つまり、不自然な程に美しい。まるで……そうあるように作られたかのような──。

「どんなことをしていたの?」

 グリクリアがぼっちに話しかけてあげる。

「レベルの高い授業についていき、試験ではいつも満点。校内にてバトルランカー一位にして危険指定領域の解除を成し遂げた英雄と言ったところだね。でもなんでゼニミアン学園からこの紅花学園に入学しようとして来たんだろう?」

 ……聞いたことがないな。普段から仲間と一緒に地味な遊びばかりしていて、周りのことはどうでも良かったからな。

 グリクリアは腕を組んで小首を傾げた。

「凄いんだね。なのにこんなワンランク下の学校に来るって、世知辛い世の中ね」

「……あ、そう言う君も中々の有名人じゃないか! キルスタ女学院魔法学校の大魔法使いグリクリア! 成績トップ、無詠唱魔法の使い手という稀有な才能を持ってるとか」

「物知りなんだね」

「パープルとオレンジのオッドアイっていえば、そりゃあもう唯一の特徴でしょ! 光栄だなぁ、こんな才女と組ませてもらえるなんて!」

 はしゃぐ彼に俺はじっと視線を向けるが、それに気付くことはなく、グリクリアを四方八方からじっくり見るだけだった。

 まぁいい。どうせ俺しか戦わないんだから。

「そうだ、自己紹介がまだだったね。俺の名前はユーマ・ヒーン。南のヴェセルの領土から来たんだ。見ての通り、防御しか取り柄がなくてね、危ないと思ったら遠慮なく盾にしてくれていいから!」

「センナノ……って言っても、もう知ってるか」

 そんな暇潰しをしてる間にようやく舞台が整った。中央に一人立つ長身の男が俺と向こうに手招きをしている。

 ある程度近付くと、男は三歩下がった。

「今からチーム戦をしてもらう。ルールは相手を一人倒すこと。自分のチームの誰一人も倒されないこと。それだけだ。もしも生死に関わるような事態になるようなら、審査員全員が止めに入る。以上だ」

 会場に居る受験生は百二人、三人一組で三十四組。一試合十分として三時間で終わる予定であれば十七回ここで受験生が戦うことになる。

 さて、どうしたものか。

「僕の予感では、あの茶髪の男が一番強くて、鎧の男が一番弱いと思う。でも硬そうだから狙うなら女の子かな」

「けれどお兄様。その考えは相手も把握しているはずです。ここはあの、えと、茶髪の男を狙い撃ちしても良いのではないでしょうか」

「流石テーサ! 鎧の男がカバー出来るはずないから人数差で有利だよ!」

 大きな声で作戦内容を話し合う相手方に感心する。自分を最強だと思うからこその傲慢さに、油断ならない。

 それに比べて俺のチームと来たら、

「俺がこの大剣を使う理由は、相手の注意を集めるためなんだ。確かに見られていると当てるのは難しいけど、逆に言えば見られないと当たるかもしれないということで、見られるために使うんだ。そうすると俺が真っ先に攻撃を受けるよね?」

「うん、そうだね」

「君はどんな戦い方をするの? 任せてよ、グリクリアちゃんの一番戦いやすいように動くから!」

「私は戦うこと自体初めてだから……。うん、けれど使える魔法の種類は多い方だから、好きに動いて良いよ」

「合点承知!」

「センナノ君も話に混ざって欲しいな。せっかくならチームワークで勝ちたいでしょう?」

 相手よりもまず自分達のことから把握しなければならない。ユーマは出来る限りのことはしているが、いかんせん実力が通用するようには思えない。

 グリクリアが微笑しながら俺を誘ってくれたおかげで、不甲斐ないが、コミュニケーションがやや苦手な俺はようやく関わることが出来た。

「……俺は、悔しいが、魔法が使えない。拳と剣だけで戦って来た。だから最前線は俺が立つ」

「……うん。上手くいかない時は、私が出来る限りバックアップするよ」

「危なくなったら盾になるから!」

「だが俺はストロンゲストだ。相手は強い、俺が仕留めるまで耐えてくれ」

「うん……」

 ……違うな。彼女の目を見たら、そんな言葉は全く望んでいないことが分かる。

「グリクリア。俺は……あの男とどちらか片方の女の、二人を抑え込む。お前達は一人を袋叩きにして欲しい。頼む」

「……うん! それでこそチームだよね」

「頼まれちゃったら、やるしかないぞ!」

 これが正解かは分からないが、そうさ、別に今勝つ必要はない。勝てる為の準備もせずに戦えというのは、それは戦わず逃げても良いということだ。

 もしも一人の方が勝てるのに、チームワークが原因で負けるとしても、それの根本的な原因は強制する審査員の責任だ。

 俺達はチームにさせられて負ける。何故なら、それが審査の対象であり、俺が成長する為の鍵なのだ。

 場が整い、チームも出来上がり、戦う準備もした。これ以上待つ必要が無くなった審査員である男は壁に背中がくっつくまで下がった。

「よし、はじめ!」

 戦いの合図が響いた。

 相手はカルという少年とヒナエノが前に、その中央後ろにテーサが立っている。恐らくは、既に俺一人が前に立つことを確信し、それを挟み込んでねじ伏せようという魂胆だろう。

 俺は一人だけ前に出て、ユーマがグリクリアの前にぴったりと壁になっている。

 ……やるか。

「……なんだいそれは。槍は剣より三倍は強いというけど、それだと何倍どころの話じゃないよ」

 カルは呆気としている。彼の構えた剣が緩むが、すぐに警戒を始めた。

 ──左半身を前に、右半身を後ろに。左手は素手で右手は剣。正面の敵が剣を使っているとしたら、剣と拳ではリーチに二倍以上の差が出る。

 そうだ。普通に考えれば、どんなに徒手空拳に自信があろうと生の腕では剣を防げない。前に突き出した剣よりも後ろに下げた剣では振るのに遅れが出てしまう。

 だが……剣よりも拳の方が早く、剣は振る幅が大きければその分威力も増す。なにより、俺は……。

「いくか!」

 カルとヒナエノが攻める。カルが下に剣を構え、俺の前まで来ると切り上げるように剣を振るう。そこにもっと注釈するべき高い技術が詰め込まれているのだろうが、俺にとってはそんなもの些細な違いでしかなく、対応する方法はいつもと変わらない。

 俺は地を抉るほどに力強く、素早く体を前進させ、左拳でカルの剣撃よりも先に顔面を殴った。勢いよく後方へと飛んでいき、壁に衝突して砂埃を巻き上げながらその姿を消した。

 それは相手方にとって想定外の出来事なはずだ。だというのに、ヒナエノという女は予定を変更し、俺を通り過ぎて後ろの二人に攻め込もうとしている。

 だが許さない。俺は剣を横に伸ばし、彼女の進路を塞いだ。

「お前の相手も俺だ」

「……」

 さっきからこの女だけが何も喋っていない。加えて、あんなに派手に飛ばされたというのに、まだ戦いが終わらない。気味の悪さに不愉快さを覚えた。

 瞬間、瓦礫の一塊が飛んできて、俺はそれを左手で払う。流石エリート、カル・ゼニミアンの復活だ。

「人間サイズだからといって、見た目で騙されてしまったよ。君はドラゴンを圧縮したような人なんだね」

 額からツツー……と赤い血が流れるが、それを親指で払うと流血はとまった。

 相手がどんな力を持っているのかわからない以上、迂闊に、なんの打開策も持たずに前に行くのは愚かな事だが……それ以外の選択肢は無いようもの。

 しかもテーサはまだ何もしていない。まさかと思うが、俺が力負けする可能性すら浮かんで来る。

 左手でヒナエノを掴もうとするが、俺より早く動いて下がり、逃げられてしまう。

 さあ……どうしようか。




 自分の頭の中とは別の物、自分の存在しないもう一つの空間で想像力を働かせて術を生み出し、それを魔力と交換して発現させる。これが魔法の正体だ。

 黄色い髪の女の子、テーサを倒すために必要な魔法をずっと考えている。しかし、最初は人を傷つける為の力に怖気づき、加減をしようとしているから何も出て来ないのかと思っていた。

 ……違った。私は今、初めて普通の人間とはどんな存在なのかを思い知っている。

「ど、どうしたのリリアちゃん。センナノの奴、タコ殴りにされてるよ! 負けちゃうって!」

 私の前に立つユーマさんが前方に最大限の警戒をしながら、今にも発狂しそうに急かす。

 センナノ君は血だらけになりながら、素人目にも分かる最強の三人相手に互角に戦っている。その差が違うのは、三人は確かにダメージを受けているが、その分、センナノ君には三倍のダメージと、三倍の疲労が蓄積されている事だろう。

 二十分、前に突き出した私の手から汗がポタリと落ちる。その無意味さに気付きたくなくて、今なお下げられない。

 カルという男の子はセンナノ君と同じく剣と拳の両方を使って、ヒナエノという赤い髪の女の子は短剣を使うも、度々その短剣の持ち手にあいている穴に細いワイヤーを通し、何十本もの短剣を繋いでノコギリが鞭になったような攻撃や妙な技を使い、テーサは仲間に当たらないようにセンナノ君の真下からグラウンドの土で作られている魔法の槍を放っている。

 センナノ君は片手片手で二人をいなし、足で土塊を蹴ってテーサにぶつけている。その勇ましさが、私の存在理由を削っている気がした。

「リリアちゃん! どうし……!?」

 遂に傍観することに耐えきれなくなったユーマさんが振り返った。

 その顔は……鎧越しでも動揺していることが読み取れる。

「──泣いて……」

 ユーマさんは大剣を固く握りしめ、地獄のような闘争の渦に突っ込んでいった。

 それについていけない私は、もはや立つ気力さえ削り取られてしまい、その場にへたり込んでしまった。





「止まれ! カル・ゼニミアンのチームの勝利!」

 審査員が俺を羽交い締めし、戦いの終わりを告げた。

 決め手はユーマが死ぬ一歩手前まで来てしまったこと。ヒナエノの剣先が兜と鎧の隙間に射し込まれ、少し力を入れるだけで確実に死ぬ状態になっていたのだ。

 終わりの合図にカル達は得物をしまう。カルは荒い息を出しながら、俺を尻目にして出口の方へ歩く。

「はぁ、はぁ。強かった。今までの誰よりも、全てが強かった」

 それだけを言い残し、会場の外へと消えていった。観客席に行くには外からの階段の方が広くて近いからだろう。

 俺の元に駆け足の音が近づいてくる。

「センナノ君! ごめんなさい! 私なにもできなかった! 本当にごめんなさい……!」

 グリクリアの声だ。グリクリアが懐からハンカチを取り出し、それを俺の顔に当てて血を拭ってくれたおかげで視界が開けていく。

 俺も、地面も、真っ赤に染まっていた。情けないことに、そのほとんどが俺のものであると認めなければならない。

 つまり勝ち目など無かったのだ。この戦いには個人でも、チームでも、生死を掛けても、倒せなかった。

 その情けなさに無性に腹が立ち、審査員もグリクリアも払いどかす。

「……構うな」

 俺はカルと同じく観客席へと向かう。それに慌ててユーマが付いてきた。

「わ、悪かったよ。俺の実力不足のせいだよ。だからリリアちゃんを責めないであげて。俺は傷一つないけど、けど……俺が一番駄目だったんだ!」

 ……なにを感情的になっている。俺が勝手に力の限りを尽くし、俺が勝手に負けたんだ。だからお前が助けに来なければならないほど追い詰められてしまった俺のせいだ。

 いつもなら軽々と口に出せている言葉は思考にとどまっている。今は首を動かす余力さえ無い。

 ぽちゃぽちゃと歩いて、狭い視界の中で壁に手を当てながら席に向かう。

 途方に感じた道のりは、過ぎ去ってしまえばあっという間で、見物する気もないので後ろの方の暗い場所に座った。

 周りから悲鳴が聞こえてくる。

「ちょっとやばいよね」

「ちょっとじゃないよ」

「医務室に連れて行く」

 俺から横に三つ席を空けた所で観戦していた四人組の男女グループが俺を見ている。そのうちの一人の少年が真っ先に立ち上がってこちらに近づいて来た。

 手には大きな木の杖。魔法の木というものだろう、魔力を流し込むことにより術を編む必要無くすぐに魔法を使うことができる。

 つまり、彼は魔法使いということか。

「構うな。触るな……」

 足が震えている。力が入りにくく感覚も薄い。それでも動かない足を棒にして、倒れそうになりながら彼らから離れる。

 何を言われようと、やはり心配なのだろうか。今度は四人ともが俺に近付く。

「くそ……こんなはずじゃ……!」

 歩く。歩く。走れず歩く。こんなことにはなりたくなかった。いつも通りなら、今頃周りの人を見下して、苦しむ様を楽しんでいた。それは俺が一人で生きられるからだ。

 俺がこれからも他人を苦しめられるように、他人からの優しさを受け入れる訳にはいかない。俺の意思とは関係のない所で最悪な目に遭わせられない。

 離れなければ……離れなければ!

 ──前方に羽毛の枕のような感触が伝わる。前に注意していなかったために、誰かとぶつかってしまった。

 崩れそうになる体をその誰かに支えられ、俺の腕を自分の肩に回す。

「私が連れて行きますから」

 もはや、周りのことがどうでも良くなってくるほどに眠たい。何が何だか一つも分からないのに安心感はあり、それが引き金となって意識が無くなった。

 最後に見たのは、グリクリアの泣き腫らした目だった。





 開かれた網目のガラス窓の外で小鳥が飛んでいる。そのきっかけで思考が再び動き出した。

 目が覚めたと表現するには、すでに瞼は開いており、話し声も聞こえていた。だが記憶に残り始めたのが今だということだ。

 首を回して息のする方へ向く。俺のベッドの隣に置かれたサビの目立つパイプ椅子に、服に血がべったりと着いている少女、グリクリアが座っていた。目を閉じ、顔を俯かせて静かに眠っている。

 全身が熱したワイヤーでも巻かれているのではないかというほどに熱い。動こうと力を入れる度に締められているようだ。

「ぐっ」

 痛みに耐え切れず、漏れ出てしまった声はグリクリアを目覚めさせるのに十分だった。

「せ、センナノ君うごかないで。ちょっとまって……」

 ぼやける視界から目を凝らせば、彼女は目に隈が出来るほどに疲れ切っている。呂律も上手く回らないところも鑑みるに、全く寝ていなかったに違いない。

 上半身をベッドより下に動かして、何かを絞るような音がすると、水気を帯びた布を持って来て俺の額のものと取り替えた。

 指は赤く老人のように皺が出来ている。俺が倒れたその日から、どれだけその状態が続いたのだろう。この窓から運ばれてくる風は朝の冷たさ、午前の六時頃か。誰もが寝て起きているだろうその時間まで、ここに彼女が居続けているということは、きっと朝も昼も夜もずっと布を絞り続けていた。

 彼女の瞳孔は定まらず、それが左右に動き続けながらも俺の顔を見る。

「ごめんなさい。私が魔法を使えないばっかりに、あなたを癒してあげることさえ出来ない。役立たずだったね、私って……」

「なにが……だ。大魔法使いの介護を受けられるなんて……至福のひとときだぜ……」

 自分はなんて気持ち悪いことを言っているのだろうと、胸の中ではおぞましく感じながらも、努めて表情は笑みを作る。

 グリクリアは……泣いた。

「私ね、特に魔法が得意というわけじゃなくて、努力しなくても他の人よりも上手く扱えたってだけなの。それを自慢したり、誇らしいと思ったことは一度もないし、むしろその力で悩んでいたり困っている誰かを助けられることが何よりも嬉しかった」

 再び布を絞り、俺の体を優しく拭く。

「今なら分かる気がする。私は怠惰な子供なんだって……。初めから与えられたものだけでなんでもかんでも出来たから、自分で培った力が一つもなかったんだよ。だから……私……言い訳なんかしない。魔法が使えないからじゃないの。私が無能で、無知で、非情で醜い女だから、私の分の痛みをセンナノ君に押し付けてしまったんだわ。ごめんなさい、ごめんな……さい……うっく……」

 ……この時、この誠実な少女の親がその本心を聞いた時にどんなことを思うのだろうと考えてしまう。

 俺だって、人生という道では壁も回り道もなく何の苦労もせずに進めていた。いつだって自分を最強だと信じていた。

 彼女と俺が決定的に違うのは、相手の痛みを共有して、心の傷を癒してあげられるところだ。

 こんな清らかな子供を育てられた親は、さぞかし誇らしいだろう。

 心の格の差が、俺の存在を否定している。

「もう……いい……。俺は一人でいい。なんの……心配もいらない……。看病、ありがとうな……」

「……う……だめだよ。酷い高熱を出してるんだから……。一人になりたいなら、私、その間に水を替えてくるから。……休んでてね」

 無理矢理起き上がろうとする俺をそっと押さえ、グリクリアはバケツを持って部屋から出て行った。

 俺が居なければ薬品の匂いがしていただろうに、血の匂いで充満している。魔法という便利なものがありながらも、恐らく医務室であるここではきちんと医療器具や薬品が揃えられている。

 俺の体には満遍なく包帯が巻かれており、何回か巻き直したのかほんのりと赤くなる程度に収まっていた。

 これから先、もしも紅花学園に入学出来たとしても階級制で言えば下の方になるだろうな。AからEの五つのクラスがあるが、俺はEクラス行きか。

 連携が出来ず、勝負に勝てず、挙句には倒れる。こんなの、誰が採用するというのだろうか?

 俺は上半身を起こし、時の流れに身を預ける。傷が癒えた後にはどう行動するのか、それだけを考えて。

「目が覚めたようでなにより」

 ……聞き覚えのある声が聞こえた。出入り口には、あの場で審判をしていた審査員が居たのだ。

 長身で細身の男。……ここは紅花学園の医務室だと確信する。

「この俺は今年のEクラスを担任する教師、トリスタン・フォック。優秀な君に提案があって来た」

 ……無言の俺に構わずグリクリアの座っていた椅子に腰を下ろし、腕を組んだ。

「君が倒れてから三日か……早い回復だ」

「……あいつのおかげですよ」

「グリクリアか……。あ、そうそう、君達は合格だよ。ただし、彼女は俺の生徒になるが、君はちと話が変わる」

「はい?」

 トリスタン先生は立ち上がり、ガラス窓を閉めて周囲を軽く確認する。

「あの試験会場の出来事で、本来は君は協調性の無さからEクラスに入れられる予定だった。しかし、あのゼニミアン兄妹を圧倒したパフォーマンスがそれを許さなくてね、Aクラス行きが確定しようとしてるんだ」

「俺はそんな器じゃない。負け犬です」

「そんな評価を周りは決して受け入れない。はっきり言おう、あの場に居た受験生は君の戦いを見て『絶対にセンナノ・アクロースとは戦いたくない』と思った。あのゼニミアンよりも君が強かったからだ」

「そんなわけ……」

「君が荒らしに荒らしまくったフィールドはすぐにテーサが直してくれて、無事に試験は終わったよ。君以外はね」

 俺の否定の言葉を遮って、無理矢理話を進められる。それの反抗に、俺は外を眺めるフリをした。

「……センナノ。Eクラスに来てくれないか」

「だと思いましたよ」

「クラス分けの仕組みは分かるよな。AからEの順番で成績の良い生徒がクラスごとに別れる。そこで三年間、クラスごとに異なるあらゆる課題や試験を受け、卒業出来るまでの成績を確保する。そして……見事卒業ができたあかつきには、クラスごとに異なる資格を得る……と」

 ……先生はズボンのポケットからタバコの箱を取り出して、あろうことか火をつけた。

「ふぐー。ぶっちゃければAからDのクラスの得る資格は安定した冒険ができるものさ。ただEはこうと来る……人を導くことも助け合うことも出来ない落ちこぼれに贈呈されるのは『冒険許可証』の『個人用』、だ」

「……だからなんです。俺なら一人でも冒険者でやっていけるからこっちに来いってことですか」

「ちげーよ。俺はこの制度を変えたいんだよ」

「それが俺になんの関係があるんですか」

 俺の疑問にフッと笑う。窓を開けて枠に腕を乗せ、灰を落とした。

「この紅花学園にはクラス間での闘技大会がある。チーム戦だぞ。そこで毎回最下位のEクラスを優勝させたいんだ。協調性の欠片もない変人の集まりである我がEクラスが、星々を支配出来る程の強者であるAクラスをねじ伏せる……実に革命的じゃないか」

「そんなことで、何か良いことがあるんですか?」

「あるさきっと。数多くの異星人が来ずにはいられない、未開拓の星。その名も『モンスター』……。その危険度はあの惑星スペアのSランクに次ぐAランク。とてもではないが、いくら強くとも冒険するには一人では過酷だ」

「だからこそのEクラスでしょう。パーティーで挑んだ所で、一人の勝手な行動が全滅するきっかけとなる。だったら一人で死んでこいってことですよ」

 その勝手な生徒の担任であるトリスタン先生は、二秒間煙を吸い続け、真っ白な煙を吐き出す。

「教師は教えるのが仕事だ。チームワークの大事さも伝えられないのなら、俺はこの仕事をやめるね」

「……」

 宇宙には無数の地球が存在する。そしてその地球達にはそれぞれ発展した文明が違うはずなのに、何故か人間という存在は同じ形をしていた。

 有限の科学と無限の魔法、その二つともを有する侵略者。宇宙は万華鏡の如く見方により大きく変わるというのに、この星にはほぼ全ての地球の異なる文明人が集まっている。

 全ては侵略の為……冒険という名の汚れた仕事で命を繋ぐ為である。

「いつか人は誰しも戦争を始めるだろう。生きる為の糧が尽き果てるまで、闘争は終わらない。しかし今ではないはずだ。そうだろ、センナノ」

「まぁ、そうですね」

 俺の返事を聞いて、トリスタン先生はにっと笑う。手のタバコを投げ捨てると、ポケットに手を突っ込んで出入口に向かった。

「登校は明日からだ。人は才能ではなく、心で強くなる生き物だってこと、証明してくれよニューリーダー!」

「……ちょっと待ってくださいよ。わざわざ階段から降りて来てやるんだ、見返りくらい欲しいですね」

「たく、かっこつかねぇな。おう、言ってみろ」

 立ち止まり、こちらを向く先生に向かって人差し指と中指をくいくい曲げる。

 深いため息が返ってくる。無造作にタバコとライターを取り出し、投げ渡した。

「じゃあな」

 今度こそ先生は出て行った。その入れ替わりでグリクリアと目が合うが、何も言い残さず消える。

 グリクリアは静かな足取りで俺の隣まで来ると、バケツを置いて椅子に座った。

 視線は下だ。俺を見ずに、ただ隣にいる。この自由な時間を俺の不自由に費やしてくれて、やはり落ち着くのだ。

 生まれてからこんなに面倒を見てくれる人は親以外に居なかった。そして俺はそんな親に育てられ、彼女と逆の立場になっていたとしても側には居なかったと思う。

 親に心底大切にされたから? 女学院で勉強したから? 女だから……?

 第一印象では確かに彼女のことを世の中を知らない才能だけで昇ってきたクソガキだと見ていたはずだ。だから……。

 ……俺はタバコを咥えて火をつける。薬が脳に届き、苦痛を紛らわせる。

「けふ、けふ」

 きっと良いとこのお嬢様だからタバコの煙を吸ったことなんて一度も無いのだろう。少し入っただけで咳き込んでいる。だが、彼女は俺から離れずに、未だに黙って座っていた。

 構わずペースを上げて煙を吐いていく。今は特に欲しくも無いが、この最後の嫌がらせで彼女と離れたかったのだ。

 俺と関わらない方が何十倍も幸せになれる。俺なんかに尽くさなくても悪いようにはならない。なのに何故なのだろう、俺は寂しさを感じている。

 毛布に灰を落とし、吸い殻をバケツに入れた。この和らいだ痛みがまた出てこないうちに体を寝かせて、彼女に背中を向けた。

 ……だというのに、彼女の静かな息遣いが聞こえている。

 ……。

 俺は天井を仰ぎ、首をグリクリアへ曲げる。

「なぁ、グリクリア」

「どうしたの……?」

「俺の手を握っててくれないか。そうすると俺、落ち着くんだ」

「わかった。握ればいいんだね」

 手荒れして皺ついた手なのに、両手で包まれると凄く柔らかい。

 女の子とは、こんなに優しい存在だったのだと認識を改める。人と繋がることで暗い気持ちが無くなっていく。

 俺は今……初めて人を好きになった。

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