第9話 南へ
私の提案に、しばし思案していたアレンシャは、ゆっくりと頷く。
「そうだね。ここに居てもやられてしまうだけだと思うし……」
マヤも納得している。
集落の壁は壊され、生き残った戦士たちは数人だけだ。これではドン族と戦うどころか、一方的に蹂躙されるに違いなかった。
「出立の前に少しだけ時間をくれないか」
アレンシャは言う。
彼女たちには準備も必要だろうし、思うところもあるのだろう。
アレンシャは石を積んだ二つの墓の前で、何かを祈るように額に拳を当てていた。
「アレンシャ」
シエルが声を掛けると、彼女は振り返った。
「ああ、シエルにオフェリアか。すまない。時間がかかってしまって」
「ううん。もう少し大丈夫なんじゃないかな」
アレンシャは「そうか」と言うと、再び墓に向き直る。
「これは私の父と母の墓だ」
「お父さんとお母さん……」
シエルの表情が曇る。
「シラフス族は十年ほど前にも一度、ダ・ビと交戦した。私の父は集落で一番強い戦士だったが……」
彼女は言葉を発するのをやめた。
その先は言わずとも分かった。実際にダ・ビの強さは目の当たりにしたから。
「……ここでしんみりしていても仕方がないな」
墓に掛けられていた首飾りを自分の首に掛けなおして、アレンシャは立ち上がる。
「行こう」
墓を背にした彼女の表情は、勇ましい戦士のものだった。
「トゥル・エナク・サス」
アレンシャが生き延びた戦士たちに告げる。戦士たちは戸惑っているように見えた。
「クナ・トルガ!」
一人の戦士がそう言って、他の数名もそれに賛同している。
「君たちと共に行動すると告げたが、ここに残ってダ・ビを迎撃すると言っている者たちがいる」
「この少人数で迎撃? 上手くいくとは思えない」
ヨハネの言うとおりだ。アレンシャも頷く。
「なんとか説得してみる。君たちは先に南へと向かってくれ」
「でも……」
「私は大丈夫だ。集落へはタムナとイシナに道案内させよう」
さあ、と背中を押される。
私たちは後ろ髪を引かれる思いで、裏門──今では残骸だが──から出た。
朝焼けの中で、再び森の中へと歩を進めた。
*
あの酷い臭いの枝の束を掲げながら、森の中を進む。
「何だ、この酷い臭いは……」
ヨハネがドン引きしている。そうか、彼はこれ知らないんだっけか。
「あれって何の臭いだろうね」
「動物のフン……とかでしょうか」
前にいるヴィヴィアンとクレアが話している。
「熊よけと言えば音を鳴らすのが良いとパピヨンのデータにはあったけれど……わざわざこの臭いを使うということは、音を出すのではダメなのだろうね」
マヤは興味深そうに呟いている。
ヨハネに肩を貸しているイオは、相変わらずビーコンの画面を見つめている。
「フレイとシズクの反応はある?」
ビーコンの画面を覗き込むが、何も無い。イオは首を振りつつも、それでも画面を見つめ続けている。
「イオって結構仲間思いだね」
私がそう言うと、彼は不思議そうな顔をした。
「ボクの芸術を目にする人間が減るのは嫌じゃないか」
「……」
彼は本気で言っているのか、それとも冗談で言っているのか……。
大体、分からない時のほうが多い。
私はそっとイオから離れて、シエルの隣へと向かう。
「私たちお手柄だったね」
「うん」
投石で時間稼ぎしか出来なかったけど、アレンシャたちを救うことが出来て良かった。
シエルも嬉しそうだ。
「南の集落の部族も良い人達だといいな……」
シエルは遥か遠くを見て言った。
「アレンシャがその人達は気難しいって言ってたような」
「ドン族みたいに対話ができないわけじゃなさそうだし、何とかなるかも」
「それにしても……。ドン族が私たちを追っているなら、南の部族たちにも迷惑をかけてしまうかもしれない」
「……滞在を断られちゃうかもね」
一気にどんよりとした雰囲気になる。疲れもあってか、足が重い気がした。
何度か休憩を挟みつつ、深い森から川岸へと出ていた。
太陽はすっかり真上に昇っていて、私たちを照らしている。
こけないように浅い川を慎重に渡っていたところ、よろめいたクロードに肩を掴まれて一緒に尻もちをついてしまった。
「バカクロード!」
「アホオフェリア! お前のせいだぞ!」
「は!? あんた頭わいてんじゃないの!?」
「まぁまぁ…」
困ったように笑うシエルが私とクロードの間に入る。
みんなは先程とは打って変わって柔和な表情をしている。つい先程まで、みんな疲労と緊張で怖い顔をしていた。多少場の空気が和らいだみたいだ。
まさかクロード、これを狙ってわざと?
彼の表情を見ても不機嫌そうだったので、普通に足を滑らせただけのようだ。なんだ。ただのバカか。
今のところドン族や熊からの襲撃もなく、平和に時が過ぎている。
川を渡りきり、タムナとイシナが振り返って何かを言う。意味は分からないが、恐らく南の集落が近いのだろう。
私は気を引き締めた。
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