序章

青い誓い

強くなることができれば、全てを守れると思った。

全てを救えると思った。

たとえ今が弱くて未熟でも、努力を続けてればきっと。

いつか、絶対に夢は叶うと、そう信じていた。


それはまだ、子供の頃の話。

全てが、幼かった頃の話だ。

幼い、本当に幼くて、あきれるほど平和で。

希望に満ち溢れていた頃の、むべき記憶の残滓ざんし















「だぁーっ!負けたぁっ!」


12歳の少年、水無月みなつきゆうは、白日の照らす砂浜を背に倒れこみ、叫んでいた。


もう、全身汗だくだ。

着ている胴着は汗の水分がこれでもかというほどににじみ込み、まるで文鎮ぶんちんをぶら下げてるかの様に重い。


それは、夏。

砂の肌色一色が風になびく海岸。

ファーンと、海をまたぐ橋の上を電車が走る音がする。

空を見上げると、照りつける太陽。

風の吹き抜ける雲一つない空。

その青に染まった視界の隅から、ひょこんと私服姿の少年がニコニコしながら顔を出す。


「へへーっ、剣術じゃ負けるけど、やっぱ素手の武術なら俺の方が上だな!」


太陽に照らされ、浮かび上がるような茶髪に暗く澄んだ同色の瞳。

彼はその瞳で堂々と祐を見つめ、自慢げに腕を組む。


「くっそー、もう少しだったんだけどなぁー」

「いやそんな汗だくボロボロ満身創痍君まんしんそういくんな状態で言われても」

「だって!もう少しで攻撃が当たりそうなのを誠人あきとが何回も何回も避けるから!」

「……いやそれ、もう少しって言わないからね?」


誠人が呆れた顔で項垂うなだれると、祐は一度軽く体を退け反らせて、「うんしょっ」と起き上がる。


「よしっ、次は剣術で勝負しよう!」


人差し指を突き出して高らかに言う。


「何自分の得意分野で勝負しようとしてんだよ。剣の稽古は昨日やったし、今日は居合刀も持ってきてないよ」

「じゃあ腕を刀にする!これで出来るだろ!」


そう言って祐は右腕をピンと立てて、しゅっしゅっと口に出しながら素振りをしだす。


「何それ。腕痛そうだし、嫌だよ」

「……いや、そうじゃないでしょ」

「は?」

「腕を刀にするわけないだろ!」

「さっきと言ってること真逆」

「そうじゃなくて!なんて言うかその……………いや、まあいいんだけどさあ〜〜!」

「いいなら、いいけど」

「…………あ!じゃあ霊術れいじゅつ!霊術ならいいだろっ!霊符れいふも持ってきてるし」


思いついた!と言わんばかりに祐は明るい顔で言う。


「霊術?あのねえ、アホかよ君は」

「何でだよ!」

「霊術こそ出来ないよ。祐、家での訓練の休憩ってことでここ来てるんでしょ。霊術なんて使ったらすぐ感知されてばれちゃうし、家の人がここに来るかもしれない」

「い……いや、そうだけど」

「それだけならまだいいよ。でも祐と俺が一緒にいるのがばれたら、それこそ終わりでしょ」

「……………………」


正論で返され、祐は何も言えなくなる。

気づけば、誠人はいつになく真剣な顔になっていた。

祐自身、そんなつもりで言ったわけではなかったのだが、誠人の急に変わる雰囲気に、何となく気圧けおされてしまう。


「それに」

「まだあんのかよ」

「うん。それに…………」

「………………」

「霊術でも俺の方が強い」

「はあぁぁぁぁ!?絶対俺の方がつえぇーもんね!ばぁーか!」


勝手に暗くされた空気を勝手にぶち壊され、祐は思わず突っ込む。

すると誠人は笑った。


「ばぁーかって」


深刻そうな態度はただの冗談のようだった。

全くもってよく分からない奴だが、ただその時はなぜか面白かったので、祐も一緒になって笑ってしまった。


一通り笑い終えると誠人は笑い疲れたのか、「ふ〜っ」と大きいため息を漏らし、祐を見る。


「…………ねぇ、祐」

「…………うん?」


祐はいつものように返事をしながらも、何かがおかしいと、違和感を感じる。

彼が纏っている寂寞せきばくたる雰囲気が、さっきのような冗談ではないと分かってしまう。


「………………」


……………ああ。

その表情は、やめてくれ。

………気のせいであってくれ。


そう願うばかりだった。


きっと誠人は、紡ぐ様に繋げてきた僕達の夢を、壊そうとしている。

それは…………だめだ。

それだけは、いやだ。


「………なんでいつも、この海辺なの?」

「………………何が?」


そんなことを言うが、祐は知らずと肩を震わせてしまう。

誠人が何を言いたいのか、分かっている。


でも、だめだ。

知らないフリをしなければいけない。

分からないフリをしなければならない。

見たくない現実からは………目を、背けなければならない。


それなのに、誠人は無慈悲に言葉を続ける。


「何で俺達がいつも遊ぶ場所に、祐はこの海辺を選ぶの?」

「…………………」


彼が言いたいことは、分かっている。

…………でも。


「………ここ、訓練の場所に最適なんだよ」

「………………」


祐はできるだけ自然に見えるように振る舞うが、誠人はうつろな表情を変えないまま、じっと祐を見つめている。


「砂浜だとうまく踏ん張れないから、そういう立地での訓練になる。今はまだ家の外には出れないけど、14歳を過ぎたら敵地での戦闘もあるかも知れないからさ。そういう時の為に、な」

「……………………」


やはり誠人は表情を変えない。

その沈黙は威圧にも感じるが、祐が次の言葉が見つからずに言い淀んでいるのを見るや、誠人は口を開く。


「………………どこかで、聞いたことがある。海の近くで戦うのは、危険だって」

「………………」

「潮が、霊力の脈を狂わせるらしいんだ。霊術士にとっては致命的だね」

「…………なんだよ。いきなり………何の話だ」


祐は分からないような素振りを見せながら、しかし誠人から目線を逸らし、下を向いてしまう。


「つまり海の近くじゃ、霊術士は無力ってことだよ。だって何も霊術を行使できないんだから。媒体霊術に用いる霊符や石版リトグラフは一切反応しないし、人が生まれながらに持つ霊能力すらまともに機能しない。………………つまり」

「……………………」

「………………霊力探知も、出来ない」

「……………………」


…………やはり、そうだった。

誠人は、そういう話がしたかったんだ。

今までお互いに触れ合わなかった話を。

ずっと、ずっと、必死にこらえて、見ないふりをしてきた話を。

ここで、今全部吐き出すつもりだ。


「だから、君はここにいることができるんだろ?」

「……………………」


声が、出ない。

体が震えて、喉に何かがつっかえてるようで。

誠人を否定する言葉を。

この会話を終わらせる為の言葉を言いたいのに、口が開かない。


…………そして、誠人の口から、言葉が放たれた。


「……『水無月家みなつきけ』」


そう呟く彼の言葉に、祐は反応してしまう。


「霊術が蔓延はびこるこの世界を牛耳ぎゅうじってる、十二の家からなる超規模霊術組織『邦霊ほうれい十二紋じゅうにもん』。水無月家はその頂点に位置する名家だ。そんで、そのご子息様が、お前」

「………なんだよ今さら。そんなの関係」

「あるよ、だから俺たちは、一緒になれない」

「……………」

「ただ友達と遊んだり、笑ったり。そんな簡単で当たり前のことが、俺たちにはできない。こそこそ会って、いつばれるかビクビクしながら続けてるこの関係が、虚しくて仕方ないんだよ」

「……………」


何も言えなかった。

元凶であるはずの自分がかけてあげられる言葉なんてあるはずもない。


だが、そこで遠くから声が響いた。


「いたぞ!祐様だ!」

「一緒にいるガキは誰だ?捕まえろ!」


そんな声が聞こえてくる。

その声に振り向くまでもなく、祐はそれが誰なのかが分かる。

水無月家に仕える人間だ。

いつの間にか休憩の時間を過ぎていたようで、ありがたい事にお迎えに来てくれたらしい。

きっと、必死で自分を探してくれたのだろう。


誠人はふぅ、と聞こえないほどに小さいため息をつき、立ち上がる。


「はは、あっさり見つかった。………………じゃあな、祐」


誠人はそんなことを笑顔で言って、走り去った。

いつも一緒に遊んだ後の、別れ際の笑顔。

いつもと変わらない笑顔。

彼のその表情から勘違いしそうになる。

まるで、ただ友達との一日が終わっただけのような。

当たり前のようにまた明日も誠人に会えるような、そんな気がしてしまう。

だが、祐はもうここへ来させてはくれないだろう。必要な時以外は本家に軟禁され、今以上に自由な生活を奪われる。

それほどに、水無月家の次期当主候補が、何の名も持たない人間と個人的に接触することは、許されることではなかった。

とりあえず分かるのは、誠人とはもう、二度と会えない。

だから誠人のあの笑顔は、祐を、そして誠人自身を泣かせないための笑顔だ。


「あ、待っ……」


祐は追いかけようと立ち上がるが大人達に両腕を掴まれてしまう。


「祐様!あのようなガキと一緒にいてはなりません!」

「っ、はなせよ!」


僕は振り解こうと腕を振るうが大人の力にはまるで敵わない。

その大人達が必死に抵抗する僕を押さえながら、言う。


「あいつの出自と身分を調べろ。次見つけた時に拷問する。殺処分を隠蔽できるように、周りの人間関係も探れ」


そのあまりにも淡々とした声に祐はゾッと背筋を凍らせる。

冗談ではないだろう。こいつらは本当にそれをやる。

この世界の霊術を統べる権門勢家けんもんせいかは一種の宗教団体のようなもので、自分が高貴である誇りや思想があるゆえに権力を振りかざす独裁国家状態だった。


そしてその大人達の声は誠人にも聞こえているだろう。それでもやはり彼は背を向けて走ることしかできない。そしてその背中は、とても悲しく見えて。


「…………っ!」


だからなのか胸が熱くなった祐はその背に向かって叫んでいた。


「俺が変えてやるよ、この世界を!」


素性がばれてしまうため、誠人の名前を呼ぶことはできない。

だが誠人は自分の声に一瞬、反応したように見えた。


「いつか、強くなって、誰にも負けないくらい強くなって!お前と一緒にいても誰も文句を言えない世界に変えてやる!だから………」

「ゆ、祐様!なにを……」


が、遮って言う。


「だから、それまで待ってろ!」


はぁ、はぁ、と喉がちぎれんばかりの叫びに、汗か涙かも分からない水滴が、祐を頬を伝う。

その声は届いたか否か、彼の姿はもう点になるほど離れてしまっていた。

大声を上げて力の抜けた祐を、大人達が連れて行く。

だが、その瞬間。


「祐!」


遠くから呼応した声に、祐は顔を上げる。

彼はきっと、笑っている。

祐はそう思った。

それはきっと、去り際のような哀しい笑顔ではなく、屈託のない明るい笑顔。

そんな笑顔が、彼の声色から想像できてしまう。


そして、


「待ってるよ!」


その声に祐もまた笑う。笑って、誠人に向かって手を伸ばし、何かを掴むように拳を握る。











………………………………。


だが今思えば、その手は一体、何を掴もうとしていたのだろう。



願いか。

希望か。

それとも、これから僕らが生きていく幸せな未来か…………………














それから、三年。

僕らが再び出会った頃には…………















『水無月家』はこの世界から消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る