第17話 デート日和の土曜日【2】

 締め切られた部屋。言うなれば密室。モニターから流れてくる音が、今日はやけに大きく聴こえて仕方がない。僕達は今、カラオケ屋の個室の中にいるのだ。


「ねえ、心野さん。何か歌わないの? せっかくカラオケに来たんだから歌わないともったいないと思うんだけど」


「そ、そうなんですけど、さっき但木くんから防犯カメラのことを聞いてから、なんか意識しちゃって……」


 うん、一体何を意識してるのか訊きたくて仕方がないんですけど。


 でも今はそういうタイミングじゃないかな。心野さん、だいぶ緊張しているみたいだし。その面持ちのまま、ガッチガチに固まってしまっている。うーん、どうするべきなのかな。というか、そんなに意識しなくても。個室にはソファーがふたつあるのだけれど、心野さんは僕からめっちゃ離れて座っているし。


 うーん、防犯カメラのことは言わなければ良かったかもしれない。


「た、但木くんは何か歌わないんですか?」


「そうだね、何か歌わなきゃね。でもさ、僕ってあんまり歌に自信がなくて。はっきり言ってド下手なんだよ。たぶん聴いたら笑っちゃうと思うよ? ちなみに心野さんは普段、いつもどんな歌を聴いたり歌ったりするの?」


「私ですか? うーんと、童謡が多いですかね。最近の歌ってあんまり知らなくて」


 童謡ときましたか、それはぜひ聴いてみたい。だけど今は歌える状態ではないよなあ。とにかく先に緊張をほぐしてあげないと。ん? 何か忘れているような。


「あ! すっかり忘れてた。心野さん、一緒にドリンク取りに行こうよ」


「え? ドリンクですか?」


「そうそう、ドリンクバーだね。この前、一緒に行ったファミレスみたいな感じでここも飲み放題なんだ。歌うと喉も乾いちゃうしね」


「え? え? カラオケ屋さんなのにドリンクバーがあるんですか? それってやっぱり別料金ですよね?」


「ううん、ちゃんと料金に含まれてるよ。だから安心して。しかも結構、種類が豊富でさ。アイスクリームもあったりするんだ」


「あ、アイスですか!!」


 あれ? なんか一気に心野さんのテンションが上った。顔を隠しているから表情こそ見ることができないとはいえ、僕はもうすっかり心野さんマスターだから分かるんだよね。雰囲気だけで。只今、心野さんのテンション上がりまくり中。


「行きましょう! アイス! 早くアイス食べたいです!!」


 *   *   *


「ここがドリンクバーのコーナーなんですね。この前のファミレスでも思ったんですけど、これでお店の利益になるんでしょうか? 価格破壊と言いますか」


 僕が『アイス』という単語を発してから、先程まで緊張で雁字搦めになっていた心野さんと同一人物とは思えない程に積極的になってしまった。もう待ち切れないとばかりに僕の袖口を掴み、そしてそのまま引っ張って勢いよく個室から飛び出した。


 しかしなるほど。心野さんにとって『アイス』という単語は魔法の言葉だったわけか。早く教えてあげればよかったよ。


「心配しなくても大丈夫だよ、お店の利益にはなるんだ。ドリンクの原価ってめちゃくちゃ安くてさ。アイスはちょっと分からないけど。って、え!? 心野さん!?」


 僕がコーラをコップに注いでいる内に、心野さんが夢中になってアイスを盛り付けていた。超山盛りで。しかも三カップ分も。


「はい、どうしましたか?」


「いやいや、それは僕が言うべきセリフであってね。もしかしてそれ、全部心野さんが食べるの? それとも僕の分も一緒に用意してくれたの?」


「はい! もちろん全部私の分です!」


 胸を張って堂々と宣言してるけど、ええ……。いや、それはさすがにビックリなんですけど。女子は甘いものには目がないとは聞いていたけれど、まさかここまでとは。それとも心野さんが単にアイス大好き女子なだけ?


「そのアイス全部食べて、お腹壊さない? 大丈夫?」


「大丈夫です! 頑張ります!」


 アイスを食べるのに『頑張ります!』と言う人に出会ったの、初めてだよ。


「あ、すみません但木くん。そこのトレーを取ってもらっていいですか?」


「あ、そうだよね。それじゃ部屋まで持ちきれないよね。って、ちょっと心野さん!? どうして四つ目のアイスを盛り付けてるの!?」


「どうしてって、五つ盛り付けて部屋に持って帰ろうと思いまして」


「ストップ! ストーップ! と、とりあえずそこまでにしておこうか。なくなったらまた取りに戻ればいいしさ。今はやめておこうよ」


 僕が静止したことで、不満そうに、そして不服そうにして、心野さんは頬っぺたをプクリと膨らませた。ありゃりゃ、ちょっとご機嫌斜めになっちゃった。でも、さすがに冷たい物を食べすぎるとマズいから意地でも止めるけど。


「……分かりました。今は我慢することにしますね」


 その『今は』という言葉、絶対におかわりしようと思ってるでしょ? まさかアイスが『心野さんストッパー』をここまで外してしまうとは……。


 *   *   *


「んー! アイス美味しいです!」


 アイスを美味しそうに頬張りながら、心野さんは何度も何度も喜びを口にした。まずひとつ目のアイスはあっという間に完食。そしてふたつ目、三つ目もペロリと。僕達はカラオケ、つまりは歌いに来たはずでは……。


 そして、心野さんは最後の四つ目に手を伸ばそうとした。さすがに食べ過ぎだろうと思ったので仕方なしに、そして心を鬼にして、女の子が言われたくないであろうセリフを言い放つことにした。


「心野さん、それ以上食べると太るよ?」


「あ……」


 心野さんの動きがピタリと止まった。やっぱりこのセリフ、効果が凄まじいな。でも目の前にあるアイスがどうしても気になるようで、カップに手を伸ばそうとする。が、慌てて引っ込める。でもまた手を伸ばそうとする。そして引っ込める。


 心野さんVSアイスの魅力。火蓋は切られた。


 が、諦めたのか、心野さんはテーブルに突っ伏してダウン。あっという間の決着だった。タオルを投げる隙もない程に。いや、実際のところ、僕はタオルなんか持っていないけれど。例えるなら、という話。


「わ、私の負けです……」


 最後の力を絞り出すようにしての、心野さんの敗北宣言。loser、心野さん。winner、アイス。って、なんだこの戦い。


「……ん? あれ?」


 テーブルに突っ伏していた心野さんが、とことことこちらにやって来た。そして僕の隣に着席。さっきまで、あれだけ僕と距離を取って座っていたのに、何故?


「え? ……ええ!?」


 僕の隣に座るや否や、僕の右腕にしがみつき、密着。な、なんで? なんで急に? これって心野さんにとって鼻血を出すシチュエーションのはずなのに。なのにしがみついてピッタリと密着したまま動かない。


 しかも、僕の様子もおかしくなってきた。今までは心野さんといくらお喋りしても、何をしても、緊張なんてしなかった。でも、今はどうだ? 緊張を通り越し、今まで経験したことがない感覚を覚えた。


 僕の心臓が、激しく鼓動している。


 心野さんは黙ったまま、僕に密着したまま動かない。僕の頭の中はぐちゃぐちゃになり、状況を整理できない。女性恐怖症が発動してしまったのかと思ったけれど、それとはどうも違う。恐怖なんて一切感じない。むしろ、このままで、ずっとこのままでいたいと思えてしまう。


 生まれて初めての、感覚。


「――むすぎて」


 心野さんが僕に何かを伝えようと言葉を発したが、声が小さすぎて聞き取れなかった。無視をすることになってしまうので、申し訳なく思いながらも、僕は聞き直すため促すことにした。彼女の言葉にしっかりと耳を傾けながら。


「ごめんね、もう一度言ってもらえるかな?」


「あ、アイスの食べ過ぎで、さ、寒くて仕方がなくて……それで、但木くんに抱きついて温めてもらおうとして……」


 それが理由かい!! というか当たり前でしょ。あれだけ一気に冷たいアイスを食べまくったんだから。理由を聞いて一気に冷静になってしまったよ!


「心野さん、ちょっと待っててね! 今温かい飲み物取ってくるから!」


 僕はすぐさま部屋を出て、駆け足でドリンクバーに向かった。そこで念の為、三種類の温かい飲み物を取って部屋に戻る。


「心野さん! 温かいココアを持てきたよ! アイスの食べ過ぎで体が冷えちゃったんだよ。これ飲んで体を温めて!」


「うう……ごめんなさい」


 言って、心野さんはココアをゆっくりと飲み、そしてホッとしたのか「ふーっ」と息を吐いた。少しずつ落ち着いたみたいで、僕も一安心。


 うん、とりあえず後でお説教タイムだな、これは。


 だけど、違った。

 そうはならなかった。


「――こ、心野さん?」


 ココアを飲んで体も温まってきたのだろう。心野さんは少し落ち着きを取り戻したようだ。


 だけど、心野さんは先程よりも僕にピッタリとくっついてきた。密着。そして、僕に再び僕の右腕に抱きついてきた。


 さっきまでとは違う、『温かさ』を求めて。


「ど、どうしたの心野さん? やっぱりまだ寒い?」


「ううん、違います」


「だったらもう、僕にくっつく必要は……」


 心野さんはふるふると、かぶりを振った。


「あのですね、但木くんに抱きついてると、なんだかすごく落ち着くんです。すごく、温かい。……あ、迷惑だったら言ってください」


 僕の鼓動が、再び激しくなる。そして感じる、心野さんの温かさ。ぬくもり。そして、優しさ。こんなこと、女性恐怖症の僕は今まで経験したことがなかった。


 だから、返す言葉は決まっていた。


「迷惑なんかじゃないよ」


「ほ、本当ですか?」


「本当だよ。嘘なんてつく意味がないよ」


 僕の言葉を聞いて、心野さんは先程よりもギュッと力強く腕にしがみつく。


 二度と手放したくないという気持ちを込めながら。


「なんだろうね、僕も同じなんだ。心野さんに抱きついてもらっていると、温かくて、嬉しくて、それに安心できるんだ」


「――良かった」


 そう言って、心野さんは安堵するように、また息を吐いた。


 人は、変われる。苦手を克服できる。

 この歳になって、僕はそれをやっと理解することができた。


 変われるのは心野さんだけじゃない。


 その時はきっと、僕も一緒に――。

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