にゃんパト

祐里

僕のパトロール


 僕は人間から『猫』と呼ばれている。『猫』の他にも名前はいっぱいある。いろんなところで、いろんな人間が好きな名前で呼ぶから。片方の耳の先がちょっと切れていてそこだけ不格好なんだけど、体と顔には自信があるんだ。


 ちょっと涼しい朝が過ぎて日差しが強くなり始めてきた。今日も僕はいつものパトロールに出かける。そこらへんで子猫が困っていないか、たまにおいしい餌をくれる魚屋のじいちゃんは元気にしているか、公園で女の子が一人ぼっちで座っていないか、見に行かないといけないんだ。


「あのぅ、そこの黒猫さん」


「ん? 今、何か声が……」


「ここです、ここ。草の中」


 車がたくさん走る大きな道で、僕を呼ぶ声が聞こえてきた。地面に差された硬い棒の根本に申し訳程度に生えている雑草に近付いてみると、そこには一匹のカブトムシがいた。虫にしては大きな図体を、ひょろひょろと伸びているだけの草は隠しきれていない。特に、前に向かって立派に伸びているツノが目立っている。


「僕を呼んだのはきみかい?」


「はい。人間に捕まってしまったんです。どこかに連れていかれる途中で逃げたのですが、ここがどこだか全然わかりません。私は早く森に帰りたいのです……。手助けしていただけませんか」


 カブトムシは必死で訴えてくる。仕方ない、僕の力を貸してやることにしよう。


「じゃあ連れていってやるから、僕の背中に乗るといいよ」


「なんと、親切な猫さんだ。ではお言葉に甘えて……」


 僕はぺたりと座り込む。カブトムシは懸命に僕の体をよじ登り、とうとう背中まで行くことができた。


「今は飛べないのか?」


「ちょっと、弱っているので。あまり羽を動かしたくなくて」


「そうか、大変だな。さて、森へはどう行けば……」


「実は私にもわかりません。たぶん、あの白い雲の方だと思うのですが……」


 僕はカブトムシの言葉を信じ、晴れている空に一つだけぽっかり浮かんでいる雲の方向を目指して歩き始めた。


「あ、途中でちょっと魚屋の様子を見てもいいかい?」


「はい、人間に捕まらなければ。本当は大きな鳥も危険なのですが、猫さんの背中にいれば大丈夫でしょう。あとは人間に気をつけるだけです」


「わかった。ここらへんなら大丈夫だと思うけど、念のため僕が気をつけているから」


 僕たちは出会った場所から少し歩き、商店街で一軒だけの魚屋に到着した。


「今日もあのじいちゃんいるかな」


「あの奥にいる人間ですか?」


「ああ、奥にいたのか。大きい包丁持って元気そうだな。安心したよ」


 そんな話をカブトムシとしていると、「おお、クロじゃねえか」と、じいちゃんがこちらを見た。


「ん? おまえ、何か背中に動いてるのが……おっ、カブトムシ! 今日は友達連れか!」


「にゃあ」


 びっくり顔の大きな声に答える。まあ、じいちゃんの声が大きいのはいつものことなんだけど。


「一体どこで仲良くなったんだ? うちはカブトムシの餌は……ああ、いや、ちょっと待ってろ」


 じいちゃんは包丁を置いて隣の八百屋へと入っていった。そうして出てくると、何だか甘い匂いのする緑色の切れ端を僕に見せてきた。


「ほら、これ食え。お隣でもらってきてやったからよ」


 どうやらカブトムシに餌をくれるみたいだ。少し身を屈ませた僕の背中に、じいちゃんは緑色の何かを置いた。


「何だろう、これ。きみが食べられるもの?」


「わあ、これはすごい。甘くておいしいです」


 もう食べ始めたのか、なんて驚いているとじいちゃんは魚を小さく切って目の前に置いてくれた。僕にかかれば、こんなのぺろりだ。


「いい食べっぷりだったな。また来いよ」


 にこにこ顔に「にゃあ」と返事をして、僕はまた歩き始めた。満腹になったからちょっと体が重いけど、走る必要はないから気楽に歩いていればいい。


「ふむ……、こんなに人間が多いのに、私を捕まえるのはいないようですね」


「ああ、ここにはそういうのは少ないかもしれない。『やあ』なんて挨拶して通り過ぎる人間ばかりだから」


 そう、僕はここではちょっとだけ有名なんだ。「会うことができたらラッキーな黒猫」なんて言われたりもする。ここでの名前は、じいちゃんが呼んでいた『クロ』。


「あっ、クロちゃんだ!」


 商店街を抜けて公園に差し掛かったとき、声がかかった。そちらの方を向くと、紺色の服を着た女の子が笑顔になっている。


「わぁ、今日はカブトムシさんと一緒なの!? 塾に行く前にここに来てよかった!」


 女の子は大喜びでこちらに近付いてくる。同じ服装の人間はここらへんにいっぱいいるけれど、一番なでるのが上手なのはこの子だ。僕は尻尾をゆらゆらと振りながら少しずつ近付いていった。


「あはは、かわいいねー。はい、なでなで、なでなで」


 しゃがんで僕の頭や首をなでてくれる手がとても優しい。でもその動きはだんだん遅くなっていき、しまいには全く動かなくなってしまった。


「……あたしも、かわいくなりたいなぁ……」


「にゃ」


「かわいい女の子になれたら……友達できるかな……」


「……んなぁ」


 僕からすれば、この女の子は十分かわいい。だって、『かわいい』って思わずなでたくなるということじゃないか。この子はよくお父さんやお母さんと一緒に買い物に来るんだ。とても仲良さそうで、時々頭をなでられているのも見る。それって、僕と同じってことだろう?


「にゃ! にゃあー!」


 ちょっと叱って活を入れてやろう。さっき満腹になったから、声を出しやすいんだ。


「あっ、怒った……? ごめんね」


 女の子は謝りながら、また僕をなでる手を動かした。でも力がさっきより弱い気がする。


「にゃっ、にゃっ、にゃっ」


「……ん? なぁに? あ、そうだ、写真撮っておこうかな。ちょっと待ってね」


 そう言って取り出した板のようなものをカシャッ、カシャッと鳴らすと、女の子は「ありがとう」と言った。


「カブトムシ乗せたクロちゃんの写真、誰かに見せていいかな?」


「にゃあ」


「ふふ。ありがと」


 そうして女の子は立ち上がり、手を軽く振って歩いていってしまった。僕も早く森に行かないといけない。


「ごめん、寄り道して」


「いいえ、いいえ。黒猫さんが慕われているとわかって、何だかうれしい気持ちになりました。餌ももらえたのでいい旅になっています」


「そうか。ああ、そういえばこの公園の奥に山があるんだ。行ってみようか」


「はい」


 僕はカブトムシを乗せたまま公園を出て、山の方へと歩き出した。カブトムシは体をもぞもぞさせているようだ。


「もしかして羽を動かしてるの? 飛べそう?」


「はい。どうやらさっき餌をもらえたのがよかったみたいで、元気が出てきました」


「それはよかった。もう少し山に近付こうか?」


「そうしていただけると助かります」


 僕はそのまま歩いて、坂道を上っていく。人間の中にはひどいのもいるけれど、ここらへんに住むのは僕に関心がないか、僕に優しくしてくれるのばかりだ。だから僕はここで、まあまあ安全に暮らせている。


「……ここらへん?」


 人間が踏み固めた硬い道が途切れて木がたくさん茂るところまで来た。


「おお、ここらへんかもしれません。懐かしい匂いがします」


 そう言うとカブトムシは羽を広げて飛び立った。青い空と、ぴかぴかに光る羽がまぶしい。


「懐かしい匂い、それならきっとここだね」


「はい、ありがとうございます。お礼に何か……」


 カブトムシは一番近い木に止まった。やっぱり道端の草の中なんかより、木の幹の方が断然似合っている。


「お礼なんていらないよ。ちょっと遠いけど、また遊びに来るから」


「本当ですか、では寒くなる前に来てください」


「うん、わかった。じゃあ、元気でね」


 カブトムシがいなくなった背中が少し寂しいけれど、僕にはまた友達ができた。


「はい、黒猫さんもお元気で」


 尻尾を揺らして挨拶すると、僕は来た道を引き返す。そうだ、これから一丁目のばあちゃんの様子も見に行こう。この間ちょっと元気がなかったみたいだから。


 僕のパトロールは、こんなふうに毎日続けられている。もし僕に会ったらゆっくりと頭や首をなでてほしい。あ、おなかと尻尾はだめだからな。背中なら許すけど。


 落ち込んでいるときも、僕をなでていたら元気が出てくると思うから。もし会ったらよろしくな。

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にゃんパト 祐里 @yukie_miumiu

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