第8話
あくる日、理斗はいつもより遅い時間に目を覚ました。
いつもは朝食や夕食の仕込みのために早朝に起きている。
昨日の今日で気が緩んだのかもしれない。
あれだけ雨に降られたのに、体調には何の問題もなかった。
朝食の席でも遠伊に心配されたけれど、理斗の体は案外丈夫らしい。
そして朝食が終わったあとで通された部屋。
洋間のそこで、理斗は遠伊から服を渡された。
ネイビーのカッチリした上着にえんじ色のネクタイ。
妖子学園の制服だ。
「これ」
不思議そうにパチパチと何度かまばたきしても、目の前のものは変わらない。
まごうことなき制服。
「今日からでも通う事は出来るけれど、ゆっくりしたければしばらく行かなくてもいい」
「え!昨日の今日なのに行けるって早すぎない?」
「手続きは終わっている」
吃驚だ。
迅速すぎる。
どうすると言われて、理斗は一瞬考えて行くと口にした。
休んでも何をしていいかわからない。
だったら学校に行けるならそっちの方がいいと思った。
「叔父さんたちに了承貰えたの?」
十八になっているとはいえ、学生の身だ。
理斗の決定権は叔父にあるはずだ。
「詮無く。心配しなくていい」
「そうなのか?」
「うん」
ならいいのだろうか。
色々と不安が残るけれど、学校に行くならと用意周到に準備された制服に着替えた。
サイズがピッタリで疑問しかないけれど、なんとか納得して遠伊と二人で妖子学園へと向かった。
大きな門の前に車を横づけにされて降りると、視線が一気に集まった。
車で登校する者は多いようだけれど、歩きの生徒も送迎の生徒も視線は遠伊に集中している。
職員室へと言われてあとをついて行ったけれど、そのあいだの視線の集中に隠れたくなった。
当事者の遠伊はまったく気にせず歩いている。
衆目をあつめているのに慣れているのだろうなとぼんやり思っていたら、広い廊下の先。
職員室の扉の前に圭介が立っていた。
その恰好は当たり前だけれど妖子学園の制服だ。
ひらりと手を振られて小さく手を上げてこたえる。
「おはようございます」
ピシリと圭介が遠伊に頭を下げると、職員室の扉を開けた。
「お待ちしておりました」
扉が開くと、痩身の男がペコペコと頭を下げながら待っていた。
スーツを着ていることから教師というより校長とか教頭なんかの地位らしかった。
「理斗は私の花嫁だ。不便がないように」
「はい、それはもう」
こめつきバッタのように何度も頭を下げる男にひとつ頷くと、遠伊はさらりと一度理斗の髪を撫でた。
「じゃあ私は行くから」
「う、うん」
髪を撫でる手が優しくて、思わずどもってしまう。
「圭介」
「おまかせください」
遠伊が名前を呼んだことに圭介が頭を下げる。
それを見てから遠伊はその場をあとにした。
男がほっとしたように息を吐く。
「遠伊様のところに住むんだって?よかったよかった」
屈託なく圭介が笑う。
「そうだけど、保護だよ。ただの保護」
「保護ねえ」
意味深げに瞳がしなる。
なんだかいたたまれなくて、担任を紹介すると言った男の方へと意識を向けた。
担任と教室に行き自己紹介をすると、やけにクラスメイトがひそひそと小声で騒めいていた。
外見から人間の生徒ではなくあやかしの生徒を中心にして、じろじろとした眼差しを向けられている。
何だか居心地が悪い。
けれど、クラスメイトの中で小さく手を振る春の姿を見つけて、ほっとした。
同じクラスなのは嬉しい。
そのあと昼休みになって春は声をかけてきた。
「理斗、あの家出たんだな。安心したよ」
「ああうん……実は保護してもらって」
「保護?」
何故か訝し気な顔をされた。
春が圭介に目をやると肩をすくめている。
「まあいいや、昼は?」
すっかり頭から抜けていた。
お金は持っていないし昼食はいつも食べないから、食べないという選択肢しかない。
「理斗と俺の分、弁当準備してもらってるよ」
「そうなのか?」
驚いて問いかけると、圭介に頷かれた。
「俺も弁当。中庭にでも行くか」
春に促されて、三人で中庭に向かいそれぞれ弁当を広げた。
「ケイは、理斗の護衛?」
ケイと呼んでくれと言われた春が遠慮なく名前を呼ぶ。
圭介はもぐもぐと口の中のものを咀嚼しながら頷いた。
リスのようだ。
「メインは護衛だな。花嫁は危険だから、なるべく一人にはしたくない」
花嫁と言われて、胸の中に微量にモヤが広がった。
「春は?春も花嫁なんだろ?」
春に顔を向けると、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「花嫁じゃない」
「蛇河原の跡取りの花嫁でしょ」
圭介があっさり言うと、春がますます顔を顰めた。
とても不本意らしい。
「何か守りになるもの持ってるんじゃない?結構な力感じるし」
「……あいつの鱗っていうの持たされてる。肌身離さず持ち歩けって」
それが守りになってるのかと理斗は関心した。
「いや、そもそもあいつとは冬にたまたま知り合っただけで、ただの友達だよ」
「そうなのか?恋人みたいな扱いしてたからてっきり」
「ちが、違うよ」
春は真っ赤になって否定した。
あまり突っ込まない方がいい話題らしい。
けれど圭介がおかしげに笑った。
「花嫁は逃げられないよ。それに蛇は束縛と嫉妬が激しい」
「ああ……」
心当たりがあるのか、春が遠い目になった。
そんな顔になるほど何かあったのかと問いたくなる。
「遠伊様もだよ。過保護で独占欲が強い」
「そんなふうには見えないけど……」
キョトリと理斗はまばたいた。
優しいとは思うし、甘やかされているとは思うけれど。
「警護に選んだのが俺だからね」
「ケイが選ばれたことに、何か意味あるのか?」
「俺、遠伊様の姉君の鈴花(すずはな)様の婚約者だからさ。ラブラブだから絶対安全ってわけ」
婚約者と仲がいい事と理斗の側にいることに何の関係があるのか不思議だったけれど、それより気になる単語が飛び出した。
(お姉さん、いるんだ)
よく考えれば、まだ出会ってそんなに経っていない。
ついでに遠伊は無口な男なので、そんなにポンポンと自分の事を話したりはしない。
(俺、遠伊のこと何もしらないんだな)
ぽんやりお弁当を見下ろす。
胸のモヤが広がった気がした。
足音が近づいてくることに気付いて顔を上げると、そこには輝子が立っていた。
その眉はキリキリと上がっている。
「あんた昨日帰ってこないと思ったら、何でここにいるのよ!」
遠目に理斗を見つけてやってきたらしい。
どこからどう見ても不機嫌な雰囲気だけれど、理斗の前ではいつもこうだった。
どう答えたらいいだろうと逡巡していると、圭介がスラリと立ち上がった。
輝子が「何よ」と一瞬ひるむ。
圭介があやかしだとわかるからだろう。
「理斗は弧塚屋遠伊様の花嫁だ。この学園にいるなら意味はわかるでしょ」
圭介が挑発的に笑って見せると、輝子は一瞬ぽかんと口を開いたあと思い切り顔を顰めた。
「嘘よ!」
「嘘じゃないんだな、これが」
圭介が肩をすくめると、ギッと激しい目つきで輝子は理斗を睨みつけた。
「あんた!」
輝子が鬼の形相で一歩踏み出した瞬間、ボッとその足元から火が上がった。
「え!」
「きゃあ!」
理斗の驚いた声と輝子の悲鳴が同時に上がる。
「ほら行きな、バイバイ」
圭介がおざなりに手を振ると火の勢いが強くなる。
輝子は引きつった顔で悲鳴を上げながら逃げ去っていった。
「お、おい!」
焦って圭介を見やると、すぐに火が消えた。
まるで何もなかったように、どこも焦げていない。
「偽火だよ、幻。ちょっと驚かせただけ」
圭介が悪びれなく笑う。
「明日からはもう関わってこないよ」
圭介は何故か断言した。
火を怖がるからという理由だろうかと理斗は不思議そうに首を捻った。
結局放課後になるまで、そのあとは平和だった。
やたら見られる以外は。
そして放課後は遠伊の元へ顔を見せることになった。
夕食を外でと誘われたのだ。
バイトも家事もする必要がなくなってしまって、どうしようと思っていたので少し助かった。
勉強はなんとか自分で必死にやっていたおかげか、ハルの協力で何とかなりそうだったので焦る必要もそんなにない。
会社の入口に入ると、何故か視線が集まった。
ヒソヒソと聞こえる声は「あれが?」「嘘でしょ」といったもので、声音的に好意的な感じではない。
居心地悪く、入り口で待っていてくれた忍に案内されてエレベーターに乗った。
エレベーターを降りたところで忍が呼び止められたけれど、あとは道がわかるからと理斗一人で社長室へとやってきた。
ノックをすると応えが返ってきたので扉を開けて、理斗は固まってしまった。
室内にいたのは遠伊だけではなかった。
二十歳を過ぎたくらいの外見の女性がいたのだ。
しかも遠伊の腕に触れている。
どう反応したらいいのかと固まっていると、遠伊がすぐに手を振り払った。
女性がおもしろくなさそうに眉を寄せる。
真っ直ぐな腰までの金色の髪と独特の雰囲気にあやかしだとすぐにわかる。
大きな目はたれ気味で、庇護欲をそそる感じの可愛らしさだ。
けれど口元にあるほくろが色気を漂わせていた。
女は理斗を眼中に入れないことにしたのか、視線を無視して遠伊を見つめた。
「ぜひこのあとお食事に行きませんか?」
声音は、ひどく甘い。
「断る」
ぴしゃりと遠伊が端的に断った。
容赦のない声音などはじめて聞いた。
これは出直した方がいいのではと思っていると、遠伊が理斗へ小さく微笑みかけた。
「待ってた」
白皙の美貌が花開くような美しさだ。
その顔を視界に入れた瞬間、女は息を飲んだ。
そして口をきゅっと引き締める。
「今日は失礼します」
言うなり扉の方へと歩いて来る。
反応した方がいいのかわからなくて立ち尽くしている、チラリと一瞬ひどく冷めた眼差しを向けられた。
背後で扉が閉まり、知らず詰めていた息を吐き出す。
「もうすぐ終わる」
「あ、うん、宿題してる」
こくんと頷いておずおずと理斗がソファーに座ると、遠伊も仕事を再開させた。
宿題を広げて問題を解きながら、そっと遠伊を伺う。
黙っていると血が通っていないように見える無表情さだなと思う。
そうしていると、白皙の美貌は近寄りがたい。
けれど美しいものは美しい。
こっそりと相手に悟られない状況であれば、いつまでも見ていられるなと思っていると目が合った。
思わずペンを取り落としてしまうと、遠伊が口元を綻ばせる。
慌ててペンを掴むと、さも宿題に集中しているように理斗は下を向いた。
心なしか耳が熱い気がする。
心臓がうるさい。
その理由を考えそうになって、無理矢理思考を止めた。
(霊力目当てなんだから、ほだされるな。いや、色々よくしてもらったけど!)
でもそれも強い力が欲しいからだしと思うと、以前のように心に染みが出来たような気がして理斗はそのあと宿題に集中できなかった。
そのあと仕事の終わった遠伊に、食事に行こうと差し出された手をとるか悩んで、取った。
どうしてか拒むことができなかった。
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