結婚間近の婚約者とともに、法皇に会いに行きます

uribou

第1話

 婚約者の第一王子シルヴェスター様と、王都中央広場を行きます。

 二人きりのデートみたいなものですね。

 明後日の式典に備えて現在中央広場は、一般市民の立ち入りが禁止されていますから。


 シルヴェスター様ですか?

 子供の頃はやんちゃでしたけれど、近年では指導力と決断力を備えた、将来の王に相応しい方だなあと考えております。

 こんな凛々しい方がわたくしの婚約者だなんて、とても恵まれています。


 いけません。

 わたくしがこんなことを考えているなんてシルヴェスター様に知られたら、きっといい気になりますわ。

 表情を引き締めないと。


 話題に出したのは法皇グラチウス猊下のことでした。


「グラチウス? その名は聞きたくない」

「まあ、聞きたくないと仰いましても」

「ちょっとイタズラしただけで、鬼みたいな顔で追いかけてくるのだ。何度尻を叩かれたか、思い出せないくらいだ」


 第一王子シルヴェスター様が本気で顔を顰めています。

 思わず笑ってしまいますね。

 聖国教会グラチウス大司教、今はもう法皇になられたのでした。

 シルヴェスター様にとってはいい思い出がないようです。

 グラチウス猊下は大変いい方でしたよ。


「ナタリアはどうなのだ? グラチウスに泣かされたことはなかったか?」

「わたくしはなかったですね」

「ふん、グラチウスは令嬢に甘いのだ」


 シルヴェスター様が拗ねたように仰います。

 グラチウス大司教は名物大司教でしたからね。

 優しくパワフルで正義漢で。

 上に媚びへつらうことなく、下に威張り散らすこともなく。

 身分の貴賤に関係なしに、皆がその名をよく知っています。


「大体やつみたいな大男が丸太みたいな腕で叩くのだぞ? 尻が変形してしまうわ。幼児虐待だと思わぬか?」

「何をしてグラチウス猊下の逆鱗に触れたのです?」

「……スカート捲りだ。修道女の」

「叱られて当然ですよ」


 もう、シルヴェスター様は何をしていらしたのですか。

 そんな子犬がビックリしたような目をしたってダメなんですからね?


 将来の王たるシルヴェスター様に不愉快な思いをさせられたからって、修道女が怒るわけにはいかないです。

 でもいかに幼少期のことでも、紳士らしくない振る舞いはわたくしだって許せません。

 グラチウス猊下の尻叩きがあったからこそ、シルヴェスター様は許されたのですよ?

 猊下がそこで怒ってみせなければ、シルヴェスター様にはいつまで経っても変態王子の異名がついて回ったと思います。

 笑い話ですんでいるのはグラチウス猊下のおかげです。


「ナタリアは何かグラチウスに思い出があるか?」

「ある、といえばありますね」

「興味があるな」

「大したことではないのですけれども……」


 話しておきましょう。

 シルヴェスター様にも大いに関係のあることです。


 わたくしはエイクハンセン侯爵家という、力ある貴族の家に生まれ。

 シルヴェスター様と同い年であることから、早くからその婚約者候補最右翼と言われていました。

 でも嫌だったのです。


「えっ? オレとの婚約が嫌だったのか? 何故?」

「当時は、ですよ。今はシルヴェスター様の婚約者という立場は光栄です」

「幼い令嬢にとって、王子の婚約者は憧れなのだと思っていたからな。少々意外に思える」

「周りの大人が皆思惑絡みで見てくるんですよ? 子供でもそういうのわかるんです。高位貴族の令嬢方には露骨にライバル視されますし。人間不信一歩手前でした」


 おまけにシルヴェスター様もイタズラ小僧として知られていましたし。

 全然いいことなんてないのではないかと、絶望的な思いでした。

 思い余ってグラチウス猊下に相談したんです。


 猊下は頷きながら、優しく諭してくださいました。


『人間は試練に晒されるものじゃ。しかし神は試練に負けることなど、望んでおらんのだぞ?』

『でもわたくしは……負けそうなの』

『よく考えてごらん。ナタリア嬢がエイクハンセン侯爵家に生まれたのは偶然ではないのじゃ』


 偶然ではない?

 どういう意味だろう?

 ゆっくり言葉の意味を噛みしめ、反芻しました。


 そこで初めて気付きました。

 侯爵家の娘って、強い立場だなと。

 お父様もお母様も使用人一同も優しいし。

 よく考えれば味方も多かったです。


 敵に思えた人だって、いつまでも敵とは限らないですよね?

 グラチウス猊下と話して、視界が広がったような気がしたのです。

 わたくしにはできることが多いのだと。


『あのくそ坊主がナタリア嬢の心配の元になっているのはよろしくないの。性根を叩き直してくれよう』


 そんなことも言っていましたね。

 わたくしの人生を変えてくれたグラチウス猊下には感謝しかないのです。


 シルヴェスター様がため息を吐きます。


「性根を叩き直すって。オレの尻に刻まれたトラウマがナタリアのせいだったとは」

「あら、わたくしのせいばかりにされては困ってしまいますわ」


 アハハウフフと笑い合います。

 シルヴェスター様との婚約が成立したのは、互いに一〇歳の時。

 グラチウス猊下に相談したすぐ後でした。


 視野を広げてみると、シルヴェスター様のいいところもどんどん見えてくるようになりました。

 シルヴェスター様とは徐々に親交を深め、今では互いに信頼し合えている間柄だと思います。


 明後日、わたくし達は結婚します。

 同時にシルヴェスター様は立太子されます。

 ワクマーフ王国の新しい一ページと見る人もいるでしょう。

 わたくし達は正しい選択を行い、国民を導かねばなりません。


 そう、皆に愛されたグラチウス猊下のように。


「シルヴェスター様は賛成の投票をされたのですよね」

「……ああ」


 微妙な表情のシルヴェスター様。

 満票でしたから確認するまでもなかったのですけれども。


「オレが喜んでグラチウスに賛成したと思われるのは迷惑だぞ? 尻の恨みは決して忘れないんだからな!」

「はいはい」

「まあしかし、ここは賛成しておくのが公平な視点というものだ。オレはわからず屋ではないからな」

「はいはい」


 何の投票かというと、法皇認定の投票です。

 聖国教会では教会のトップである大司教が逝去した後、法皇認定の投票を行います。

 法皇とは生前偉大な大司教であった者に対する、追贈称号なのです。


 投票権は全ての領主貴族の当主と国王夫妻と王位継承権保持者、聖国教会の幹部、特定団体の長にあります。

 有効得票数の三分の二を得られれば法皇と認められます。

 でも満票で法皇号を追贈されたのは、史上グラチウス猊下が初めてだそうです。

 いかにグラチウス猊下が愛され、信頼され、その死を惜しまれたかが、今更ながら偲ばれますね。


「ここか」


 中央広場の片隅にある、グラチウス猊下のお墓に到着しました。

 油断していると見逃がしてしまいそうな、こじんまりとしたお墓です。

 今はたくさんの花やお供え物があるため、間違いようがないのですが。


「ナタリアは酒を持ってきたのか」

「グラチウス猊下はお酒を大変好んでおられましたから」

「ふん、生臭坊主が」

「シルヴェスター様は何を持っていらしたのですか?」

「帽子だ」


 それは見事な僧帽でした。

 史上最高の法皇に相応しいものです。

 シルヴェスター様のグラチウス猊下に対する心情の深さが込められています。


「グラチウスのハゲ頭のてかりだけは評価せざるを得なかった。唯一のチャームポイントを、この帽子で消してやるのだ」

「かなり苦しい言い訳ですよ?」

「ふん。……やつはオレの頭に太子冠を被せるという、約束を破った。これは罰だ」


 シルヴェスター様は素直じゃないんですから。

 ちょっと涙がにじんでいますよ。

 お墓の前で黙祷します。


 シルヴェスター様とわたくしは、とても良好な関係を保っています。

 これもグラチウス猊下のおかげです。

 ともにワクマーフ王国を背負っていくことを誓います。

 天国で見守っていてくださいね。

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