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〈死者をどう弔うかということにも、人それぞれのやり方があるということです〉開催委員長の橋本和孝さんは開会の辞でそう述べた◆新宿から高田馬場までを往復するゲイパレードは、例年よりも参加者は少なかったと発表されているが、初めて沿道に立った私は、その迫力に圧倒されてしまった◆おそらくそれは、パレードが初めて「外」に開かれたからでもあるだろう◆皆が思い思いの服装をし、化粧をして、レインボーカラーの旗を掲げながら行進する。その表情は皆楽しそうに笑っているが、しかしどこか決意を感じさせるものだった◆「同性婚」に反対するデモに巻き込まれた都内の大学生が、十八日、息を引き取った。それを受けての委員長の言葉と同性愛者達の姿は我々の日頃信じている「正しい」あり方について、改めて考えさせるものだ◆〈私たちに本当に必要なことは、ただ議論をすることなのです〉。そう、私たちは「正しい」ことは何なのか、今こそ議論をしなければならない。
——四月十三日 ××新聞 社説
*
——一部報道で彼の名前が出たことに、私は強い抗議をしたいと思っています。
テレビではゲイ・パレードの様子が報道され、それに伴ってデモの話も改めて取り上げられていた。携帯電話で撮影された荒い画質の、彼が暴行にあう瞬間の動画が、繰り返し再生されている。「視聴者提供」というテロップが表示されていた。
デモについて意見を求められた黒木は、決然とした口調でこう告げた。
——少なくともこういった同性愛者の報道については、個人情報の取り扱いは慎重であるべきです。当人がカミングアウトしているか分からない状態で、報道でその事実を周囲に知らしめてしまうことは、やはり問題なのでは無いでしょうか。一部では加害者は少年だからという理由で名前を伏せられているにも関わらず、被害者の名前は堂々と報じられていて、私は強い違和感と不快感を覚えました。
司会者が訊ねる。
——しかし、同性愛者が「一般市民」として認められるということが、平等に取り扱われるという意味だとするならば、当然の流れなのではないですか?
すっかり黒木をテレビで見ることに慣れてしまったと光は思った。バーの事務所で夕飯代わりのコンビニ弁当を食べながら、設置された小さなテレビを光は見ていた。付け合わせにかったサラダスパゲッティに和風ドレッシングをかけていると、店長が光を呼び出した。
「なんですか?」
光はドレッシングのはねた掌をエプロンで拭いながら店長に聞いた。店長はいつになく真剣な表情だった。
「まず言わなくちゃいけないことがある」
「はい」
「アキラが店を辞めたいと言ってきた。地元に戻らなければいけなくなったそうだ」
光はアキラの表情を思い出した。地元に戻るというのは、恐らく嘘だろうと光は思った。
「もう一つ」
「はい」
嫌な予感がした。店長の口がゆっくりと開いていくのが光に見えた。
「申し訳ないが、お前を店長にするという話は、今回は見送らせてほしい」
光は背筋におかしな力が入るのを感じた。喉が一度大きく動いた。
「そのために一つだけ確認したいことがある」
「はい」
自分がしっかり声を出せているだろうかと光は思った。何を言われるのかは想像できた。自分が店長になれないとしたら、恐らく理由は一つしか無い。
「お前は同性愛者なのか?」
光は何も言わず、じっと店長を見つめていた。店長は返事が返って来ないのを知ると、独り言のように話し始めた。
「お前が、その、露出の強い服を来て踊るような仕事をしている、という話を聞いた」
店長はまるで自分がそういう仕事をしているかのような恥じらいを顔に浮かべていた。
光は何も言わない。
「私は同性愛者を差別するつもりはないし、お前がとても仕事が良く出来て、人格的にもとても優れていることを知っている」
光はアキラが言ったのだろうか、と思った。振られた腹いせに、アキラが店長にそれを告げ口したのかもしれない。しかし、アキラの表情のことを思い返すと、その可能性は低いように感じた。
「だけれどそういった仕事をしているとなると、話は少し違う。今の世の中はあっという間にインターネットで色々な情報が飛び交ってしまう。恐らくそういったことは、尾鰭がついておもしろ可笑しく書かれてしまうだろうと私は思う」
光はパレードに来ていた多くの報道陣のことを思い出した。あれだけのカメラが、入れ替わりでずっと光のことを追っていた。沿道に来ていた普段とは比較にならない数の野次馬のことも思い出した。しかし、そんなことはもうどうでもいいことなのだ、と光は思った。
「そして今、この国は同性愛者をめぐって少し神経質な状態になっている」
光は黙って、店長を見つめ続けていた。
「だから私は、少しだけ様子を見たいと思っている。店長に関しては少しの間私が兼務しようと思う」
店長は脇に置かれたノートパソコンに一度視線を落とした。
「勿論店の普通の仕事は、今まで通りに続けてくれて構わない。多少それで何か言われたとしても、それは大した問題では無いからだ。ただ、店長クラスになると、そうは言っていられないということだけ、お前には理解してほしい。後の判断はお前に任せるしかない」
店長はしっかりと光の目を覗き込んだ。
「以上だ」
店長の口が閉店するシャッターのように降りていくのを見、光は一度礼をすると、食事に戻った。
光はフォークを持った手を止めて、しばらくじっとスパゲッティを見つめていた。テレビでは新しい携帯型端末のニュースが報道され、その発表に伴って株価がどれだけ変動したかのニュースが告げられている。光は機械的に手を動かすとそのスパゲッティを口に運んだ。ドレッシングが分離していて、油の味しかしなかったが、光は気にならなかった。
つまるところそれは、どちらか選べ、ということなのだと光は思った。光はプラスチックの容器の底に沈殿したドレッシングを、フォークの先でかき混ぜた。分離していた液体が混じり、とろりとフォークに絡み付いたが、それはすぐに再び分離してしまう。どちらかを選ぶしかない。
日本企業にも頑張ってほしいですね、とアナウンサーがコメントをしたとき、軽快な電子音が鳴り、画面の上部にニュース速報が割り込んだ。
*
NFNニュース速報
「同性婚」法、与野党大筋で合意 今国会内で可決へ
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真知子はその報道が出ると、両手で口の前を塞いだ。呻き声が漏れてきそうだったからだ。
そのとき真知子は、丁度部屋の掃除を終え、冷凍食品で簡単に夕食を作り、これから食べ始めようとしているところだった。テレビでは、芸人たちが大勢集まって騒ぐバラエティ番組の、太った女芸人がダイエットに挑戦するという企画を放送していた。
真知子は呆然とニュース速報を見つめていた。急に口のなかにある唐揚げが固くなったように感じた。真知子は意識的に歯に力を込め、鶏肉の繊維を叮嚀にすりつぶし、口の中で普段より多く咀嚼した。
芸人たちの大騒ぎと硬質なニュース速報の文章が、いかにも乖離しているように真知子には感じられた。
真知子の目の前には、大振りな唐揚げが五つ、ごろりと転がっていた。作りすぎてしまった、と真知子は思った。これからこれを独りで全て食べなくてはならない。真知子は急に胃がもたれてきたように感じた。
真知子はそのうちの一つにゆっくりと箸を伸ばすと、勢い良く手を振り上げて一直線に突き刺した。油が開いた穴から溢れ出した。
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