騒擾 2

「それじゃあ……また後で……ね」

「また後で……があればですけどね……」

 疲れ切った様子でそう言った愛里は、バタン、と勢いよくドアを閉めた。すぐに中から鍵の音がして、私は瑠偉と顔を見合せた。

「愛里……かなり参ってるね……」

「そうだね……私もだよ」

 私も自室へ引きこもって、ヒステリーのまま喚き散らしたい。だけど、綾香さんと大淀さんの敵討ちはしたい。あんな目に遭わされるようなことをしている人たちじゃない……。

 その大淀さんは雪に埋もれて死んでいた。素人の検死でも致命傷は背中の滅多刺しだとわかったし、そこから溢れ出した大量の血痕は雪の所為で見なくなっていた。京堂さんは血の流れ方からして、自室で背中かアキレス腱を刺されるか斬られるかした大淀さんはベランダから外へ逃げ、そのまま殺されたと推測していた。本当のことは何もわからないけど、殺人鬼の敵意は充分に感じたし、私たちよりも遅れて現場に駆けつけた瑠偉は嘔吐して、愛里はバルコニーで放心状態のまま座り込んでいた。

「車……どうして……」

 動かない大淀さんに屈み込んだ京堂さんは顔を真っ赤にさせたまま、もう何も見ることがない目を閉じてあげていた。それまで気丈だったけど限界なのか京堂さんは声をあげて大淀さんにすがりついた。その横に立っていた天龍さんは黙祷していた。

 苦しむ瑠偉を介抱しながらも、私は大淀さんの死をまざまざと見下ろしていた。

 炎への恐怖はあるけど、死への恐怖は不思議と感じなかった。十二歳の時も外出先で事故に巻き込まれたことがあった。あれは幸運がなければ家族そろって死んでいたほどだったけど、私自身は何も恐怖を感じなかった。それを知った妹は、炎への恐怖が圧倒しているから他のことへの恐怖が欠落しているんだと言っていた。

 大淀さんが殺されたことには憤りを感じるし、殺人鬼に報いを受けさせたい、という気持ちもある。だけど、大淀さんはもう二度と苦しむことがない、ある意味で現実から解放されたことに羨望みたいなものを向ける私がいる。

 その後、京堂さんと天龍さんが協力して遺体を運んだ。事態を知った螢さんの計らいで、遺体は医務室の空きベッドに安置された。

 そして私たちはサロンに集まった。

 部屋の隅にあった古いピアノを借り、私は弔歌として「月光」を奏でた。小さい頃から習っていたピアノにはそれなりに自信があり、月光は楽譜無しでも弾ける。少しして旋律は止まり、演奏に耳を傾けていた古林さんは、京堂さんを連れてサロンから出て行った。

 二人が出て行った後、桜小路さんがサロンに現れ、客室の変更を提案してくれた。私たちは変更を頼んだけど、愛里は客室棟に引きこもることを選択した。

「愛里、何かあったら叫んでよ?」

 瑠偉はそう言ったけど、中から返事も物音も聞こえてこない。

「行こう。今の愛里には届かないよ……」

 私は愛里が部屋から放り投げた二体の人形を手に取り、瑠偉を促して入り口に向かう。

「全員の部屋に人形があったけど……これが隠しカメラとか盗聴器じゃないよね」

「どうだろうね……盗聴器とかはどこまで小さいのかわからないし、隠しカメラの構造も種類も知らないから確かめようないしね」

 気になった私は手に持った人形を凝視してみたけど、そもそも材質すらわからない。だけど、綺麗なことは疑いようがない――と見つめた時、純白のドレスを纏っている人形の右頬が私みたいに汚れていたから、ハンカチで拭いてあげた。

「それじゃあ……閉めるね?」

 二体の人形を廊下のテーブルに置いて、私は墓場みたいな静寂に支配される客室棟から出、その両引き戸を借りた鍵で施錠した。

 私たちは客室棟を後にし、前当主の間の向かいにある別のドアを開けた。

 その先には座敷と縁側があり、客室棟に通じる渡り廊下と小さな日本庭園を臨む(今は雨戸で見えない)日本家屋がある。長い縁側の左側には座敷が三部屋あり、手前から京堂さん、仏間、天龍さんの自室になっている。襖はお互いのためにも全開になっていて、戻って来た私たちを見た天龍さんは自分の荷物を弄っていた手を止めた。

「お帰りなさい。愛里さんは……変わらないですか?」

「もう何を言っても駄目みたいですよ」

「トイレ以外で出て来ることはないと思います……」

「そうか……無理もないですかね」

 かぶりをふった天龍さんは、トイレに行くと言って私たちの横を抜けた。

 私たちは奥の階段で二階に上がる。一階と同じ構造だけど、違うのは縁側が無くて格子窓があるくらいだ。座敷は一階と同じで何故かここにも仏間があるんだけど、遺影なのかわからない肖像画が置かれている。部屋順は階段側から空き室、瑠偉、私だ。

「嫌だね……せっかくの旅行だったのに……」

 瑠偉の呟きには応えず、私は襖を開けて自室に入った。中の襖は仏間まで開け放しているから、二つの文机を私の部屋に運んで、荷物は仏間に積んである。

「夜はどうする? 襖は防犯に無力だけど……」

 確かに大淀さんの惨劇を思うと一人だけで眠ることは避けたい。怨んでいたかのような滅多刺しは私たち側に殺人鬼がいる、と思わせるけど、それは猟奇的な殺人鬼だってやることだ。家の人たちに狂人がいないとは限らない……奏さんとか。それでも、

「……大丈夫だとは思うよ。全員が固まれば……変な動きをすればすぐにわかると思う」

 後で京堂さんに提案しておこう。一階の仏間に集まれば迂闊な殺人は出来ないはずだ。

「ねぇ、もしも……外に犯人がいて、アタシたちの動きを見ているんだとして、怨みを持っている人だと括るなら……満と西条さんも容疑者だよね」

「うん……そういうことになるかな」

 確かに二人はこの旅行に参加していない。行き先も日程も知っているから、犯行は可能だ。だけど、この遭難は予定外だし、家の人に気付かれずに動くことは無理だ。外にいるなら雪を防げる装備をたくさん用意しないと無理なはず。

 それを瑠偉に伝えたけど、彼女はかぶりをふる。

「水掛け論だろうが、何だろうが……警戒していて損はないはずだよ」

「……そうだけど――」 

 瑠偉は自分のバッグからエアガンを取り出してガチャガチャと弄り出した――と同時に、その音に混じってドアの開閉音が聞こえた気がして、私は廊下へ視線を送った。すると、

「霧島様、島風様、昼食をご用意しました。居間へお越し下さい」

 古林さんが足音なしで部屋の前に来た。

「わかりました」

 そう返事をする前に古林さんは廊下を進んで一階に下りて行った。

 正直食欲はないけど、何かを入れなければ空腹は満たせない。

 時刻は十二時五分。

「行こうか……」

「うん、先に行ってて? 少しやることがあるから」

 頷いた瑠偉は廊下に出て居間へ向かった。ドアが閉まった音を確かめてから、自分のバッグを引き寄せた。廊下を背中にし、閉め切ったチャックを開けて、中をガサゴソと漁る。

 湿ったハンカチ越しに掴んだのは、血塗れたタロットカードだ。それは部屋を移動するために荷物をまとめていた時に見つけたもの。悪魔が中央に居座り、角をはやした裸体の男女が鎖に繋がれている、ウェイト版と呼ばれるタロットカードの悪魔だ。綾香さんのカードが何故自分のバッグに入っていたのかはわからないけど、悪魔の意味はわかる。

 悪魔の意味は、正位置で裏切りや誘惑になり、逆位置で覚醒や新たな出会いになる。

 私たちの中でタロットに心得があるのは綾香さんだけだ。そのカードに血が滲んでいるということは、おそらく綾香さんも生きてはいないかもしれない――。

「桜、飯の時間だとさ」

 突然、背後から足音なしの声がして、私は思わず飛び上がった。

「あっ……はい」

 声の主は廊下に立つ京堂さんで、その後ろを天龍さんが抜けて行った。私は咄嗟にカードを隠して立ち上がり、京堂さんと一緒に当主の間の廊下へ出た。そこにはもう天龍さんの姿が無く、私は先を歩く京堂さんの背中へ付いた。

「あの……綾香さんのことなんですけど……」

「ああ、客室を車たちと調べてたんだろう? 俺だって阿呆じゃない。綾香もきっと……」

「えっと……そうじゃなくて、ですね……」

「そんなことより、峠の人形たちのことをおぼえてるか?」

「えっ……?」

 京堂さんは不意に立ち止まると、ゆっくりと振り返り私を凝視した。元とはいえ恋人に関することを、そんなことより、なんて言うなんて……。

 堂さんのこれからが危ない……。

 大淀さんが言っていた言葉が脳裏をよぎる。それはどういう意味で言ったんだろう。自殺するのか……自暴自棄になるのか……それとも綾香さんを失ったことで発狂――。

「桜? どうした?」

「あっ……いえ、なんでも……」

「おぼえてるか? 綺麗だったこと、動いていたこと……」

 睨むように凝視され、私は視線から逃れるように目を伏せた。

「綺麗だったろう? あいつらは美しいまま……永遠に――」

「あれ? 二人とも……どしたの?」

 居間に通じるドアが開き、中から瑠偉が顔を出してくれた。そのタイミングの良さに心の中で感謝し、私は急いで居間に滑り込んだ。

「どうかした……?」

「大丈夫。ちょっと……ね。ありがとう……」

 京堂さんが狂った、とまでは言わないけど、ただ純粋にあの目が怖かった。綾香さんも大淀さんのことも忘れてしまったみたいな目が、タロットの悪魔を連想させた。

「おお、ご馳走だな。食べないと後悔するぞ?」

 何事もなかったみたいに私の横を抜けた京堂さんは、天井からの優しい照明に照らされた居間の中心にある四つの座卓と座椅子に近付いた。

 控えの間の上に位置するこの居間は全面畳敷きで、何が入っているのかわからない箪笥以外に将棋盤とか囲碁盤が置かれている。大きな床の間には茶色の皮鞘に納められた軍刀、深紅の和服を着た球体関節人形が正座している。

 そんな居間の座卓には味噌汁とかサラダとかが置かれているけど、先に座っていた天龍さんもあまり箸が進んでいないようだ。

「それじゃあ……いただきます」

 座椅子へ静かに腰を下ろした京堂さんは、今までで一番明るい調子で声をあげた。

 綾香さんの失踪から始まり、彼女を捜す為に奔走していた。あの時は家の人を疑い、恩知らずともとれる警戒心を抱いていた。それだのに、今は仲間を疑わなければいけない状況に変化してしまった。疑心暗鬼に囚われ、愛里の行動も影響しているのか、互いに牽制し合っているような雰囲気すらある。仲間を疑いたくない、綾香さんを襲う動機を持つ仲間はいない。そう言い合っていたことが、嘘のような現実が居間を包み込んでいた。

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