第11話

 その時点で、カルパたちは、モニュメントの横を通り過ぎようとしていた。


 フィトからの距離にして、わずか8メートルほどだった。


 2人の走るペースは、クエタに合わさざるを得ないため、あまりに遅かった。


「クエタ。ほらっ、もっと速く」


言いながらカルパがクエタの背中を押したが、速さはあまり変わらなかった。焼け石に水だ。これではすぐに大人たちに追いつかれてしまう。


 おかげで、包囲を抜けられても、大人たちは余裕の表情をしていた。士気が下がった様子はなく、酒屋を責める者もいなかった。


 そして、優位な立場から獲物をなぶるくらいの心持ちで、逃げる3人を追いかけ始めた。


 まず、目の前にいたのはフィトだった。


 目の前にいるのだから、捕まえようとするのは当然だった。


 1人目が飛びかかり、2人目が手を伸ばし…、避けた先で待ち受けたり、2人で挟み込んでみたり…。


 次こそ捕まえられると幾度となく試みたが、フィトは一向に捕まえられなかった。


 人は得てして、自分は他の人と違うと思うものだ。


 酒屋をはじめ、みんなが捕まえられなくても、自分ならできるかもと、誰もが大将首を狙った。


 結果、大人たちはフィトを巻き込んだ一つの集団になって、都度形を変えながらゆっくり移動していた。


「何をしているんだ、お前たち!フィトに構い過ぎるな!」


八百屋が、事態を重く見て一喝した。


 目標は、フィトだけではないのだ。


 見ればあとの2人との距離は、30メートルほどに開いていた。


「―前の2人を追え!1人たりとも逃がすな!」


 大人たちはハッとして、その大部分が、カルパたちを目がけて加速することとなった。


 そしてそれは、フィトからすれば、企てが失敗した瞬間でもあった。


 そもそもフィトが本気で逃げようとしていたなら、とっくに大人たちの手が届く範囲からは逃れていたはずだった。


 フィトがその場にいたのは、大人たちを引きつけてカルパたちを逃がすためだった。


 八百屋は早々にそれを見破ったわけだ。


 おかげであまり時間が稼げず、フィトも「あっ、マズい」と漏らしながら、他の大人たちと一緒に加速する羽目になった。


 さて、加速はしたものの、フィトにできることは、大人たちの前に回り込んで進行をわずかに遅らせるくらいだった。


 けれど相手の数は、カルパたちとの距離をみるみる縮めている人だけでも、7、8人といったところだった。


 それを1人で抑え込むのはまず不可能だった。


 かといって、暴力に訴えるのはフェアじゃない。


 フィトがそんなことを思いながら悪戦苦闘していると、カルパがその状況に気づいて、「来た!もっと急いで」とクエタをせかした。


 けれど、クエタの速度はまるで上がらなかった。


 その内に大人たちが近くまで迫ってきて、1人がカルパを捕まえようとした。


 しかし、それにはフィトも、クエタとパン屋のとき同様、押しのけることを躊躇しなかった。


 正当防衛…というつもりはなく、ただただ窮地に立たされた友達を捨て置くことができなかったのだ。


 このままフィトが抵抗し続ければ、いつか諦めてくれたりしないだろうか。


 カルパはふと、そんな淡い希望を抱いた。


 だが、押し寄せる大人たちの波に、そんなものは簡単にかき消されてしまった。


 フィトは襲いかかる相手を2人、3人と続けて押しのけていたが、その間隔がすでに、常人には対応できないものになっていた。


 押しのけた人もそれで退場するわけではなく、すぐに持ち直して、再度追いかけてきていた。


 さらに、後続の大人たちが合流するのも時間の問題だった。


 そんな中、前に回り込もうとする人もいて、どう考えても1人では対応しきれなかった。


 そもそも、フィト自身も捕縛対象なのだ。


 庇ってばかりもいられないし、すぐ後ろでは八百屋と警官の目が光っていた。


 カルパは、振り返ってその様子を確認すると、情けない声を出した。


「フィト、ごめん。これじゃあ無理だ!僕らを置いて、1人で逃げて!1人で逃げて、〈神格物〉を集めて!それさえあれば助かるんだから!」


 現時点でそれが、自由へ足がかりを残す唯一の可能性だった。


 にもかかわらず、フィトは1人で逃げることに激しく反対した。


「ダメだ!あとどれくらい一緒にいれるかわからないんだ!残りの時間は3人一緒にいなきゃ!」


そのフィトの信念には、母親と過ごした最期の影響が色濃く出ていた。


 カルパは、フィトが珍しく見せた感情的な思いにあてられて、口をつぐんだ。


 だが、それで足が速くなるわけでも、大人 たちを退ける力が出るわけでもなかった。


 窮地であることに変わりはなく、フィトもその認識は十分に持っていた。


 視界に入っている大人たちに、耳に入る多数の足音に、ただならぬ危機感を覚えていた。


 このままでは、全てを失ってしまう。そう思うと、フィトは思わず、祈るような気持ちで、全ての大人が無力化する "何か" を切望していた。

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