人間って

「コイツ教室で本ばっか読んでる! インキャだインキャ!」

「ごめん桃香ちゃん。私達、難しい本とか読まないし…」

「雁登さん。本を読むのはいいことだけど、たまには外で遊ばない? いいお天気だし、雁登さん以外はみんなグラウンドに行っちゃったよ?」


 しょうがないと思う。私が向こう側でも似たような事を言うだろうし。


 本そのものというより、歴史を知るのが好きだった。特に、伝記。


 1人の人間に焦点を当てて、出生から死までを描く。そこには色んな困難や挫折、そして勝利と栄光が溢れていた。


 人間って面白いなぁ、なんて当時のバカな私が思ってたかは分からない。歴史が面白いのは、選んだ資料によって視点が180度変わる所だと思う。


 昨日まで読んでいた本で英雄だった人間が、今日読んだ本では悪人になっている。逆も然り。


 何冊も何冊も読んでようやく、ほんの少しだけその人の生涯が分かる。それがパズルゲームみたいで楽しかった。のかもしれない。


 あの頃の私は全能だった。


 不可能なんてないし、無敵で、不死身だと思ってた。いつかこの世の全ては、自分のものになるんだとも思ってた。


 歴史に名を残した偉人の殆どは変人だ。人に蔑まれ、疎まれ、嫌われ、それでも自分を曲げずに努力と才能で何事かを成す。勿論、例外もいるけど。


 私は傲慢にも、自分もそんな人種の1人なんだと考えていた。


 だから人になにを言われてもへーきだった。友達がいなくても、先生に気にいられなくても、それは将来デカい事を成し遂げるために必要なことなのだと思っていた。


 いや、友達はいたか。本の中に。


 歴史に名を残した人々が私の友達で、先輩で、先生だった。絵に描いたようなインキャじゃん。


 小学4年にもなればお互いのキャラとか立ち位置とかが固まってくる。生粋の根暗だった私は『そういう人』認定をされて、その頃になれば誰からも声をかけられなくなった。


 雛は転校生だった。


 慣れない環境でも物怖じせず、最初から声も大きかった。頭の回転が早くて、先生の質問にも要領よく答えるようなタイプ。


 の割に真面目で、係や委員なんかもサボらない。ザ・ヨウキャ。


「なに読んでんの?」


 私が図書室で本を読んでいる時、アイツは声をかけてきた。


 無視してやった。だって私は『そういう人』だから。でも残念ながら雛は転校生で、うちの学校にある暗黙のルールを知らなかった。


「それ、面白い?」


 1分ぐらい私が黙ってても、アイツは立ち去ろうとしなかった。私は顔を上げて睨んだ。


(なんなんだコイツ)そう思ったのを今でも覚えている。


「歴史の本」私はようやく答えた。出来るだけ、ドスの効いた声で。


「歴史か」


 雛は納得したようにそう言うと去った。なんてことはなく、私の向かいに座った。


「私は絶滅動物の本。理科の時間で気になったんだ」


 本を開きながらアイツは言った。聞いてもいないのに。


「なぁ、絶滅動物って歴史?」


 黙って読めとか思いつつ、私は雛の問いに答えた。


「わかんない。でも絶滅動物のことを調べれば、人間の歴史も分かるかもね」

「なんで? なんで絶滅動物のことを調べれば人間のことが分かるの?」


「だって、その。動物が絶滅する理由の殆どは人間のせいでしょ? だったらその動物が滅んだ理由を知れば、その時の人間の生活とかも分かる。その時人間がどんな食べ物を求めてたのかとか、どんな毛皮が欲しかったとか、どこに住み始めたとかさ」


「すげぇ!!!」


 バカみたいに雛は叫んだ。図書室では静かにしろって書いてんのに。


「雁登って頭いいんだな!」

「別に、前に本で読んだ所を言っただけ」


「本に書いてあったことを覚えてるだけですげーじゃん。びっくした。私より頭いいヤツなんていたんだ」


 それが本心か冗談かは知らないけれど、私は雛の自惚れっぷりについ吹き出してしまった。


 今思えば、私と似たような人間に出会えた嬉しさもあったのかもしれない。絶対に本人には言わないけど。いや、書いたらバレるのか。


 こうして私達は友達になった。てことはなかった。


 雛は人気者でいつでも大勢の取り巻きがいた。私はその周縁も周縁で、この図書室での出来事以降、雛とは一言も話さなかった。


 中学生になった時、多少は知能指数の高くなった私はあることに気がついた。本に書いてあることだけが歴史じゃない、ということに。


 自分が生きている今この時間、それこそがいづれ歴史になることに気がついた。どんな生涯を送ろうとも、人は歴史を生きる。


 私がくだらないと思って避けていた全てのことこそ、歴史だとわかったのだ。


 私は本から顔を上げて、周りにある当たり前のことに目を向け始めた。奇しくも場所は中学校。中学校は、小学校以上に階級が重要視される場所である。


 学内ヒエラルキーの中で、私は自分が最下層にいることを理解した。それ自体は全然へーきだったけれど、私は面白そうなことを思いついた。


 これまでと逆のことをしよう。つまり、階層移動をしてやろうと思ったのだ。


 私は一旦本を閉じ、周囲をよく観察し始めた。


 人気者の言動や仕草、ファッションを研究し、不人気者とどこが違うのか対照実験を行った。


 私は分厚いメガネを外し、髪型をイジり、簡単な化粧を覚え、姿勢を良くした。言葉遣いに気をつけ、できるだけ笑顔でいるように努めた。


 軽挙妄動を控え、クラス全体の場を乱さないようにした。常に周囲の意見を予測し、それに合わせ、逸脱しないようにした。


 周りと話を合わせるため、それまで興味もなかったテレビを意識して見るようになった。くだらないものばかりだったけれど、これも歴史だと思うとまあ見れた。


 その結果、2学期から私は話し相手に不足しなくなった。教室を移動する時も、体育の時間も、昼休みも、下校時も、私の側には常に誰かがいた。


 親しいわけではなかったけれど、所謂高ヒエラルキーの連中とも軽口を叩き合えるぐらいの仲にはなれた。


 学校で本を読む時間は減ったけれど、悪い気はしなかった。自分が思っていた以上に、人と接することは楽しかった。


 小学生の頃はガン無視されてたのに、その後で5人の男子から告られたのも気分が良かった。悪いけど、全部断った。


 雛と再会したのは、中2の時。


 私は一緒の中学だということすら知らなかった。同じクラスになった時、私は自分の目を疑ったものだ。


 見る影もなかった。


 あれだけ元気で声が大きかったのに、今は椅子の上で縮こまり、暗くどんよりとした視線を机に落としてるだけ。


 先生に指名をされればオドオドと、自信なさげに一言二言答える。友達は1人もいないらしかった。


 正直言ってショックだった。


 記憶の中の雛は自信に満ち溢れていて、溌剌として、多少強引で、それこそ歴史に名を残すような人間の特性を持っていた。


 私は雛になにが起こったのかを調べた。なんのことはない。自信と、溌剌さと、強引さが周りに嫌われたのだ。


 小学校では許されていたものが、中学校では通じなかった。重度ではないけれど、雛はイジメられてもいた。


 『つまらない』と私は思った。だって雛の良さが全部否定されてたから。みんな見る目がない。


 けど同時にこうも思った。『どうして周りに合わせない?』って。私でも出来るのなら、頭の良い雛なら簡単だろうに。


 同じクラスにいながら、私は遠くから雛を観察し続けた。昼食も掃除も、周りにはたくさん人がいるのに、雛だけは1人だった。帰る時も1人。いつでも、どこでも、1人。


 私はそれを黙って見ていた。なんて声をかけたらいいか分からなかったから。


 すっかり変わった私に気づいてるのかないのか、毎日毎日、雛は必要最低限の人生を生きているように見えた。


 そんなある日の下校時間、帰る準備をしていると、近くにいたクラスメイト達がヒソヒソと何かを喋っていた。


「どうしたの? 恋バナ?」と私はすっかり板に付いた笑顔を見せてその輪に入った。


「違う違う。ヤバいよ、桃香ちゃん!」


 怖がっているような、でも楽しんでいるような顔つきでクラスメイトは言った。


「甘利さんがさ、先輩に呼び出されたんだって。ヤバいらしいよ、その先輩達」


 あの時、どうしてあんなに急いだのか分からない。歴史が見られると思ったんだろうか。とにかく、私はその呼び出し場所へと走った。


 近づいたら走るのをやめ、息を殺して物陰から様子を伺った。見物客は私1人だけらしかった。


 ちんまい雛1人に対し、相手は男が3人と、女が1人。


「マジで舐めんなよお前」その内の1人が言った。


「なになに、その態度? え? 死にたい?」


 雛は壁際に追い詰められていた。


 別の1人が力強く壁を片足で踏み込むと、雛はビクンと肩を震わせた。それを見て、お優しい先輩共はゲラゲラと笑った。


「二度とチクんじゃねーぞ。脅しじゃねえからな」


 雛が何をしたかは知らなかったけど、その場で取れる選択肢は少なそうに見えた。(とりあえず謝まれ、後でどうとでもなるじゃん)私はそう思っていた。


「い、嫌だ!」


 けれど雛はそう答えた。唇をガタガタ震わせながら。


「何度だって先生に言ってやる! 学校でタバコを吸うな! す、吸うなら外で吸えよ!」


「ダメだ。ちょっとボコるか」


 そう先輩の1人が言った時、私は咄嗟に辺りを見回した。


 近くに校舎の改修工事に使う資材置き場があった。私は立ち入り禁止のロープを跨いで中に入ると、ブルーシートを剥がして、自分でも持てそうな角材を取り出した。


 私は手のつけられないキレたインキャみたいになった。先輩共は驚愕してた。


 角材を振り回しながら自分の所に突撃してくるヤバい奴がいたら、そりゃ逃げる。同じ立場だったら私だって逃げる。


 先輩共がいなくなっても雛はまだ震えていた。私は角材をその辺に放り投げると、雛に言った。


「大丈夫。もう大丈夫だから」


 ようやく理解が出来たのか、雛は地面にへたり込み、グズグズと泣き始めた。


 私はこの勝負、雛の勝ちだと思った。だって敵がいなくなるまでは泣かなかったから。


「私のこと、覚えてる?」


 自分のハンカチを手渡しながら私は言った。雛は、真っ赤に腫れた目を上げた。


「か、雁登…?」


 私は頷くと、「それ、あげるから」と言ってその場を去った。思い返すと痛い。だって完全に中二病ムーブじゃん。


 てな訳で、次の日から私はクラスで浮いた存在になった。ヤンキーに喧嘩を売り、大事な大事な資材に手を出したんだから仕方ない。


 先生には怒鳴られて、先輩共には目をつけられた。今まで友達だと思っていた子達も私から距離を取るようになった。


 これまでの努力は全部無駄になった。


 ま、そんなことはどうでもいい。私はお優しい先輩共に会いにいった。


「外で吸えばいいじゃないですか。学内は人の目もあるし、また誰かにチクられますよ。あのチビには言っておきます。だから今回は勘弁してください」


 先輩共はぐだぐだと抗弁したけれど、「ネットで個人情報を晒します。調べれば全員わかるんで。私を脅しても無駄ですよ。刺し違えてでも復讐しますから」と言ったら話がまとまった。


 学内ヒエラルキーそのものから弾き出された私は、晴れて同じぼっちの雛と一緒に昼食を食べるようになった。


「…あんたも嫌われるよ」


 最初、雛はそう言った。もう手遅れだし、そんなことは百も承知だったので、私は言ってやった。


「ツバメやスズメなんかには、ワシとかハシビロコウの気持ちなんて分かんないから」


 雛はあんまし分かってないようだったけど、気にしないことにした。


 昼休みも、移動教室の時も、掃除の時も、帰る時も、私は雛を1人にはしなかった。


 最初こそ困惑気味だった雛も、段々と本来の巨大な自尊心を取り戻し始めた。よく笑い、大声で自分の意見を口にするようになった。


 いつの間にか私のことを下の名前で呼んでいた。本格的に絡み始めたのは中2の夏休み前なのに、生まれた時から親友みたいな顔までしやがる。


 周囲から不用意に叩かれないよう、私は雛に色々と助言をした。言葉遣いに気をつける、眉間に皺を寄せない、頭ごなしに相手を非難しない、もっと身だしなみに気を配る…。


 その全てをアイツは受け入れた訳ではなかったけど、それでも大分マシにはなった。


 中3の夏休み前、雛はある男子に告られた。男は哀れだ。容姿さえよければ、どんなに強力な地雷でも好きになってしまう。


 けど、アイツは断った。私が理由を聞くと、雛は珍しく頬を赤らめて答えた。


「だって、桃香と一緒にいれる時間が減るじゃんか…」


 これを書いたことがバレたら、雛は多分怒り狂う。てか、そのために書いてる。


 私がいくら助言してやっても、雛はすぐに敵を作る。アイツが問題を起こし、私が火消しに回るというのがすっかり日常になってしまった。


 けどそういう人間こそが歴史が作るのだと、歴史そのものが証明している。


 私はそんなヤツの1番傍にいて、刻一刻と進んでいる偉大な歴史を観察したいと思っている。のかもしれない。


 締めに困ってしまった。


 なにはともあれ、人間って面白いなぁと思う。ということにしておいてほしい。

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