第75話

「俺がいなくとも、誰も心配などしないだろう」



「でも……」



「ああ、お前にとってみれば息が詰まるか」




そう一人で納得するも零は動こうとしない。




動く気がないのか……それでも、今はそのことにほっとする。




見知らぬ男に抱きつかれたばかりでひどく不安になっていたところだ。




「……どうして、ここにいらっしゃったのですか?」




どうして零が自分の隣にいるのか。




そう思うと不思議な気分になった。




もしかして、探しに来てくれたのだろうか?




そんな都合の良い妄想に慌てて歯止めを掛ける。




(あるわけないじゃない、そんなこと)




きっと、今の自分は酔っている。




この場の雰囲気と先刻の笑みに酔わされたのだ。




……でなければ、こんなことを思うはずがない。




「特に理由はない。人のいない場所を探して辿り着いただけだ。そこにお前がいただけのこと」



「……ありがとうございます」




素っ気ない言葉にお礼を言うと、今度は訝しげな顔をされた。




直視できず、視線を伏せる。




「助けてくださいましたから……」



「偶然だ。意図したことではない」



「それでも……ありがとうございます」




そう言う桜子を、まるで得体の知れない物を見るような目つきで零が見つめてきた。

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