呪本
佐々井 サイジ
第1話
紺色のレジ袋のなかには十冊の本が入っており、指に食い込んで痛む。土本は袋を持ち替えてエレベーターが来るのを見上げながら待っていた。
大学生になって友人づくりに失敗した土本は、今まで敬遠に敬遠を重ねてた本を読むようになった。なかでも小説は自分が本のなかに吸い込まれ、その世界の住民となったかのように没入でき、現実の孤立感から解放された。
SNSを見ていると、高校時代の友人が進学先の大学で知り合っただろう人との相互フォローによって、フォロワー数が増えている。投稿へのリプライが積極的にされ、コミュニケーションを取っているのを見ると、自分が置いてけぼりを食らっているような感覚を抱くので、見ないようにしていた。かといって逃げ場となるはずの動画配信サービスはすでに見尽くしてしまい、スマートフォンを見ること自体が少なくなっていた。下宿先にはテレビもない。娯楽が何もないときに大学内の書店で何気なく手に取った小説が面白くて気づけば購入し、その日中に読破していた。しかし当然、新しい本を何冊も買う余裕もない。幸い下宿先のマンションから坂道をしばらく下ると古本屋があった。
部屋には本棚もなく、一度読んだ本は再読しようという気が起こらないので、買いに行くついでに売りに出していた。四、五千円出して買った本を売ると千円前後にしかならないことには猛烈な違和感を抱くしかなかったが、アルバイトの店員にケチをつける気力も無い。例えベテランの社員がいたとしてもいちゃもんをつける勇気が湧かないことは土本自身が最も理解していた。いつか趣味が読書の素敵な女性と出会うまでお金を工夫しつつあらゆる小説を読んでおこうと思い直す。
自宅に戻り、大学の講義でもらった資料がひろがったままの机の上に、今日買った十冊の本を広げた。改めて装丁やあらすじを読んで、読む順番を決めた。
最初に手に取った本は『臆病者の首』という小説だった。主人公である大学生の男は、臆病者であるにもかかわらず友人の誘いを断り切れずに、夏休みに病院の廃墟に肝試しに行くことになった。そこでは何も異常はなかったが、後日、友人が行方不明になり謎の死を遂げていく。男は廃墟の病院に行ったことが原因だと確信。自らも謎の死を遂げる前に、勇気を振り絞って再度廃墟にいく、というあらすじだった。ホラー小説はあまり読んでは来なかったので、楽しみだった。
読書初心者の土本でも読みやすい文体であった。難しい言い回しや独特の癖と言うものが少ない。ただ前半はやや冗長に感じられ、定期的にしおりを挟んで姿勢を変えるなどして休憩しながら読み進めた。
読み進めていくにつれ、冗長なこと以上に気になったのは、ところどころに鉛筆で記入されたものだった。一文の横に線を引いてある、というのは他の古本でも時おり見られた。土本にとって、それは不快感というより興味だった。この小説を自分より以前に読んだ読者はどこに興味をそそられたのか。ある小説では淫らなシーン前文に線が引かれてあり、一人で苦笑していた。
しかし『臆病者の首』はそういった類とは異なっていた。不定期に一文字だけ鉛筆かシャーペンで丸をつけられている。法則や規則があるのかはわからない。
「もしかして丸つけられた文字を繋げると文章になったりして、まあそんな簡単なわけねえか」
土本は独り言をこぼしつつ、すでに読んだところで見つけた三文字をつなげてみた。
「このほ」
これだけではまだわからない。「この」が意味を成しているように思えるが、「ほ」の意味が分からなかった。
丸のつけたれた箇所だけ見つけていきたい欲求に蝕まれるが、物語をすっ飛ばすことはためらわれた。やはりせっかく購入したのだから小説本来の物語を楽しみたい。
『臆病者の首』は面白かった。ホラー小説と言うことで買ってみたが、実際はミステリー要素がかなり強く、ホラーシーンは冒頭とクライマックスくらいしかなかった。それが良かったかもしれない。あまりにも怖すぎると一人暮らしだと夜が怖くなるかもしれないから。
土本は小説中に丸でくくられていたのをメモしたスマートフォンを取り出した。
『このほんはのろわれている。このほんをてにいれてからみっかいないにてばなさないとしぬ。正正正正』
“正”の文字は五個、括られていたのだが、五個目の“正”は三画目目まで括られていた。残りの二画を括るのは意図的に避けられているようだった。手元が狂ったようには見えない。慎重に括りすぎて線が震えているようなところが見受けられた。
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