★27:こちら総務部庶務課相談係
オフィスの窓から差し込む光が、少し翳り始めた17時過ぎ。増田恭司は上司に気づかれないようにそっと溜息を漏らした。と言っても『総務部庶務課相談係』という名前だけのこの部署は増田とその上司である係長、篠塚の二人しか所属していないのだが。
「あははー。またやっちゃった。これは残業になるかな?」
(クソが! なんでこんな奴が俺の直属の上司なんだよ)
他人から「相談」の名目で仕事を押し付けられたのにヘラヘラと笑う篠塚の様子に、増田は内心で悪態をつくが、表にはそれを出さないようにした。昨今はコンプライアンスに煩い時代。それが総務部ともなれば人事部法務部と並んで特に厳しい。たとえ部下から上司にであっても暴言を吐けば問題になる可能性がある。
「篠塚係長、残業は」
「わーかってるよ。会社に利益をもたらさない総務部は基本残業禁止、ね!」
そう言うが早いか、傍らの受話器を取り電話をかける。
「お疲れ様です! 本社総務部相談係の篠塚と申します。三瀬工場長おられますか?」
数十秒後、篠塚の顔がぱあっと明るくなる。
「あ、工場長、お久しぶりです篠塚です! はい。はい。そうなんですよ。総務部に異動させられちゃって……」
まるで直接対話しているかのようにぺこぺこ頭を下げ、表情をくるくる変えながら篠塚は会話をする。
「ところで工場長、念のための確認なんですが九年前にA社に提供していた部品データとか、もう残ってないですよね? 実は営業部から質問されちゃって。営業部の共有にはそんな古い記録はもう無いらしいんですよ。……え? あ、そうですか! 本当に助かります。ありがとうございます!! はい、失礼します」
受話器を戻すと篠塚はパソコンに向かいキーボードを叩く。多分「相談」してきた営業部の社員にメールを書いているのだろう。
「データ、見つかりましたか」
「うん。運が良かったよ。三瀬工場長ってさ~凄い仕事がデキるから、いつもあちこち行ってて基本捕まらないんだよね。一発
(ツモときたか。育ちが良い筈なのに、営業でそんな言葉を覚えさせられたんだろうなぁ)
まあでもこれで今日は無事に帰れると思った増田を運命の神が嘲笑う。
「篠塚さん、助けてくださぁい!」
総務部の女子社員が涙目で駆け寄ってきたのだ。
「データが消えちゃって……私、何にもしてないのにぃ……」
(何もしてねぇわけないだろ!)
「はいはい、どこが消えたの?」
「あの、共有のぉ、備品管理のファイルが消えちゃってぇ」
(は!? 中身じゃなくてファイルごと消去したのか!?)
内心叫んだ増田だが、コホンと一つ咳払いをして「ファイル名は『備品管理』ですか?」と確認をしてから検索をかけてみる。だがやはり。
「……ないですね」
彼の言葉に苦笑いをする篠塚も念のため検索しているらしい。
「あー、完全に消去しちゃってるな」
「そんな、私、何もしてないです!」
(コイツ……!)
増田の内心の怒りは閾値ギリギリになったが、その最後の一線を越えさせたのは篠塚だった。
「わかった。ちょっと復元できないか確認する」
(このおバカ上司! お人好しにもほどがあるだろ!! 今から社内のサーバー担当者にファイルの復元を依頼して、18時までに帰れるか!?)
「ありがとうございます~♪」
女子社員の背中を鬼の形相で見送った後、増田はそのまま振り返り篠塚を見る。と、係長はまた苦笑した。
「増田君、そんな怖い顔しないでよ。残業にはならないから……ほら見て」
「!?」
総務部の共有フォルダに「備品管理」のファイルが復元されている。
「えっ、早すぎないですか!?」
「あの子ね、しょっちゅうああいう事やるんだよ。だから念のため毎朝バックアップをこのローカルに取って置いてるの。今はそれを共有に戻しただけ」
「はあ……」
増田は肩を落としてからすぐに立ち直った。
「じゃあ、バックアップは明日から俺が取ります。係長はこれ以上仕事を増やさないでください」
「それじゃ増田君の仕事が増えるでしょ」
「じゃあ俺の為にも、何でも仕事を引き受けないでください」
「だってこれが相談係だしさ」
「また倒れますよ」
「……」
黙ってにこりと笑う篠塚に、増田はまた肩を落とした。
そこで『相談係』という新たなポストを用意して貰えたのは、彼女が社内の多くの人間を把握しているからなのか、それともやっぱりコネ入社なのか。真実はわからない。
ただ一つ増田にわかっている事は。
新人の頃に「残業の無い部署が良いです」と人事に言ったが為に、絶対に上司を残業させない役目を押し付けられたという事だ。
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