19:宇宙から「愛してる」を伝えたくて

『ハロー、こちら国際宇宙ステーションISS。ちゃんと聞こえてるかな』

 ノイズ混じりだけど彼の声は鮮明に聞こえる。休憩室で七海ナナミは画面越しの彼に頷いた。

「ええ、ばっちりよ」

 しかし彼は落ち着かないようで、ぐるりと辺りを見回す。彼の背後には様々な計器が埋め込まれた壁。ふわふわ浮かぶクマのぬいぐるみはチームメイトのテディのお守りだ。


 同じようにふわふわ浮かぶ彼は「ゔんっ」と咳ばらいをして、再び話し始めた。

『さて、ナナ。見てのとおり、ここはISSなわけなんだけど』

「知ってる。私もそこにいたじゃない」

 七海は笑った。

 田中七海、愛称はナナ。ISSに一年滞在した後、半年前に帰還した日本人宇宙飛行士だ。そして画面の向こうにいるのは木内啓馬ケイマ。愛称はケイ。七海たちクルーをまとめるISS船長だった。


 ISS内ではクルー全員がチームだ。しかし船長であるケイは一応ナナたちの上司にあたる。ケイの持ち前の分析力と判断力、そしておおらかな人柄とまるで青空のような気持ちの良い笑顔を支えにしていたクルーは多い。もちろん七海もその一人だが。


 七海たちが帰還してすぐ、次の帰還スケジュールが決定した。帰還クルーの中にケイの名前を見つけ、七海はひそかに心躍らせた。また彼に会ったら伝えようと思っていたことがあったからだ。


『俺もようやく地球に帰るわけだけど、これまでいろんなことがあったな』

「うん」

『まさかナナのいるチームに、俺が船長として任命されるなんて思わなかったし……』

「そうね、私もびっくりしたわ」

『それで……俺、実はお前に伝えようと思っていることがあって』

「……」


 画面の中のケイの表情が強張る。伝わる緊張感に七海も口を閉じた。


『本当は直接伝えようとも思ったんだけど』

『いや、どうしよう』

『あーちょっと待って。緊張が……』


 画面の中では七海が喋らずともケイがどんどん話を進めて行く。その時だ。休憩室の自動ドアが開いた。入って来たのは七海の同期リンダだ。リンダは画面の中のケイの姿を見ると眉を寄せた。


「ナナ、またその動画﹅﹅を見ているの?」

「うん……」


 隣に椅子を寄せたリンダに七海は肩を抱き寄せられた。リンダの力強さに思わず笑みが浮かぶ。その間にも再生は進み、ケイが再びカメラに向き直る。


『ちなみにこの動画は、俺が無事に帰れなかった時のために帰還の次の日に予約送信しておくつもりなんだけど――』


 ケイの声にシン、と沈黙が落ちる。七海は口元に作った笑みを消せずに進む再生バーを見つめ続けた。

 「また」とリンダが言うように、七海はこの動画をケイの言葉も息継ぎのタイミングもすっかり覚えるほど観ている。何度見ても変わらないとわかっていてもつい再生してしまう。


「ケイはほんと、バカな船長よね……。これを見たナナがどんな気持ちになるか考えもしないんだもの」

 リンダが呟いた。画面の中ではケイが照れくさそうに頭を掻いている。


『……いや、やっぱりちゃんと会って伝えることにするよ』

『また会おう、ナナ』

『愛してるよ』


 動画はそこで終わった。


「愛してるよ、だって……」

 ぽつりと漏れた言葉にリンダは七海の肩をポンポンと叩いた。

「ケイ、本当に残念だわ」

「いいのよリンダ。彼らしいじゃない」

 七海は苦笑いを浮かべながらぱたんとPCを閉じた。


 ようやく訪れたケイの帰還日。

 七海のPCに一通のメールが届いた。動画が添付されたそれは、帰還モジュールに乗り込み、地球に戻って来るはずのケイからのものだった。


「さーてと……」

 リンダが背伸びをしながら立ち上がる。頭ひとつ高いリンダの背中を見ながら七海も同じように立ち上がった。

「そろそろ行ってみましょうか」

 その声にくるりと振り返ったリンダは七海の顔を見るなり、ニカッと白い歯を見せた。


「そうだね。グースカ寝ているおバカな船長に早く教えてあげないと。ナナに送った動画、予約送信じゃなく即時送信だった﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅ってこと」

「ふふっ、ケイびっくりしそう。でもリンダ、実はね――」


 昨日、ケイたちを乗せた帰還モジュールは無事に地球に着陸した。

 彼らのメディカルチェックも無事に済み、今は地球の重力に慣れる期間。ひどい眠気に襲われるのは七海も体験済みだ。きっとケイも同じように寝てしまい、メールも目を覚ましてから予約解除すればいいと思っているのだろう。

 それよりも早く、ケイに会って伝えたいことがある。


「私も彼に伝えようと思っていたの。『愛してる』って」

「そりゃ余計急がないと!」


 リンダが再び七海の肩を抱き寄せた。さっきよりも力強い腕に七海は満面の笑みを浮かべた。

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