第221話 血のドラゴン

 なんだよ……これ……


 俺はあまりの光景に吐き気が込み上がってきた。

 

 バスタブに、血が溜まってる。


 この血は……なんだ?


 なんで、こんなところに……


 ずっと感じていた異様な雰囲気は、間違いなくここから出ている。

 どうなってるんだ?


 この地下は、いったい……?


 ピチャ……


「!」


 バスタブから音がした。

 見やればそこには血塗れの手が出て来ていた。


「な……っ!?」


 それを見た俺は、恐怖で全身が震えた。

 殺気とかそんなものではなく、あまりに非現実的な光景を目の当たりにしたせいで。


 俺は我知らず下がってロングブレードの柄を握った。

 その間にもバスタブではもう片方の手が現れ……ついに血の水面から顔が出てきた。


 血塗れで全てが赤い。

 長い髪も、肌も。

 ゆっくりと立ち上がってきたそれは……女だった。


 人間……だ。

 血溜まりから人間が出てきた。

 有り得ない!


 眼は開けておらず、心なしかオフィーリアに似ているような顔つきだった。


 俺は身がすくんでいた。

 息も止まっている。

 だってバスタブに血が溜まっていて、そこから血塗れの女が出てきたのだから。

 どう見ても人間だぞこれ!


 ドラゴンとは違う得体の知れない恐怖を感じた。

 異様な雰囲気の正体はコイツだ。

 間違いなく。


 な、なんなんだよ……なんなんだよコイツは!?


 バスタブから出てきたソイツは、糸目を俺に向けてきた。

 瞳こそ見えないが殺気が感じられた。

 皮肉にもその殺気のおかげで恐怖して震えていた身体が動くようになった。


 騎士という仕事柄、殺気には自然と身体が反応するようになっている。助かった。

 

 とはいえ、片手に松明を持ったまま戦うのは危険だ。

 ロングブレードは基本両手持ち。

 こういうとき片手剣だと便利なのだが。


「キィァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


「ぐあっ!」


 血塗れの女が奇声を張り上げてきた。

 耳に激痛が走り、咄嗟に塞いだ。

 あと少し遅かったら鼓膜が破れていたかもしれない。


 いってぇ……

 こいつ、いきなり叫びやがって!


 両手で耳を塞ぎながら前を見ると、血塗れの女が痙攣を起こしていた。


 今度はなんだ!?


 そう思った次の瞬間、彼女の背中から赤い翼が生えた。


「なに!?」


 次いで尻尾が生え、今度は彼女の顔が変異していく。

 メキメキビキビキと肉が引きちぎれる音を響かせながら、彼女の身体から鱗が生えてきた。

 腕が伸び、足も伸び、人間の原型を失っていく。


 おいおいおいおい!

 本当になんなんだよコイツは!?


 血塗れの女は赤い竜鱗を纏った竜へと変貌した。

 人間の平らな歯が全て鋭利になっており、その大口を開けて大咆哮を発する。


「どわっ!」


 咄嗟に耳を塞いだものの、先程の奇声とは比べ物にならない衝撃波が生じ俺は吹っ飛ばされた。

 血だらけの石床を何度か転がり、すぐに起き上がって相手を睨み付ける。


 有り得ない……人間がドラゴンになるなんて。

 こんなことが現実に……現実に起こるはずが……っ!


 くそ! 

 何を見てるんだ俺は!

 血の臭いで幻覚を見てると思いたい。

 

 そんな葛藤をしていると、血のドラゴンがブレスを吐いてきた。

 血のように赤い灼熱の炎だ。


「くっ!」


 俺は咄嗟に松明を捨て、ロングブレードを両手持ちにして構えた。


「【真・竜(ドラゴン)めくり】!」


 長剣を薙ぎ払い剣圧で竜巻を起こし、炎を相殺。

 竜巻の残り火が血のドラゴンに当たってヤツを怯ませた。


 よし!

 ここは逃げよう!

 こんな暗い場所じゃまともに戦えない。


 俺は階段へ急ぎ、そして上った。

 階段の通路は狭い。


 あのドラゴンはパッと見て4メートルほどの大きさだ。

 A級ドラゴンより少し大きい程度。

 人間でやっとなこの通路を上がってこれはしな──


「キァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 背後から例の奇声が轟く。

 

 おい……まさか……


 俺は嫌な予感がした。

 先程の奇声は、ヤツが人間の姿をしていたときの咆哮だ。

 

 俺は走りながら背後を見やると、あの血のドラゴンが人間の姿に戻って追いかけてきていた!


 そんなのありかよ!


 ブワッと冷や汗が全身から吹き出し、俺は全力で階段を駆け抜けた。

 曇り空の下に飛び出た俺は、すぐに身を翻して剣を構えた。


 次いで階段を駆け上がってきた血塗れの女は外に出た瞬間にドラゴンへと変貌する。


 正面から対峙した俺は霞の構えで迎え撃つ。

 血のドラゴンは顔を天へとあおぎ、先程の大咆哮とは違う鳴き声を発した。


「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ────ン!」


 それはまるで……狼が仲間を呼ぶ時に使う遠吠えのようなものだった。

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