第78話 ルージ家の末路

 カティアの住んでいたルージ邸は、赤い屋根と真っ白な壁が美しい邸宅だった。

 しかし今は竜巻により半壊し、雷によって8割が燃え尽きている。


 美しさなど、もうどこにもない。

 ただただ無惨な光景が広がるばかりだ。


 そんな惨状を背にしたカティアは、庭の土を踏んで立ち止まった。

 姿勢を正し、目前の男に語りかける。


「父上。領民の避難準備・男性の武装指示・避難ルートの説明・厳戒態勢の指示・ローテーションの指示……全て完了しました」


 月光に晒されながらカティアは、父であるクロイツァー・ルージにそう告げた。


 男性の武装指示に関しては、たとえ引退したクロイツァーといえど例外ではない。

 英雄フォレッドの元部下で、S級騎士ならば尚の事だった。


 いつもの貴族服ではなく、彼もまた人類の1戦力として鎧と双剣を装備している。


「そうか……ご苦労」


 父の返事はそれだけだった。

 彼の目前には即席に立てられた墓石が並んでいる。

 

 全て今回の襲撃で死んだ母上たちと妹たちの墓である。

 ここ【ルージ家】で生き残ったのはカティアを含め、レィナとクロイツァーの3人のみ。


 10人を越える大家族も、いまやたったの3人だ。


 そこに一人佇むクロイツァーの背には、いつも感じている厳格さはなかった。

 逆に哀愁を感じるほどに父の背が小さくなっているようにも見える。


 彼は決してカティアの方へ振り向こうとはしない。

 父は泣いているのだろうか?


 そんな涙を持っていたのか。

 どうせ妹たちに対する涙ではなく、母上たちに対する涙であろうが。

 

 敢えて問わず、黙して父の背中を見つめる。


「あいつらは……」


 不意にクロイツァーが口を開いてきた。


「あいつらは……幸せだったのだろうか?」


 亡き母上たちへの問いだと思い、カティアは一息の間を開けてから答える。


「……今の自分がこうして生きていられるのはクロイツァー様のおかげだと、母上たちは口を揃えて仰っていました」


 柄にもなく父を励ます言葉を発してしまっていた。

 弱々しい父の背が見ていられなかったのもあるのかもしれない。

 それに母上たちがそう言っていたことも事実なのだ。


「……違う。マーシュ・レテ・リリエ・エジール・アルマナ・セレディ・ルナリア──」


「!」


 妹たちの名前だ。

 まさか全員の名を覚えていたとは。


「──あいつらの事だ」


 あいつらは幸せだったのだろうか?


 先の言葉を思い出し、カティアは胸の奥が熱くなるのを感じた。


 何を今さら、と思う。

 

「幸せだったはずないでしょう」


 カティアは思わず口を滑らせていた。

 こんな時にケンカになりそうな話題だ。

 してはいけないと分かっていたのに、抑えられなかった。


「あなたは……『女は男より強くなれない。それは歴史が証明している』と私やあの子達を否定したではありませんか!」


 ずっと胸の奥に押し込めていた言葉が、怒を含んだ声音となって零れてくる。

 こんな非常時に揉めている場合ではないと言うのに。


「【攻撃魔法】を好きで持って産まれてきたわけじゃないのに、あなたはあの子達を愛さなかった」


 女が【攻撃魔法】を覚醒させるのは異端中の異端。

 10000人に1人いるかいないかというほど稀でもある。

 それなのに父の代で【ルージ家】は呪われたように【攻撃魔法】を持った女の子を次々と産んだ。


 1人、2人ならまだ分かる。

 でも産まれた9人の女の子全員がそうだったのだから、呪われたと表現するしかなかった。

  

「たとえ世がどうであれ、親であるあなたはあの子達を愛さなければいけなかったはずです!」


 今さら父を責めて考えを改めさせても、妹たちが死んだ今となってはもう遅すぎる。

 遅すぎると分かっていても、怒りが収まらなかった。


「……お前の言う愛が何なのかは私には分からんが」


 重い口を開いてきたクロイツァーは、ついにカティアの方へ振り向いてきた。

 カティアと同じライトブルーの瞳。

 剣のような鋭い眼光が突き刺さる。


「いいか。愛とは責任だ。親の責任とは子供を立派な大人に育て上げることだ。私はそれをこなしてきた。たとえお前たちが揃いも揃って異端だろうとな」


 厳戒な雰囲気を復活させ、なにかしら押し殺した感情を思わせる父の顔がそこにあった。


「カティア。お前は、私がお前たちを否定したと言ったな? 勘違いするな。私は女のお前たちに何も期待していなかっただけだ」


「!」


「国の義務である以上【攻撃魔法】を覚醒させたお前たちは一度は騎士にならねばならない。それはいい。だが女のお前たちが騎士で有り続けることなど不可能だ」


「その決めつけがあの子達を否定していると言っているのです!」


「それはお前たちが勝手に思い込んでいただけだろう。【攻撃魔法】を覚醒したからと言っても所詮は女。いつか嫁げばそれまでだ。私がいつお前たちに騎士なれと言った? いつ騎士で有り続けろと押しつけた?」


「!? ……それは」


 ……覚えがない。

 無防備なところを突かれた思いで、カティアはクロイツァーを見返す。


「【ルージ家】は代々、優秀な騎士を世に送り出してきた一家だ。だがそれも私の代で終了だ。長男にも恵まれず、女ばかり産まれれば諦めもする」


「私は女の身でS級騎士になりました! 女でもここまでやれるのです! なぜ認めてくれないのですか!」


 ただ認めて、褒めてほしかった。

 それだけなのに、どうしてこんなにも拗れてしまったのだろう……


「私が認めたところで世間は変わらん。……たしかにカティア。お前は私の想像を遥かに越えた。『さすがは女でもルージ家の騎士』と讃えられた時は鼻も高かった。だがな」


 怒りではない、悲しい顔でクロイツァーはこちらを見つめてきた。


「女が命を掛けるべき場所は狩り場ではない。ドラゴン狩りがどれほど命懸けなのかは知っているだろうが、女の出産と育児がどれほど命懸けなのかは知らんだろう?」


 出産、育児……


 たしかに、まだ経験していないカティアには想像もつかない領域での話だ。


 ゼクードと過ごした夜を思い出す。

 そう遠くない未来に経験するかもしれない出産と育児ゆえに、

 何も言えなくなった。

 

「出産と育児。次の命を繋げるために命を掛ける。それが本来の女の戦いだ」


「……」


 否定してやりたいのに、カティアにはできなかった。

 女の身体と戦ってきたカティアには、それがどうしようもなく分かるからだ。


 身体はカティアの意思に関係なく戦いに特化するのではなく、子供を産めるように、子供を育てることに特化していく。


 昔はあんなに小さかった胸も、今や邪魔でしかないほど大きくなってしまった。


 だから、否定なんて出来なかった。


 そして何より、先の父の言葉がカティアを揺らしていた。


『私がいつ騎士になれと言った?』

『いつ騎士で有り続けろと押しつけた?』


 これが頭から離れない。


 国の義務で、とは言ったが……クロイツァーが自分や妹たちに騎士になれと言っていた記憶はない。


 完全に……盲点だった。


 私は、自分で自分の首を絞めていたのか?

 それしか道はないと思い込み、必死に背伸びをしてここまで来たのに。


 女でもS級騎士になれると証明したのに世間は変わらなかった。

 父も変わらなかった。


 何が一番悲しかった?

 そんなの、父が変わらなかったことが一番悲しかったに決まっている。


 世間がちょっとやそっとで認識を変えるほど浅くはない。

 そんなことは幼い頃のカティアにも薄々わかっていたことだ。


 じゃあ何故、悲しかった?

 大嫌いな父に認めてもらえなかったことが、なぜあんなにも苦しかったのだろう?


「お前は女の中でも特別に強い女だろう。だが9割の女は弱い生き物だ。お前のような特別が当たり前にでもなれば、世の9割の女性はどうなる」


 今のカティアには非情な追撃だった。

 自分の理想の結末を思い知らされた気分になったから。


 いや、世間なんか問題じゃないんだ。

 その世間に居場所がないから、私は──


 世間からも異端とされ、

 同じ女性からも【普通】と【異端】で差別され、

 あげく肉親からも認めてもらえなければ、女騎士という存在は、あまりにも報われない。


 胸の内に溜まる黒い感情が渦を巻き、涙となって溢れてきた。


「お前が泣くとはな……」


「子供が親に愛されたがるのは普通のことでしょう。期待せず、押し付けず、ただ育てる事があなたの愛なら……間違っていましたよ」


「……」


「嘘でもなんでも、あなたはあの子達に胸を張ってここに居て良いのだと……それだけでも言葉にしてくれれば良かったのに……っ!」


「……」


 父からの反論はなかった。

 重い沈黙の中、カティアは涙で潤んだ視界に、父の背を映した。

 

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