第49話 悪夢!

 ゼクードに会いたい。

 またあの声が聞きたい。

 またあの笑顔が見たい。


 うずくまりながらフランベールは切にそう願った。

 濡れて寒い自分の身体を暖めるように、フランベールは丸くなる。


 どうせ死ぬのならゼクードのために、彼の子供を2~3人ほど産んでから死にたい。


「……こんなときに何考えてるんだろ。わたし」

  

 さっきから寒いのに、そんな熱に浮かされたような思考ばかりしてしまう。

 ゼクードに抱かれたいだの、彼の子供を産みたいだの。


 なぜだろう。

 生命の危機だからだろうか。


 男でも女でも、いつ死ぬか分からない環境にいると子孫を残そうとする本能が刺激されると聞いたことがある。

 これがそうなのかもしれない。


 確かにあの青いS級ドラゴン戦のときも、殺される寸前に思い出したのはゼクードのことだった。


 やはり自分は、どうしようもないほどゼクードの事が好きなんだ。

 何を今さらと思う反面、そう思えること自体が幸せだと感じた。

 女に生まれて良かったと、こんな時だけは思えるからだ。


 ──さて、今は休もう。

 いま大切なのは【アンブロシア】を手に入れること。

 そして何より生き残ることだ。

 自分のためにも、ローエのためにも死ぬわけにはいかない。


 胸中で呟くと、凄まじい睡魔がフランベールを襲ってきた。

 疲労のせいか、深い眠りに落ちるのはあっという間だった。



「──い──……せい──……んせい! ……先生! フランベール先生!」


 え!?

 呼ばれて目を開けた先には漆黒の鎧を装備したゼクードの姿があった!


 銀色の髪と紫色の瞳。

 間違いない。


「ゼ、ゼクードくん! 来てくれたのね!」


「あぁ、良かった先生。無事で……」


 ゼクードが安堵の息を漏らした。

 愛しの男性を前にフランベールは抱きついて泣きたい衝動に駆られた。

 溜めに溜め込んだ恐怖を彼の胸で発散したかった。


 しかし、当のゼクードは疲れたように地面に座り込んでしまった。


「ゼクードくん?」


 よく見れば彼の鎧は傷だらけ。

 しかも底なしの体力の持ち主であるゼクードが息を上げている。

 よほど、よほど必死に探してくれていたのが分かる状態だった。


「先生……こういうの、これっきりにしてくださいよ……」


「え?」


「生きた心地がしませんでしたよ俺は……」


「ぁ……うん、ごめ──」


 バクン!


 ──え?


 変な音がしたと思ったら、ゼクードの顔が無くなっていた。


 ぇ

 

 え?


 なに


 なにが


 何が起きたの!?


 首から血を吹いて、顔を無くしたゼクードの身体は崩れた。


 その背後には例の黒いドラゴンが──


「ぃ……」


 ゼクードの顔を噛み締めながら──


「い……」


 迫り来る!


「いやああああああああああああああああああああああああ!」


 感情の爆発はついに悲鳴となった。

 そしてそれは『フランベールを悪夢から覚醒させる』!


「はっ!?」


 フランベールは顔を上げた。

 そこは朝日が射し込む樹林帯で、昨日寝た時となんら変わってない状態だった。


 ゼクードの死体はなく、黒いドラゴンもいない。


「は──はぁ……はぁ……夢……」


 自覚し、全身が恐ろしいほどの汗で濡れていることにも気づいた。

 日光のせいで暑いのではない。


 死んだ方がマシな夢を見てしまったからだ。

 夢で良かっ──


 刹那、空から急降下してくる殺気にフランベールは気づいた。

 凄まじい風圧を巻き起こしながら着地してきたのは、最悪なことに、あの黒いドラゴンだった。


「ぁ……」


 なぜここがバレたのか?

 ……決まってる。

『悪夢』で上げた先ほどの『悲鳴』が、このドラゴンを呼んでしまったのだろう。


 黒いドラゴンは四肢を動かし、フランベールに近づいてくる。

 フランベールはすぐに逃げようとするが、立てなかった。


「ぁ、や!」


 なんで!?

 こんなときになんで!?


 先ほどの『悪夢』が原因なのか。

 それともこの黒いドラゴンの襲撃が原因なのか。

 フランベールは腰が抜けていた。 


 立てない!

 立てないよ!?

 なんで!?


 立て続けに起こった『悪夢』で脳がパニックに陥っている。

 

 ドラゴンは獲物を追い詰めるようにジリジリと肉薄してくる。

 今にもフランベールを屠らんと。


「いや! いやあ! 来ないで!」


 足腰に力が入らず、両手で身体を必死に後退させる。

 ガリガリっと背中の大弓が邪魔になり、さらに後退が遅くなる。

 

 こうなったら!


 思い至って、フランベールは無理やり大弓を取り出し、展開──できなかった。

 ドゴン! とドラゴンの左手を叩きつけられ武器の展開を邪魔されたのだ。


「かはっ!」


 ドラゴンの力は凄まじく、地面に亀裂が走る。

 押し倒された全身の骨が激痛と共に軋んだ。


「い、ぎっ! あ、がっっっ!!」


 あまりの痛み。

 堪えるために歯を食い縛る。

 

 完全に取り押さえられた。

 もう逃げられない。

 ドラゴンの力が強すぎて、身動き一つできない。


 ドラゴンは取り押さえた獲物を見つめ、ベロリと牙を舐め回す。

 そんなヤツの仕草が、これから捕食されるという恐怖をよりいっそう駆り立てた。


「は……は……くっ」


 死ぬわけにはいかない。

 そう思ってたんだけどな……


 これだけ不運が続くと、さすがにもう自分はここで死ぬ運命なのだろうと悟ってしまう。

 さすがに疲れた。


 瞳の奥から涙が溢れてくる。

 こんなところで終わってしまう自分が悔しい。

 何しに生まれてきたんだろう、わたし。


 ごめんねゼクードくん。

 キスだけしておいて、何もしてあげられなくて

 何も残してあげられなくて、ごめんなさい。


 大好きだよ。


 全てを諦めたフランベールは目を閉じた。

 弾みで涙が零れ落ちる。


「先生えええええええええええええええええっ!」


 ──え、この声は!


 ドシュ!


 何かが突き刺さる音が響くと、フランベールを取り押さえていた黒いドラゴンが悲鳴を上げて暴れ出した。


 目を開けてフランベールは見た。

 黒いドラゴンの腹からロングブレードの切っ先が貫通していた。


 その激痛で大暴れするドラゴンの背には、ロングブレードを突き刺して張り付くゼクードの姿があった!


「うおおおおおおおおああああああああああっ!」

 

 怒声を張り上げたゼクードはロングブレードで敵の背をえぐる!


 ぎゃおおおおおおおおおん!


 ドラゴンもがむしゃらに暴れゼクードを振り払った。


 振り落とされたゼクードはフランベールの前で着地し、ロングブレードを構え直す。


「ゼクードくん!」


 痛む全身を起こしてフランベールは彼を呼んだ。


「先生! 間に合って良かった! あとは俺にまかせてください!」


 あぁ、この声、この頼もしい背中。

 間違いない。

 今度こそ本物のゼクードだ。


 フランベールは、今度は嬉しくて涙が溢れてきた。

 また会えた。

 それだけがむやみに嬉しい。


「ゼクードくん……ありがとう……」


 その言葉が届いたかどうかは分からない。

 ゼクードは黒いドラゴンと相対し睨み合っているから。


 黒騎士と黒竜の戦いが始まろうとしている。

 ゼクードのロングブレードが。

 黒いドラゴンの牙が。


 互いに光った。

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