【アップ】男山教会2023年1月29日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】男山教会2023年1月29日礼拝説教/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=DG5eyhkhPx0&feature=youtu.be


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12787491967.html

(讃美歌や聖書の内容を閲覧できます)



前奏

招詞 ヨハネの黙示録4章11節

頌 栄

たたえよ、主の民[讃21-24,こども改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り

十戒・祈祷

子ども説教

子どもと親のカテキズム問20

「神さまの言葉にそむく罪」

こどもさんびか

イエスさまのことばが[改6]

牧 会 祈祷

讃 美 歌 500番(1,2節)

聖書

ローマの信徒への手紙15章7~13節(新P295)

詩編69編17~37節(旧P903)

説 教

「全世界の希望~聖霊の恵みと平和」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 500番(3節)

みことばの交読文

エフェソ1章7~10節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄  540番

祝 祷

報 告



讃美歌~♬


「御霊なる清き神」讃美歌500

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MIu6vzHRG5s


1

御霊なるきよき神 我が弱き魂を

主のもとに導きて 隠れしめたまえかし

御霊よ 御霊よ 我が霊ぞ 憧れる

すがりまつる手をばとりて 主に導きたまえかし

2

おののける手を捧ぐ 願わくはとりたまえ

御恵の君ならで 誰かよく主を示さん

御霊よ 御霊よ 我が霊ぞ 憧れる

すがりまつる手をばとりて 主に導きたまえかし

3

価なき我が身をも 涙なく死もあらぬ

とこしえのみ国へと 君はしも入れたまわん

御霊よ 御霊よ 我が霊ぞ 憧れる

すがりまつる手をばとりて 主に導きたまえかし


讃美歌540番 みめぐみあふるる【頌栄】 祝祷つき

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=7hSqQP0kSlw

(ブログを見て下さると歌詞も閲覧できます)



2023年1月29日 礼拝説教 中心聖句


また、イザヤはこう言っています。「エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼の望みをかける。」

ローマの信徒への手紙15章12節


主は乏しい人々に耳を傾けてくださいます。主の民の捕らわれ人らを 決しておろそかにされないでしょう。

詩編69編34節


はじめに

丸三年を超える感染症禍の中、わたしたちの祈りと望みを新たにしたい。

「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。」とは、先に、食べる人と食べない人について、両者の和解をキリストに求めたことにある。使徒パウロはさらに、「わたしは言う」と、かつてユダヤ人を義人とし、異邦人を罪人として裁いていた者である、「わたし」が言うと、互いに相手を受け入れることを促す。それは、パウロ自身が負っていた重荷からの解放を意味する。「キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです」と、パウロは、両者の和解の土台は、ただ、キリストにあることを明らかにする。それは、第一に、契約のしるし(割礼)を施された者たちに仕える者となられたこと、第二に、キリスト自ら、救いの約束(恵みの契約)を成し遂げられたこと、第三に、神の約束の実現を見た者たちは皆(ユダヤの人々、離散の人々、異邦の国の人々、別なく、全世界の人々)、神をその憐れみのゆえに礼拝すること。

『そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう』(サムエル下22章50節、詩編18章50節)と書いてあるとおり」、『異邦人よ、主の民と共に喜べ』(申命記32章43節)、『すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ』(詩編117編1節)、『エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。』(イザヤ11章10節)と、「エッサイの根」、ダビデの子として、生まれるお方こそ、ユダヤ人と異邦人の主であるお方、全世界の人々の、真の救い主であることが、ここに証しされる。この御方の上には「主の霊」「知恵と識別の霊」「思慮と勇気の霊」がとどまり、「目に見えるところによって裁きを行わず 耳にするところによって弁護することはない」方であり、この御方は、「弱い人のために正当な裁きを行い この地の貧しい人を公平に弁護する」(イザヤ11章2~4節)。「その日が来れば エッサイの根はすべての民の旗印として立てられ国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く」(イザヤ11章10節)。じつに、主イエス・キリストは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(マタイ15章24節)と言われながら、カナンの女の信仰を認められたほどに、また、ご自身の復活の日には、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたって、御自分について書かれていることを説明され」(ルカ24章27節,44節共)と、神の約束の実現を告げられた。「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」と、恵みの祈りを絶えず願いたい。

おわりに

詩編69編は、不当な苦しみのただ中で、主とその義に自分の身をゆだね、救いを祈り求める。「命の書」に記された人の名は、十字架の上に、その身をささげられた、世の罪を取り除く神の小羊、主イエス・キリストに贖われた者たちのみ(ヨハネの黙示録21章27節参照)。今日、この一人とされたなら、その祈りは。



(Mynote)


二〇二三年一月二九日(日曜日)。

〈子供メッセージ〉

『子供と親のカテキズム問二〇』

「罪とは何ですか?」

「神様に背く事です神様の言葉に一つでも従わないならば、私達は神様の御前に罪人です。」

アダムとエバは初めて人として、神様の前で罪を犯した。そして神様が怖くなり、裸である事に恥ずかしさを覚え、木陰に隠れた。アダムはエバの所為にした。エバは蛇の所為にした。

〈公同礼拝〉

『ローマ人への手紙』(第一五章七〜一三節)

『詩篇』『第六九篇一七〜三七節)

全ての異邦人も神様を賛美せねば成らない。それにより異邦人も本当の希望をその人生に見出す様に。人の世界だけでは、罪が蔓延るだけである。そこには救いが無い。神様が居なければ、人間に幸福も幸せも無いのである。

神様は、乏しい者に聞かれる。神様に愛される全ての人々は、神様がお建てになる都を継ぐのである。

今回のこの御言葉は、男山教会の目標聖句である。特に『ローマ人への手紙』(第一五章一三節)である。

「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなた方に満たし、聖霊の力によって、あなた方を、望みに溢れて下さるように」。

互いが互いを非難し合うのではなく、愛し合い、認め合う事。兄弟姉妹として、互いに支え合う事が大事。イエス様が人々を愛された様に、神様が人々を愛された様に、人も互いに愛し合わねば成らない。キリストに立ち返る事が必要。一つの繰り返しの元で、我々のクリスチャン生活は賄われて居る。悔い改めの生活。

「私は言う、キリストは神の真実を明らかにする為に、割礼のある者の僕(しもべ)となられた。それは父祖達の受けた約束を保証すると共に、異邦人も憐れみを受けて神を崇めるようになる為である」。

割礼がある者が救われる・無いものが救われない…と言う事ではない。異邦人が救われなければ成らないのである。律法に囚われては成らない。律法に囚われるとは、形に囚われる事。信仰は生きたものである。

「救いはユダヤ人から来ます」(イエス様が言われた言葉)

イエス様の教えにより、我々は皆、神様の子供である事が証明された。中心は神様が人に与えられた契約。モーセの契約もその一つ。人々に与えられた約束。そして異邦人にも与えられて居る約束。

『創世記』(第一二章一〜三節)

「時に主はアブラムに言われた、『あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたは呪う者を私は呪う。地の全ての輩は、あなたによって祝福される。」(アブラハム契約)

アブラムはこの後に神様から言われ、アブラハムと名乗るようになる。

単に異邦人と言うだけの事ではなく、あらゆる人々が(地球上の全ての人々)が神様を礼拝し、互いに愛し合う事が大事であると言う事。我々が教会に招かれて居る事こそが、その神様の目標が実現し、御子(イエス様)の言われた・教えられた事が実現している。

異邦人の救いは、それまで軽んじられていた。これがいけない。それでは人の救いが成らないのである。本当に救われねば成らないのは誰か?どんな人達か?誰よりもの罪人ではないか?

「医者を必要とするのは病人である」(イエス様の例え話)

救い主を必要とするのは罪人であり、初めから立派な人は救い主を必要としない(無論初めから立派な人は居ないが)。だからこそ、教会の外に居る人々が何よりも先に救われねば成らない。教会の中に居る人達が、その異邦人(教会の外に居る人達)が救われるのを邪魔しては成らない。でもこの事がかなり起こる。

祈りの内容が大事である。その土台が何処に在るのか?これを常に信仰に於いて問う必要がある。

〈御言葉の交読文〉

「私達はこの御手において、その血によって贖われ、罪を許されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」

「神はこの恵みを私達の上に溢れさせ、全ての知恵と理解とを与えて、秘められた計画を私達に知らせて下さいました。」

「これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。」

「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭(かしら)であるキリストのもとに一つにまとめられます。」

「天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。」


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


BE YOURSELF「あなたはあなたらしく」

アーサー・ホーランド師(2021年12月3日フライデーナイト)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=7MvpK7gGbJg


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin/videos?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)


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