月の女神と夢見る迷宮

ちゃむ猫

第1話 プロローグ


 「そっちに行ったわよっ シーナっ!」

 「は、はいぃ~っ」



 現在私とディアナお嬢様は狩りの真っ最中。この一戦に今日の夕食がかかっているのだ。絶対に負けられない戦いがそこにある。



 しかし、無情にも兎は私の頭上を跳び越えて、森の中に逃げ込んでしまった。これで本日の戦績は3戦全敗である。


 「あ~あ、今日もお肉は食べられそうもないわねぇ……」

 「ごめんなさい、ごめんなさい、すいませんっ、ううっ……」

 お嬢様の呆れたような声に平身低頭で謝る私。ホント、自分の鈍くささに涙が出る。


 「まぁ、仕方ないわよ。今度はシーナが追ってみる?」

 「あうぅっ、私に出来るでしょうかぁ~……」

 「物は試しって言うじゃない。追っかけっこは苦手じゃなかったわよね」

 

 確かに追いかけるのは苦手じゃないけど。ずっとずっとお嬢様を追いかけてここまで来たけど。それとこれとは違うような気がする。


 ──私の名前はシーナ・ラビリンス。ディアナお嬢様の従者だ。ディアナお嬢様に幼い頃から仕えている。


 ディアナお嬢様の正式な名前はディアナ・シャロン。シャロン侯爵家の三女なんだけど、訳あって今は出奔中だ。そんなディアナお嬢様を追いかけて私は今ここにいる。


 「まあ、取りあえずもう一度トライしてみましょ。今度はアタシが隠れてるからシーナが兎を追い込んでね」

 そう言ってディアナお嬢様は、さっきまで私がいた茂みに隠れた。私は兎を探して草原の中に足を踏み入れる。


 いた……。そこには丸々と太った兎が暢気に草を食んでいた。私は風上からそっと近づく。兎は耳がいい。だから風上から近づいてもあまり意味はないかも知れないけど、やらないよりはマシだ。


 残り10メートルという距離になって、兎の耳がピクンと動いた。

 

 『気づかれたっ』

 ここからが勝負だ。ここからお嬢様の潜む草むらまで兎を追い立てるのが私の役目。幸い脚力には自信がある。私は全力疾走で兎を追い立てる……はずだった。


 「なんでぇ~っ!?」

 兎は逃げなかった。それどころか私に向かって一直線に飛び跳ねて来る。私はくるりとUターンをして、兎に背を向けて走り出した。聞いてない、聞いてないよ~っ。兎を追いかけるんじゃなくて、兎に追いかけられるなんてぇ~っ。


 私は全速力でお嬢様の潜む草むらに向かって駆けた。背後からヒシヒシと兎の迫る気配がした。背中がチリチリする。

 

 「もうダメっ! 追いつかれるっ!!」

 そう思った瞬間背後から迫る兎の気配が消えた。咄嗟に振り返ると、私の目に空高く弾け飛ぶ兎の姿が映った。


 「きゃんっ」

 犬のような叫び声をあげて兎は地面に落下し、そのまま動かなくなった。



 その傍らには剣を抜いたお嬢様が立っていた。


 「やるじゃない、シーナ。確かに追いかけるより誘き寄せる方が効率的だわ」

 「あ、あはは……」

 興奮気味に話すお嬢様の傍で、私はペタンと座り込んだ。

 「これで久々にお肉が食べられるわねっ」


 嬉々として話すお嬢様の横で、私は前途多難な旅の行方に思いを馳せ、溜め息をついた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る