第9話
気まずい空気で仕事すんのかな。せめて一言でも詫びを……。
レイトは駅の改札を抜けて広場を通り過ぎながら、先週のことを思い出していた。
セイラとレストランで食事をしていい雰囲気になったのに、元カノに遭遇してセイラはさっさと帰ってしまった。
レイトはチユに指摘され、彼女たちに取った不誠実な態度を深く反省した。チユにはその場で”許さなくていい。謝らせてくれ”と深く頭を下げた。
彼女にはあっさりと許され、”今度は友だちとして会ってタピオカおごってね”と笑いかけられた。気持ちの切り替えが早いと言うか、あったことを無かったことにできるのか。拍子抜けし、彼女の言葉にうなずきそうになってしまった。
だが、とっさに”ごめん。二度と会わない”と首を振った。
自宅に着いてからセイラに電話をかけたが、彼女が出ることも折り返してくれることもなかった。
その次の日は外回りで出社しなかったため、セイラに会えず。週末を挟んだ今日、ようやく会える。
(ただでさえ印象悪いのになぁ……。もうチャンスないかな……。最悪無視されるかも……)
月曜日ということもあり憂鬱な気分で出社した。しかし、セイラの姿は無かった。
始業時間間近になっても現れないということは今日は休みか。また体調が悪くなったのだろうかと思っていたら、支店長が現れ”ちょっといいかな”と部署全体に声をかけた。
「天木君のことだが、年明け前に辞めることになった。明日から在宅ワークに切り替える」
予想もしていなかった話に、部署がざわつき始めた。セイラが特に可愛がっていた女子社員は動揺し、清田も離れたデスクで言葉を失っている。
レイトはセイラが会社を辞めることを知っていたが、時期が早まったのは初耳だ。
冬のボーナスをたんまりもらってからやめるんだと、ウキウキして話していたのに。
最後の最後に、大事なことを話してもらえなかったのは正直ショックだった。
それなりに信頼関係を築き、何でも話せる間柄だと思っていたがそれは自分だけだったようだ。
「午後に荷物の回収がてら挨拶に来るそうだ。天木君にこの会社で会えるのも、今日が最後だなぁ……」
支店長は口惜しそうにつぶやき、他の部署へ向かった。彼が去った後も部署内はセイラの話題で持ち切り。
中には清田のように、ひそかにセイラのことを狙っていた者もいるらしい。
レイトの背中の席では、女性社員たちが飲み物片手に集まっている。
「突然辞めるなんて……。教えてくれたっていいじゃない。天木さんと呑んでみたかったのに」
「よく笑ってるけど近づきがたい雰囲気でしたもんね」
「結婚かな? 若く見えるけどまぁまぁお姉さんでしょ」
「カフェのお母さんたちに気に入られてたみたいだし、男を紹介されてた可能性あるな」
下世話な声が聞こえる。レイトは膝の上で拳を握り締め、背中を丸めた。
(これが最後のチャンスかもしれない……)
謝罪して告白し直し、彼女の心を射止めたい。レイト以外の男なんて彼女の瞳に写せなくなるように。
「木山君。これ、いいかい?」
「……っはい!」
レイトは課長に渡されたファイルに素早く目を通し、すぐに取り掛かった。
このタイプの案件はセイラと共にこなすのが常だった。
今まで彼女といろんな仕事を二人三脚でこなしてきたことを思い出す。
『お疲れ様。休憩しようか』
仕事中は真剣な表情でパソコンに向かっていることが多いが、お菓子を渡す時の顔は誰よりも優しい。
誰とも違う、あの柔和な顔がもう見られなくなる。 誰とも違う、あの柔和な顔がもう見られなくなる。レイトの心に空いた穴が、時間が経つにつれてさらに大きくなるようだった。
セイラが部署にやって来たのは、いつもおやつの時間と称してレイトにお菓子をくれる時間だった。
彼女が部署に入った瞬間、気づいた者から彼女を取り囲んだ。
「セイラさん! どうして……」
「本当はもうちょっと早く言うつもりだったんだけど……。ごめんね、中野ちゃん」
「嫌ですセイラさん~!」
質問責めされていた彼女はレイトに気がつくと、”ちょっと”と手を引いた。背中でひやかす声や口笛が聞こえたが、”ついてくんなよ”とだけ言って部署を出た。
彼女に連れられてきたのは、誰もいない会議室。セイラはブラインドを開けて日光を取り込んだ。窓を開け放ち、冷たい風を背中に浴びながらほほえんだ。
「急にごめんね」
「いえ! 俺こそ……。先週は失態を晒しまして……」
「もうびっくりしたよ。中野ちゃんから聞いたヤツかな?」
思いのほかセイラは先週のことを気にしていないようだった。中野から聞いた話というのは気になるが。
レイトは彼女の隣に並び、会社の下の道を眺めた。忙しなく闊歩するサラリーマンや、ベビーカーを押しながら歩く親子、制服姿で歩いている高校生。カフェに入っていく客も見える。
「会社を辞めるの……俺にだけ話してくれてたんですね」
「うん。仲良かったから」
「でも、どうして早く辞めることにしたんですか?」
「会いたい人ができたの」
彼女が頬を染める様子に、心臓を冷たい手で握られた。
男の影なんてなかった彼女に好きな人? 一瞬頭によぎったことはあるが、いざ本人から告げられると心にくる。
「……どこに行くんですか」
「とりあえず関西。五年前にそっちに異動したって聞いたから。まだそっちにいる、に賭けようと思ってる」
「賭け?」
「うん。だから……木山君とは付き合えない」
セイラは眉を八の字にし、申し訳なさそうに首を振った。
彼女は本気だ。そしてなんの未練もない。ただ前を進もうとしている。
セイラは目を伏せてぽつりとつぶやいた。
「君に似合う女の子は、私と違って若くて素直なコだと思う。……私は君に見せられない顔を持っているの。君とはいい関係だったーって笑って終わりたい。仕事のよいパートナーとして……って重いかな」
「それはむしろ光栄というか……。はは……」
レイトは頭の後ろをかいて乾いた笑いを漏らした。拒絶されたのに最高の言葉をもらえた気がする。これは悲しんだらいいのか笑ったらいいのか。
セイラは何も言おうとしない。この沈黙を味わっているようだった。
彼女がレイトに見せたがらない顔ってどんなものだろう。
どんなセイラだって受け入れられる自信はあるが、それを口に出すのはためらわれた。自分の今までの愚かさを見せつけてしまっているから。真摯に伝えようとしたところで胡散臭さが勝ってしまう。本当に言いたいことを言いだせないまま沈黙が流れた。
セイラは柔和なほほえみでレイトの顔を見つめると、窓を閉めた。
「じゃあ行くね。今まで本当にありがとう。木山君と働けたことも、君の話を聞くことも楽しかったよ。ずっと聞いていられるくらい」
「俺も! セイラさんと呑みに行けてよかった。最後にこうして話をできたのも……。セイラさんのことを知らなかったら、たった一人だけを好きになる感情を知らずにいました。一生浮気性で、いつか誰からも相手にされなくなっていたかもしれない」
セイラはレイトの言葉に何度もうなずいた。自分の言葉を噛みしめてくれていたら嬉しい。
レイトは彼女の肩に手をかけ、反対の手で彼女の手を優しく握った。
「仕事のことでもプライベートのことでも、セイラさんには感謝しています。俺はあなたと結ばれることは叶わなかったけど、”会いたい人”と幸せになってください。もしその人に会えなかったら────」
レイトの最後の言葉にセイラは顔を赤くした。こんな可愛らしい顔を拝める人がうらやましい。
段々と近づいてくるレイトの顔。セイラは唇がふれあう直前で彼の肩を掴んだ。
「ドラマの見過ぎじゃない?」
セイラは彼の唇に人差し指を当て、軽く片目を閉じて見せた。
”バレたか……”と苦笑するレイトは彼女に笑われた。
最後に、彼女の心からの笑みというものを拝めた気がして心がくすぐったくなった。
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